(13)前へ
周囲に在るのは静寂だった。
時に緊張を孕み、時に優しく包み込んでくれる。しかし今感じるのは、どこか
よそよそしい静けさだ。
キャンディは遠慮がちな溜め息をついた。
ここへ来てそう長くはないのに、もう太陽が恋しい。
最も、地上も今は夜だろう。ランプを頼りに懐中時計を探り見ると、
真夜中をとうに過ぎていた。
長く地下に潜っていると、体内時計が狂うのは本当らしい。
おかげでちっとも寝つけない。結局、弟と不寝番を交代した。
すると、いろいろ考えてしまう。眠ってしまえば楽なのに…。
…いや、逆だ。
本当は、彼自身気づいている。眠れないのは、こうやって考えてしまう所為だ。
彼は座ったままで、背を岩にもたせかけ、だらりと力を抜く。
と、無造作に投げ出した手の先に、固い感触があった。
――剣だ。
王女サラが携帯していた、あの剣。
彼は視線を落とし、拾い上げる。
「英雄、か……」
苦笑しながら呟いた。── 溜め息が、またひとつ。
王女が貸してくれた剣は、咄嗟の状況で、初めて扱うにも関わらず、
驚くほど良く手に馴染んだ。
とにかく必死に、向かってくる敵を斬って、斬って……。
その度、剣は応えてくれた。
…違う。剣が、自分を誘導してくれたのだ。その意思で…。
ようやっと敵を退けると、
放心したように立ち尽くした王女が、言った。
「貴方は、『紅の魔導師』の再来だ」と。
剣『ワイトスレイヤー』の曰くも、改めて話してくれた。
今まで誰にも抜けなかった、不思議な剣 ──
「……」
握ると、かちりと音がする。引いてみると、剣は素直に従った。
鞘から刀身が顔を出す。放たれていた光が今は消えて、
確認できるのは銀色の金属ばかりになっていた。
「綺麗ねえ」
「こうして見ると、まるきり普通の剣なのにな」
光の啓示を受けた弟たちも、他ならぬサスーンの王女も、
剣を扱うことは出来なかった。
試しに抜いた剣を握っても、「剣がいうことをきかない」というのだ。
ムーンは大いに悔しがった。
敵が伝承の中の魔人というだけでも驚きなのに、こんなことがあるなんて。
弟たちは代わる代わる、喜びと羨望を口にした。
そして、何も言わずにこちらを見つめた王女。…あの時、何が言えただろう?
本当は、ただただ戸惑うばかり。
「遊びじゃないんだ!」…そう言ってやりたかった。
お伽話ではない。もう、それだけでは済まされない。
伝承の中の魔人を名乗る者が現れ、人々には呪いが降りかかり ──
そして、キャンディは剣を抜いた。
クリスタルの啓示を受けて使命を担ったのと同じように、
剣を抜いたからには、それだけの結果を求められるのではないか。
「嫌だ」と放ってしまえれば良いが、そういうわけにもいくまい。
『しっかりな』
祖父の声が甦る。
…それに応じようとする反面、ふと気づくと重くて堪らなかった。
胸に大きな石を抱えたようだ。
全てが自分を置いて進んでいくような気がする。流れに乗るだけで精一杯、
頭で理解したつもりでも、気持ちがそれに追いつかない。
世界を救うなんて大仕事が、自分たちに出来るものだろうか?
