2 銀の指輪と紅の魔導師
(6)呪い
夢とも現(うつつ)ともつかぬその場所で、『彼』は 『目を覚ました』。
――― 正確に言えば、『目を開けたつもりになった』。
一体どれだけの間、閉じこめられているのか。…この場所に。
暑くも寒くもなく、昼も夜もない。しかし、今生きているのか死んでいるのか、
と問われれば、彼は間違いなく生きていた。
── どれだけの時間が経った。
彼は思う。僅かに、身じろぎをしようとした。
強大な魔力を操り、精霊との一体化まで果たした、この
ジンともあろうものが。かつては、そのちからで国中の人々を足許に
跪かせたというのに―― 全てを手中に収めたというのに!!
それを崩したのは、たった一人の人間だ。
…あの若造めが、一太刀で何もかも、全てぶち壊したのだ。
こともあろうに、高みに登りつめようとしたその時に、
一直線に奈落の底へ突き落としてくれたのだ……!!
それからもうずいぶんと長い間、自分はここに居る。
── 世界から切り離されて。
生きていながら、常に夢の中に在るようだった。
意識は常に浮き沈みを繰り返し、曖昧で、丁度 夜と朝の狭間で
眠りかけている時のよう。
…寝心地は すこぶる悪い。手足はもとより、全身に束縛感があるのだ。
それは絶えずついてまわって、決して消えてはくれない。
周囲の空間は、いつも重くのしかかってくる。
外に出ようと もがけば無駄に疲れ、また不快な眠りの中へ沈んでいった。
…そして夢の中、繰り返し繰り返し見聞きする、同じ光景、同じ言葉。
(ああ ── くそっ。思い出しても憎らしい……!!
あの、くそいまいましい青二才が……!!)
人を小馬鹿にしたような、あの、涼しげな瞳。
奴は言った。時間が必要なようだ、と…。
確かに、永遠の命を手にしたいと研究を重ねた日々もある。
しかし、今となっては終わりのない時など有り難くも何ともなかった。
ましてや、他人から強制的に与えられた生など、屈辱的なものでしかない。
…そう、時間さえ自分を無視して積み上がっていく。
そしてその重みは我が身を押しつぶすのだ……。
ここを抜け出すことが出来れば、再び行動を起こせるものを。
そうすれば自分は再び人々を、世界を、そして今度は時間さえ
手中に収められる。
そうだ、幸か不幸か、自分はまだ生きている。この長い長い時の中を。
それは即ち、また好機が巡ってくるかもしれぬということを意味する。
人間は時間の流れの中ではあまりにも儚い。
奴も所詮は同じこと、もう会うことすらあるまい。
…つまり、復活を遂げた時に邪魔をするものは何もないということだ。
…いや、待て。奴がしていた指輪、あれだけは、もし存在するなら
消さねばなるまい。何故か、力を奪われてしまうから。
── 彼は思案し、ふと『考える』のが楽になっていることに気づく。
…束縛が僅かながら緩んでいる。
彼は眉を寄せた。
今まで彼に対して反発しかしていなかった『力』が、ふいに
それをやめ、彼の中に入ってくる。何の抵抗もなく、するすると…。
どうしたことか。
彼は訝しく思ったが、すぐに悦びの方が沸きあがり、それを消してしまう。
─── これはいい。
笑みに頬を歪めると、思ったより容易く表情がついてくるように思う。
…見ていろ。このままお前の言ったとおりになどなっているものか。
ここまで耐えてきたんだ、
俺は必ずここから脱出して、再び全てをものにしてみせる。
そうして、お前との賭けに勝つ ――!
