(10)死者の巣窟で
湖を探索することになった光の戦士たちに王が授けてくれたのは、
通称『魔法のカヌー』
── 全員が乗ってもまだ余裕のあるそれは、
いかなる仕組みか小さく折り畳むことができる。
そして折り畳んだ途端、更にぐんぐんと縮み、
あっという間にポケットに収まる大きさにまでなってしまうのだ。
「〈ミニマム〉でも掛かってるのかしら?」
アリスは首を傾げた。
〈ミニマム〉というのは、形あるものを小さくしたり戻したりする白魔法だ。
対岸に降りて少し歩くと、岩の崩れた所が見つかった。
他も歩いてみたが、特に変わったところは見つからない。
生き生きした緑と、風景を映す鏡のような水面。必然的に、岩洞に注意が行く。
「よく分かんないけど、ここが一番怪しい気がする」
それは、大きく開けた怪物の口に見えた。一歩中へ入ると、
当然の如く闇が広がっている。
湿った空気が首にまとわりついて離れない。
所々に苔が鬱蒼と繁茂しており、水の匂いに混じって黴臭さもあった。
そして、四人を迎えてくれたのは闇ばかりではない。
この「怪物の口」の中には魔物たちが居て、こぞって彼らを歓迎してくれた。
光の射さないこの場所では、とりわけ不死生物(アンデット)が多かった。
死にきれず、この世を彷徨い続けた者たちのなれの果て。
陽の光や、一般の生き物の生命力 ── いわゆる『正の力』を嫌う輩である。
死んだ肉体を器として誰かが利用し、
偽りの命を吹き込んで操っている場合もあるという。
…この場合は、どちらだろうか。
「これだけ大勢に歓迎されるとはなっ!」
ムーンが勢いよく蹴りを叩き込むと、骨だけの身体はあっけなく崩れていく。
「やっぱ、相手は死霊使いか?」
「ええ…そうかもしれない。死者を弄ぶなんて、許せないわ!」
言うやいなや、アリスは敵に向かって治癒魔法〈ケアル〉を放った。
「何やってんだよ!」
「いいのっ」
癒しの光を浴びたアンデットは苦しそうにもがき、やがて崩れた。
『正の力』そのものを源にする〈白魔法〉は、生命あるものに癒しを、
逆にアンデットのような『負の力』で動くものには苦痛を与えるのだ。
「今は苦痛でも…在るべき流れに還れば、また新しく生まれてこられるの。
だから」
霞んで宙に融けていく骸に、アリスはそっと弔いの意を示した。
「ごめんね、アリス…」
キャンディとの連携でようやく残りの半分を葬ったポポが、
すまなそうに言った。
「僕に〈ファイア〉が使えれば、もっと楽になるのに…」
「いいのよ。黒の魔法珠が無いんじゃ、使えなくて当然でしょ?」
「うん、……」
魔導師が、魔法を使う際必要になるのが『魔法珠』
これはいわば、魔法を使う前の契約書のようなものだ。
〈黒の珠〉〈白の珠〉があり、
それぞれ〈黒魔法〉と〈白魔法〉に対応している。
魔法を使う者は、少なくとも一度は珠を手にして、
〈黒魔法〉なら「自然界の精霊に働きかける方法」を、
〈白魔法〉なら「正の力を織り上げる方法」を理解しなければならない。
いくら呪文を唱えたところで、本質を理解しなければ効力は発揮されない。
その本質を閉じこめてあるのだと言ってもいい。
そして、本質を実際に形にするのは、高度な魔法ほど難しい── つまり、
踏む手順が複雑なのだ。
しかも、面倒なことに珠は使い切りで、
余程 精霊や正の力が密なところでないと手に入らない。
だからこそ、珠を仕入れてきては売る「魔法屋」が成り立つのだけども。
── ともかく、故郷を出る時にポポが授かったのは、
眠りに誘う〈スリプル〉と、冷気を呼ぶ〈ブリザド〉の二つ。
いずれもアンデット相手には効果が薄い。
一番効果的なのは炎を巻き起こす〈ファイア〉なのだが、
ポポはまだその〈黒の珠〉を手にしていなかった。
『封印の地』へ足を踏み入れてからというもの、アリスは
結果的に攻守両用になってしまった〈ケアル〉を連発していた。
自分の所為で無理をさせていやしないか、とポポは不安になったのだ。
だが、アリスは明るく笑った。
「だいじょぶよ。心配してくれてありがと。
でも、あんまり気にしてると、ポポの方が先にまいっちゃうわよ?」
「……うん…」