どうしてこんなことになったのか、分からない。
先のことはもっと分からない。── こんなことを思う自分が、情けなく、
歯がゆくてたまらない。
キャンディは、ひとつ息を吸い、吐いた。
どうあれ、前へ進もうとしている弟たちを目の前にして、
自分が真っ先に弱音を吐くわけにはいかなかった。
皆、見たところはいつも通りだが、それぞれ何を思っているのか…
不安を抱えていないはずはないのだ。
今ここで自分が少しでも不安を覗かせたりしたら、
みんなの前向きな気持ちが萎えてしまうに違いないから。
――それだけは出来ない。
そんなことをしたらきっと、全部壊れてしまう……。
「――キャンディ?」
ふいに声を掛けられ、キャンディは びくりとした。慌てて表情を取り繕う。
…サラだった。
「ああ――サラ姫。どうしました、眠れませんか?」
「そうなのよ、なんだか興奮しちゃって。こういうの、初めてだから」
野宿のことを言っているのだと悟る。
「不自由をさせてしまって申し訳ない――」
「ううん、違うわ。そういうことじゃないの。
だって…これって『お泊まり会』みたいじゃない!」
思わずきょとん、としたキャンディを目の前に、サラは屈託なく笑った。
「嬉しいのよ。…私が外に出るのは決まって公務の時ばっかり。
外に出られたとしても、『あれをしろ』『ここへ行け』『何時には戻れ』
ですもの。気づいたら、周りは年輩の人ばかりだし。昔からそうだったの。
こんな風に近い年代の子たちと話をするとは思わなかったわ」
こんな場所で、こんな時に、こんな形で。
…少女のように活き活きと話す王女に対し、キャンディが戸惑っていると、
「もう、何よ。そりゃ、私は貴方たちより少ーし年上だけど」
「え…いえ、そんなつもりじゃ」
膨れたフリをしていたサラは、堪えきれずに笑った。少しの間笑ってから、
やがて、困ってしまったキャンディに言う。
「…そう、そうやって。どうしてもみんな、私を『王女』として扱うの」
「それは…そうですよ。貴女は大切な方なんですから」
「大切なのは、私ではないのかもしれないわ。
王女という立場なのかもしれない」
「………」
「なんてね。――でも時々、本当にそう思うことがあったの」
サスーンの王女は、どこか寂しげに微笑む。
キャンディは言葉を呑んだ。
それ以上何も言えないのは、思わず自分と重ねてしまった所為。
全てというわけにはいかないだろうが、何となく今の自分と、
似ているような気がした。もしかしたら、そう思いたいだけなのかもしれない。
ある日突然背負った『光の戦士』の呼び名、その名に課せられた意味。
皆が自分を『光の戦士』と見る――村を出て以来ずっと、それが、苦しいから。
キャンディが黙ったままで居ると、
サラは気持ちを切り替えるように、再び切りだした。
「今日はほんとに、沢山話をしたわね。楽しかった…!
弟さんと妹さん、良い子たちね。明るくて、素直で、それに真っ直ぐ。
お兄さんもしっかりしてるし」
「いえ、そんなことは」キャンディは、ほんの少し笑う。
「村に居たときなんか、めちゃくちゃでしたよ。
僕もある程度までは、一緒になってやりたい放題でしたから。
それを見たらどうお思いになるか。こんな事になったのだって――…」
彼はふいに言葉を途切れさせる。それきり、また沈黙が落ちてしまった。
気づくと、姫君はじっとこちらを向いていた。
…しまった、また自分の考えに沈んでいたのか。――
目が合うと、何かを問いたそうだった表情が変わった。
情熱と好奇心を宿した、あの顔だ。
鮮やかに青い瞳をキラキラさせて、サラは言った。
「ねえ」囁く声音は、あくまで静かに響いた。「続きは?」
キャンディは、サラにせがまれるまま、小さい時のことから順に語った。
悪戯ばかりして怒られたこと。些細なことから始まった大喧嘩。
剣術や魔法の稽古、口は悪いが温かな村人、家族……
そして、村を出るに至るまで。
サラは一つ一つ頷き、続きを促しては、じっと聞いていてくれた。
とても楽しそうに。
――嬉しかった。村のことを話していると、落ち着くことができたから。
こうして、聞いてくれる人がいることも。
キャンディが一段落すると、今度はサラが語る番だ。
