(8)お伽話
「『ジン』?」
カズスの住人たちに囲まれながら、四人は声を揃えて問うた。
それを受けて、彼らの一番近くに陣取っていた若者が、ここぞとばかりに
語り始める。
「ああ。十日と少し前だったかな。あの白い霧が突然、
鉱山の方から湧いて出たんだ。あっという間に町を覆っちまって…
そしたら途端に、身体からこう、かくっと力が抜けるような気がしてさ。
気がついたら見ての通り、スカスカの幽霊になっちまったワケよ」
「それから、変な声が聞こえてね」と、すかさず女将が口を出す。
「何だか気味の悪い…それが、
『呪いを解いて欲しかったら、自分に従え』って言うんだよ」
「『呪い』と言ったの?」
「そうさ。突然こんな姿にしておいて、腹が立つったらないだろう?」
続いて、伸びかけの無精髭と黒々とした肌が見るからに逞しい壮年の男が、
悔しそうに顔を歪める。
「俺らは断固拒否した。だが、当然元には戻れねえ。この姿じゃ、
どういうわけか人間らしい ── 空腹だとか眠気だとか、そう
いったものは一切感じないが…返っておかしくなっちまいそうだ」
「それだけじゃない。物にも人にも触れられないし、
不便だったらありゃしないんだ」
同意して頷くのは、一人や二人ではない。
「おまけに奴は、『陽の光を浴びたら融けて消える』なんて脅しやがる。お陰で
今もって誰一人、この霧の中から出られんのさ」
…誰からともなく、大きな溜め息が漏れた。
「それで、助けを呼ぼうにも呼べなかったと」
キャンディが心得顔で言った。
「んで?そいつは確かに、『ジン』って名乗ったんだな」
ムーンは顎に手を当てて、何かを考える風情だ。
が、すぐに腕を大げさに広げ、目をきょろきょろさせた。
「信じられるか?『ジン』って言ったら、お伽話の魔法使いだぜ!!」
「確かに、信じられないよ。でも…ね、お兄さん。
その声は本当にそう言ったんでしょう?」
と、首を傾げるポポ。
「間違いない。ここにいる全員が聞いてるんだ!
恐らく町の誰も、そう言うと思うぜ」
若者は、あくまで強く言い張った。
すると、本当に誰もかれもが、そうだそうだと頷く。
「どう思うよ?キャンディ」
訊ねられて、長兄は考え込む。
深い色をした瞳が、思考の中に閉ざされて、どこか別の場所を見た。
やがて、彼は言った。
「……。可能性は、あるんじゃないか?」
「ほ、本当に魔人が居るってこと?」
「調べてみるまで、分からないけど。みんななら、どう説明する?」
「あたしは…。……」
言いかけて、アリスは結局口を噤んだ。隣でムーンが唸る。
にわかに信じがたい出来事。しかし、目の前の事実は本物だ。
「…こいつぁ……参ったな」
四人は、うんと小さかった頃、母親にせがんだ「お話」を思い出していた。
" 昔むかし、この土地に、一人の魔導師が住んでいました。
魔導師はその術で周囲の人々を助け、皆から慕われていました。
ところが一所に籠もって熱心に研究するうち、魔導師は変わっていきました。
「私こそが一番だ。私に出来ぬことはない」…そう思うようになったのです。
穏やかだった目はぎらぎらと鋭くなり、
水面のごとく澄みきった静かな気配は、激しく燃える炎のようになりました。
そして、魔導師は力を欲するあまり、
とうとう自らが呼び出した精霊を暴走させてしまったのです。
魔人と化した魔導師は、力を見せつけ やりたい放題。
…すっかり困って疲れ果てた人々のところへ、やがて一人の旅人が現れます。
旅人は真っ赤な衣装を身にまとい、真っ赤な帽子を被っていました。
「この旅人も、災いの先触れに違いない」
人々は、この風変わりな旅人をそっと見ては噂しました。
何しろ見たこともない格好で、不思議な雰囲気を感じたものですから、
近寄りがたい気持ちがあったのでした。
それに、魔導師が悪さをしていたこともあって、皆は警戒していました。
真っ赤な旅人は、行く先々でとても目立ちました。
ところが、人々を驚かせたのはその目立つ外見ばかりではありません。
旅人は自らの剣を軽々と操るばかりか、なんと、〈黒魔法〉と〈白魔法〉──
全く違う二つの魔法をも鮮やかに使いこなしたのです!