ポポはぎこちなく微笑み返した。
意気地なしでごめんね、という言葉は、心の中にそっとしまっておく。
ふいに出てきそうになった本音に、胸が苦しくなった。
堪えて堪えて、やっとのことで心の底に押し込む。気づかないように。
何回か息を吸ったり吐いたりして、どうにか落ち着いた。
…今暫く、忘れたふりをしていよう。
その方がいい。きっと ── みんなにとっても、自分とっても。
「大丈夫」ではあったけれど、途中、一行は度々小休止を取った。
アリスのことはもちろん、やはり全員が疲労を免れなかったのだ。
魔物たちの『出迎え』は、いっかな減ろうとしない。
彼らは後から後からやって来た。
何気なく寄りかかったところが妙に湿っているな、と思ったら、
ゾンビが倒れかかってきたり ──
ふと掴んだ誰かの腕がえらく痩せていると思えば、
スケルトンの骨張った腕だった。
角を曲がれば、ミイラの集団と こんにちは、慌てて戦闘態勢を取る……。
そんなことが続いたものだから、
岩壁の向こうにやっと通路を見つけた時には
四人ともすっかり固くなり、神経を必要以上に尖らせていた。
「── みんな、大丈夫か?」
「…何とかな。でも、いつまでもこれじゃ身が保たねえよ」
「あたしも…もうウンザリ。アンデットって、どうしてこうなの?」
岩影で屈み込む妹の背をさすってやりながら、ポポが言った。
「…あともう少しだといいね…あ、何だか向こうは、
ちょっと広くなってるみたいだよ」
顔を青くしていたアリスが、これを聞いて素早く前へ出る。
「…もう!さっさと魔人に引導を渡しに行きましょ。
しっかり懲らしめてやるんだから!そしたら帰って、
ゆっくり休むのっ!決めた!」
三人が体調を心配し、あるいは注意を促す間もなく…先へ
ずんずんと歩いていってしまう。 …その時。
── ヒュッ!
頭上を疾風が駆けた。次いで、地面に何か突き立てられる音。
「 ─── 」
「えっ、わーっ!アリス、しっかり!!」
「今度は何だってんだよっ」
ムーンが吐き捨てるように言う。すると、
「 ── 何者です!」
通路の向こうから、凛と張りつめた声がした。
注意深く声のした方を窺う。
地面に刺さったものを見、ムーンが抜いて確かめる。
銀の鏃を持つ矢だ。声の主が威嚇のため放ったのだ。
「誰か居るの?」
ポポが思わず問いかけ、自分の声の響きように吃驚して口を塞ぐ。すると、
「!そこに、誰か居るのですか?…お願い、答えて!」
再び、声がした。
光の戦士たちも、今度は落ち着いて聞くことができた。
警戒し、注意深く耳を傾けたからかもしれない。
凛々しくも美しい、女性の声だ。しかし後の方の叫びには、
言葉通りの切実さがこもっていた。
少年たちは顔を見合わせた。
声を聞いた途端、丁度 難解なパズルの最後の一片が埋まるように──
あるいは、複雑に絡み合った紐が解けるように──
ただ一人の人物に思い当たったからだ。
心にぽっかり穴を開けていた不安が、
ゆっくりと形を無くしていくのが分かった。
闇に紛れてしまえばそれとは判らない通路を、少年たちは抜けた。
掲げたランプの光が、彼らの動きに合わせて岩洞の凹凸をなぞっていく。
やがて、闇の中に、ふわりと人の姿が浮かび上がった。…やはり女性だ。
闇に浮かんだ白い顔、こちらを見つめる青い瞳。その、すらりとした立ち姿。
後ろで無造作に束ねられた髪は亜麻色で、
こちらから投げかけたランプの光を弾いてきらきらと踊っている。
少年たちは、知らず知らず息を呑んでいた。
明暗のコントラストの中、この世ならぬ美しさを目にしたような気がしたのだ。
── そのひとは美しかった。
綿シャツにズボン、簡素な造りの皮製防具という出で立ちだったが、
輝きは溢れずにおかなかった。
加えて、全身から滲み出る気品。 ── 一目で分かった。
長い睫を瞬いて訝しげに自分を見上げた彼女に、
明かりを掲げたままのキャンディは、心から安堵したのだった。
…彼は微笑むと、そっと訊ねた。
「……サラ姫様ですね?」
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