「私は、物凄くお転婆だったわ」
キャンディと目を合わせ、「頷けるな」って思ったでしょ、と笑う。
「いつも、お父様や教育係の先生方を困らせてた。悪戯だってした。
暇さえあればお城を抜け出して遊んでいたわ。
あの頃は自分の立場なんて分かってなかったし、知ろうともしなかった。
それでも許されたわ。子供だったから」
「………」
「我が儘も言ったしね。…でも一回、悪戯をして酷く叱られた時があったの。
叱られるのはいつも怖かったけど、あれが一番だったわ」
サラ姫は息をつき、再びキャンディを振り返った。それに
つられて、キャンディは訊ねる。
「何をしたんですか?」
「泥棒」
「ええ!?」
目を白黒させるキャンディに、彼女は笑った。
「――『ワイトスレイヤー』を持ち出したの」
キャンディの手が、思わずぎくっと震える。
当の剣を、先程から手にしたままだったので。
慌てて置き直すと、姫君はまた、くすりと笑った。
「『紅の魔導師』――私も大好きだったわ。他の子供たちの例に漏れず、ね。
強くて、格好良くて、やっぱり私にとって憧れの存在だった。
…ねえ、知ってる?サスーンは、代々『赤魔導師』が治めていたの。
今では無くなってしまったしきたりだけど…。
それでも、剣だけは王から王へと受け継がれ、今もここにある。
伝承――歴史の証明として」
「サラ姫は、物語が真実だと思っていらっしゃるんですね」
「そうね、だってそう考えた方がわくわくしてこない?それに」
サラは視線を遠くへ移した。
「本当に、誰にも抜けなかったんだもの。…父にもね」
キャンディは、玉座に居た王を思った。
あれほど威厳と神秘に満ちた方だったのに。
「今は、特別な儀式に使われるだけ。でも私、
自分に抜くことができるんじゃないかと思って。――それで、
いつだったかしら、こっそり持ち出して試してみたの」
それで、というキャンディの無言の問いかけに、王女は首を振った。
「駄目。いくらやっても、剣は抜けてくれなかった。
私を持ち主と認めてはくれなかった。――その後は、
父に見つかって大目玉。こっちにしてみたら最悪よ!
ぎゃあぎゃあ泣いたわ!叱られる事は沢山あったけど、
あんなに凄い剣幕で怒られたの、それまで無かったから。
びっくりしたのと…剣が抜けなくて、がっかりしたのも あったかしら」
王女はただ、明るく笑った。
「あの時は訳が分からなかった。
何故父がそこまで怒るのか、何で剣を持ち出しちゃいけないのか。
――後で父は言ったわ。
『大きなものを扱うには、扱う者にそれなりの責任が生じる』と…。
やっぱり、言われたときは意味が分からなかった。
でも、今なら分かる気がするの」
「…ええ」
「力は、どれも憧れや欲望だけで行使できるものじゃないのよね。
それを制御する責任と――強さを求められる。
さもないと、力自体に呑み込まれてしまうから」
「………分かります」
キャンディは、やっとのことで一言、それだけを吐き出した。
「剣もそう、知識もそう、権力も同じ。…――苦しいの?」
「――は、――」
ふいに尋ねられる。気づくと、王女が表情を翳らせて
こちらを覗き込んでいた。いつの間にやら、自分の額には汗が浮いている。
笑顔をつくる余裕も無く。
ほっそりとした手が伸びてきて、片頬に触れた。
「いいわ、そのままで居て。……やっと、本音を見せてくれた」
「――― !」
キャンディは、慌てて顔を背けた。
「気になってたの、ずっと。何かを堪えているふうだったから」
「…。貴女もお人が悪い。僕を試していたんですか?」
「あら」…サラは目をぱちぱちさせる。
困惑と恥じらいを含んだ声を受けとめて、内心親近感をおぼえた。
やはり、まだ『若者』というより『男の子』なのだと。
「試すだなんて人聞きの悪い。――でも、そうね。
同じことかもしれないわね…ごめんなさい」
「………」
「ちょっと意地悪してみたくも、なっちゃったりして。
私が抜きたくても抜けなかった剣を、貴方はいともあっさり抜いちゃう
んだもの。――けど、無駄になりそうもなくて良かったわ」
本当は、あわや炎の魔人復活かという大事件で、