旅人は、次々と困っている人を助け、皆の力になってくれたのでした。
こうして、人々はようやく、かれに対する警戒を解きました。
やがて、人々の話を聞いた旅人は、魔導師の住処へ出掛けていきました。
かれは魔導師に言いました。
「力を手放すがいい。そうすれば、お前を惑わしていたものは消えて、
もっと大きなものが見えるようになるだろう」
けれど、もう魔導師の心は大きな強い力に染まって
真っ黒になってしまっていました。
黒く染まった心にいくら真っ白な言葉を投げかけても、
灰色に濁ってしまうばかり。上手く元には戻りません。
旅人は何度も辛抱強く説得を続けましたが、
ついに魔導師には届きませんでした。
人々に降りかかる災いを憂いた旅人は、とうとう決心をしました。
剣と魔法を操り、人々から贈り物にと貰ったミスリルの指輪の魔力を借りて、
魔人を洞窟の奥深く封じたのでした。
その後人々は、感謝と尊敬を込めて旅人をこう呼びました。
英雄、「紅の魔導師」と……。"
「英雄の名は無いけど、確かその魔人の名前が、『ジン』」
「ミスリルの指輪は、そいつの弱点だよね」とポポ。
これに頷き返しながら、キャンディは再び物思いに沈んだ。
もともと、剣と魔法の双方を使いこなす「赤魔導師」は今日も存在している。
この話が赤魔導師の元祖だとも言われているし、子供の頃からの憧れで修行を
積もうとする者も少なくない。
有名なお伽話。子供たちの大好きな英雄。
実際、自分たちも憧れたものだった。
だが、ここまで真実味を帯びてくると少々勝手が違う。
曰くある伝承や物語には、それなりに真実が含まれているものだとは思うが…。
「よりによってお伽話かよ…」
ムーンが独りごちた。
しかし、現に「紅の魔導師」の剣は現存する。
神秘の魔剣として、この辺り一帯を治めるサスーン王家が、
代々大切に、かの剣を保管しているのだ。
歴代の王たちが幾度もそれを扱おうとしたらしい。
だが未だに、誰も鞘から抜くことすら叶わぬとか。
「…あたし……」
ずっと考えていたアリスが、顔を上げた。
「あたし、信じる。…お伽話でも、これは本当にあった事なのかもしれないわ。
少なくとも、良く似てるもの」
「本気か!? 魔人と紅の魔導師が、実在するってのかよ」
「『紅の魔導師』は、分からないわよ。けど、魔人は…そう名乗ったんだから」
「魔人の名を、誰かが騙った可能性もあるけれど」とキャンディ。
「人を簡単に、こんな風にしてしまえるものかな?」
視線を受けて、ポポが答える。
「僕にも…分からない。だけど、こんなことを出来るのはやっぱり、
強い魔法のちからを持ってる人間か、精霊じゃないかな……
どう考えても普通じゃないのは、確かだよ」
彼は、自分の言葉に怯えたかのように震えた。
「町の人たちだって、こう言ってるじゃない。
…大地震があって、異変が起こった。これがそうよ。
それに あたしたち、『光の戦士』になっちゃったのよ?もう──」
アリスは言いかけ、一呼吸する。 「何があっても、驚かない。驚けないわ!」
「………」
「…まあな」
ムーンは大きく伸びをすると、周りを取り囲んでいた人々を見回した。
「見ないフリしても、そこで終わっちまうし。…やってやろうじゃん。
『初仕事』だ」
彼は、にっと笑った。
そう、これぞ『光の戦士』の初任務なのだ!
椅子に腰掛けて、静かに耳を傾けていたキャンディが言った。
「…わかった。それじゃとにかく、引き続き調べてみよう。
もし、これがクリスタルの言っていたことと関係あるなら、
僕らには手がかりになる。そうでなくても、進んでいけば行き着くはず。
いつか必ず突き当たるはずだ」
三人が頷く。
彼はすっと立ち上がり、職人頭と見た男の前に進み出た。
「ミスリルの指輪を、貸していただけないでしょうか」
「指輪、って」
「あんたたち、本当に行くつもりなのかい?」目を丸くする女将。
「でもねえ…」
ふと見ると、町の住人たちが、何とも言い難い表情をしているのだった。
「何か…ああ、僕たちを簡単に信じられないのは分かります。けれど」
「違うんじゃ」
もうかなり年輩の鉱夫が、重い声で遮った。
思わず問いかけの目で見ると、頭は言いにくそうに答える。
「…ここには、無い」
「…え?」
「指輪は、無いんだ。
もともと指輪を造るのは特別な時だけでね。この前造ったのは ── 」
「約一年前です、頭」
「── そう、サスーンの姫君の御誕生日だ。
成人のお祝いに、と差し上げた、あれが最後だったな」
「そんなっ」
弟たちが声を上げたが、キャンディがその落ち着いた態度を
崩すことはなかった。
「では、『サスーンになら』指輪はあるんですね」
と、語気を強め、確認を取る。
「確証は無いが、おそらく……」
キャンディは微笑み、頷いた。