いよいよ剣が力を貸してくれるのではないかと思い持ってきたのだ。
サラは正当な、サスーン王家の血筋だから。
「…――僕は」
押し殺した声がした。サラが窺うと、キャンディが俯きがちに言った。
「僕は、弱い人間です…。村を出てから分かりました。大きなものを前に、
ただ立ちすくんでる。『しっかりしなくちゃ』と思いながら、
その実『しっかりしたふり』をしているだけなんです。
情けないけど、何一つ分からなくて。これから何をしたらいいかなんて、
見当もつかない。結局僕は、臆病なんです。クリスタルに選ばれて、
『紅の魔導師』だなんて言われて……でも、貴女の言う通りだ。
その責任を果たせるかどうか――自信がないんです」
「……。本当、弱虫ね」
サラは肩を竦めた。続いて、今度は真っ向からキャンディを見据える。
「これからのことなんて、未来でも見えない限り分からなくて当然よ。
それにね、始めから強い人間なんて居ないわ。不安になるのも当たり前」
呆気にとられたキャンディにそう言うと、サラはふっと表情を和らげた。
「大切なのは、それからどうするか、だと思わない?」
「――― 」
「貴方が足りないと思うんだったら、補おうともがいてみればいいじゃない。
そりゃあ、失敗だってあるわ、きっと。…けど、怖がらないで。
大切なのは、前へ進もうとする気持ち。それさえあれば、何とかなる」
「…ですが」
「もちろん、そうやって悩むのも大事だわ。立ち止まってもいい。
けれど、悩みに閉じこめられちゃったら、どうしようもないじゃない」
「…ええ…はい」
「うん」サラ姫は微笑んだ。
「苦しいのは、よく分かる。責任とか義務とか、
重い荷物を持った気がするのも、周りの目が気になるのも。
…でも、貴方は独りじゃない」
「――――」
「弟さんや妹さんを見て。一生懸命よ。貴方と同じように」
「――けど」
「独りで背負い込むのはおやめなさい。
貴方が苦しい時こそ、あの子たちは支えてくれるはずよ。
『自分は弱い』と知ってる人間は強くなれるわ。
一人じゃなくて、貴方たちはみんなで強くなっていけるの。きっとよ」
王女は笑顔だった。しかしキャンディには、彼女の視線が
こちらを通り過ごして、どこか遠くを見ているようにも感じられた。
「そうやって真剣に考えて悩むくらいですもの。…大丈夫。
貴方はその時点でもう、剣を扱う資格がある人よ。――私は、そう思う」
「僕は…僕たちは、皆が望むような結果を出せるでしょうか?」
「…気持ちは分かる。でも、焦らないでいいの。
貴方が前に進もうと思えば大丈夫。大抵は貴方についていくから。
空元気が本物になることだってあるのよ」
「そうですね。そう…在りたいです」
噛みしめるように呟いた言葉は、まるで自らに言い聞かせるようで。
暗闇に垣間見た表情は、決意を秘めながらも未だ心許なさそうで。
「――大丈夫。貴方は、大丈夫よ」
彼女は言った。じっと瞳を覗き込んだまま、
言葉で繰り返す代わりに、その背を軽く抱き、優しく叩く。
『大丈夫』と。
少しの間そのままだったが、少年は憚って身体を離した。
視線を外したので、そっと追って横顔を覗き見る。
それまでの義務的で生真面目な雰囲気の中に、隠れた彼自身が垣間見えた。
――それらが、いくらもしないうちに、さっと拭って消される。
やがて、いつものように柔らかく微笑み、頷いた彼。
その、世にも稀なる金色の双眸から不安の色が薄らいでいるのを見届けて、
サラも安堵した。
「…いいことを教えるわ。あのね、『紅の魔導師』の剣が選ぶのは、
剣が力を預けてもいいと判断した人間だけなんですって。
――貴方はもっと、自分を信じてもいいと思う」
「…信じる…」
「そう。難しいけど、ね」
「………。やってみます。ありがとう」
嬉しげに頷いたサラは、立ち去り際くるりとこちらを向いた。
「―― ? ああ――おやすみなさい」
「おやすみ。内心を悟られたくなかったら、
もう少しポーカーフェイスの研究をした方が いいかもしれないわよ?」
「…っ」
言葉を失った少年に、姫君は悪戯っぽく笑ったのだった。
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