「良かった、完全に道は閉ざされたわけじゃない。── ならば」
顔つきが変わった。邪気のない笑顔から、凛とした戦士の表情へ。
「僕たちは至急、サスーンへ行きます。
姫君にお会いして、指輪を貸していただけば問題はないでしょう?」
その決然とした物言いに、町人も、兄妹も…誰もが黙った。
自然に彼の方へ視線が集まる。
長身で際立つ容姿とくれば、何処にいても目立つ。
短い髪は銀、中でも人目を引くのは、その瞳の色だ。
秋の稲穂のごとき黄金は、大地の豊饒と太陽の温かさを
そのまま映しとったよう。珍しさに加えて、こんなに澄んだ色は
見たことがないと、故郷の村を訪れた誰もが言った。そして。
やっぱりか、とムーンは内心笑む。
兄の持つ、その声、言葉、雰囲気には、周囲を引きつけるだけでなく、
安心させるものが備わっていた。
不安とか怒りとか、そういったものが すとん、と落ち着いてしまうのだ。
「まあ…その通りだな」
「良かった」彼はにっこりした。
「…ねえ、ちょっと待って」
ふと、ムーンの傍らで、ポポが何かを言いかけた。
「それって、どうしても『指輪』じゃなきゃダメなのかな?」
はた、と思い返し、ムーンも疑問に思う。
「そういや、そうだな。別に、腕輪でもネックレスでも
いいような気がするけど。魔力は、ミスリル自体にあるんだろ?」
「…それは、駄目だと思うわ」
── 質問に答えたのは、アリスだった。
「指輪だ、ってことに意味があると思うの」
「指輪……? ── そうか!」
「『円(サークル)』って形には、魔力を集めて離さない性質がある。
円が小さければ小さいほど、ちからは凝縮して強くなるわ……。
ミスリルの魔力は微かなものでしょ?
それでも、小さな円 ── つまり指輪にすることで、
魔人を封じ込めるほどの魔力を持たせることが出来るんだと思うのよ」
「まん丸な円なら尚更、
そこに封印の呪文でも刻まれてたら、効果てきめんだね」
そうだ、どうして気づかなかったんだろう。
とにかくこれで合点はいった。次の目的も定まった。
あとは、考えるよりも行動あるのみ!
── 四人は荷物片手に、いよいよ出ていこうとする。
「待ってくれ!!」
勇んで戸口に向かった彼らを、呼び止める者がある。
一番最初に町の入口付近で出会った、あの男だった。
「あれ?何だ おっさん、居たのか」
「君たち、まさか私を置いていく気じゃ」
アリスが可愛らしく にっこりして、その言葉を遮る。
「ごめんね、おじさん!流石に魔人退治には連れてけないわ。
『良い子だから』町の人たちと一緒に、ここで待ってて?」
人々が どっと笑う。
大人の男性と小さな女の子、立場がすっかり逆転してしまったようだ。
男はぽかん、と口を開けたまま、
「一緒に……?」
どうやら、受け取った言葉の箇所が少し違うらしい。
ムーンもキャンディも、笑いを堪えながら、取りなすように言うのだった。
「すぐ元に戻してやるからさ」
「町の外にも魔物が増えてますし…下手に動くよりは、ここの方が
ずっと安全です。待っていてください、きっと呪いを解きますから…」
「そんな」
会話を聞いて奥で笑っていた白髭の老人が、すたすたと四人に歩み寄ってくる。
…先程ムーンに話しかけてきた人だ。
「いやはや」
長い髭の爺さんは、興味津々といった顔つきで、四人を代わる代わる見渡した。
「全くもって、大したもんじゃ。なかなか肝が据わっとるのう、おぬしら」
「じーさん」
「貴方は…」
老人は、挨拶代わりに半透明になってしまった帽子を取ると、名乗った。
「儂はシド。カナーンから来た者じゃ。
…ふむ。四人とも良い目をしておるな。── なあ、どうじゃ、
儂の飛空艇を使わんか?ここからサスーンまでは、歩くには遠いし、
日数も掛かる。しかし町の連中も、出来るなら早く元に戻りたいじゃろう。
儂も、家に連れあいを残してきとるからの。正直、ここで
いつまで足止めをくっておるわけにも、いかんのじゃよ」
「おいおい爺さん、この子らに飛空艇を操縦させるってのかい」
「大丈夫、操縦方法は教える。簡単なモンじゃよ。
…そうさな、若造。お前さんがいい」
老人シドはキャンディの腕を掴む仕草をした。四人は顔を見合わせる。
「…この際だもの、お言葉に甘えちゃわない?」
「けど…」
シドは「気にするな」と笑う。
キャンディは少しの間考えていたが、やがて頭を下げるのだった。
「…ありがとうございます。お借りします」
「らっきー!!」
ぱちん、とムーンが指を鳴らした。
…だが、この有り難い申し出を二つ返事で受けてしまったことを
一行は少なからず後悔するのだった ── というのはもう、ご覧の通りだ。
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