鉛のように重く、冷たく凍りついていた、その身体。
だが、ただ力と支配への渇望だけは熱く熱くたぎり、
絶えずその身を奮い立たせていた。
…そして今や、彼は本来の姿を取り戻しつつあった。
かつて人々が畏れた、『炎の魔人』としての姿を。
更に ── あまりに長く共生していたせいだろう。毒が抗体を生むように、
彼は自らを束縛していた筈の『力』と融合してしまったらしい。
皮肉なものだ、と彼は内心、嘲笑う。「見たか」と叫びたい気分だった。
最も、彼がそう言ってやりたい相手はもう存在しないけれども。
では、―― 邪魔者の居なくなった今こそ、揺るぎない力を誇ろう──
この、『闇』のちからで。
陽射しが物も言わず降り注ぐ午後。
王女サラは、自室でぼんやりと窓から外を眺めていた。
気候は適度に暖かく、穏やかな風に乗って届く葉ずれの音は、
まるで「さあ、お眠りなさい」と誘うかのよう。
読みかけの書物を手元に、ついつい従ってしまいそうだ。
うっかりまどろみかけて慌てて姿勢を正すと、背後でくすりと笑う声がした。
「…やだ、居たの乳母や」
「申し訳ございません。
ノックをしたのですが、お耳に入らなかったようでしたので」
「いいのよ」
サラは苦笑した。集中していて聞こえなかったならまだしも、
居眠りをしていたのでは返す言葉もない。
「お疲れですか?」
「ううん、こう暖かいと、どうにも眠くて。…困ったものだわ」
「気候の良い季節になりましたものね」
「うん ── …」
彼女は窓辺に立つと、そこから外を見渡した。
東の塔最上階のこの部屋からは、森の木々までを眼下に、
遙か彼方を臨むことができる。きわめて穏やかな昼下がりだった。
(信じられない ── )
サラは思った。
彼女の父・サスーン王は、あの大地震以来、各国との情報交換に余念がない。
今日も被害状況の調査や復旧計画など、各公務に追われている。
何でも地震を皮切りに、世界中で異変が起こっているとか。
即ち世界の危機なのだと言うが、サラ自身としては「世界の危機」などと
言われても、実のところほとんど実感がない。
こんなことを思うなど、不謹慎な気がしないでもないけれど。
それでもこう穏やかな日々を過ごしていると、
天災があったということも、それが引き金となって異変が起こっているという
事実も、嘘のように思えてしまう。
目の前で山が沈んだとかいうのなら驚くだろう。
しかし、ここは四方を頑丈な壁で守られた城の中だ。災害とも魔物とも縁遠い。
最近は外に出ていない。危険だから、と遠乗りも禁止されてしまった。
散歩は出来るが、それも城の庭に限ったこと。
城壁に囲まれっぱなしの生活は、一日を張りあいのない、退屈なものへ変えた。
いささか嫌気がさしてきているくらいだ。
……まあ、本当を言えば「退屈だ」などと言っている暇はないのだが。
そう、やるべきことは沢山ある。
サラは女と言えど、将来このサスーンを背負って立つ身。国王にとっては
唯一の跡継ぎ、いわゆる目に入れても痛くない一人娘なのだった。
そんな彼女のやるべきこと、と言えば、それは
来るべき王位継承の時に備えて、知識や教養を身につけることだ。
帝王術に始まり、細かな日常の礼儀作法などに至るまで ──
国の顔である者には、やはり洗練された振る舞いが当たり前のように
求められる ── それこそ、一から十までを教え込まれてきた。
別に嫌いだというわけではない。それが当然だったからだ。
生まれたときから王女として扱われてきたサラ。
周囲はいつも彼女を「お姫様」と見る。
自分は王の娘として生を受けたのだから、これは当然のこと、
何を言おうが変わらない。
この環境に不満があるわけではない。
それに、満ち足りたこの暮らしに文句など、あろう筈がない。
そしてサラは、父がそうであるように、
自分に与えられたものの分だけ他の民に返せるように努める。
そうすべきだ、と思う。今までも、これからも。
王の娘として、未来の女王として…教え込まれた一通りのことは
できるようになった。
今では自分の立場もやるべきことも、しっかりと心得ているつもりだ。
─── けれど。
時々、ふと思う。『王女』という枠を外し、あの城壁を飛び越え ── どこか
別の場所。別の自分。そうしたら、どんな風になれるだろう…と。
「分かっているけど」
サラは頭を振った。空想しても始まらない。
「…はい?」
「──ううん。せめて余所の状況を、聞くだけじゃなしに分かったらな、って。
あんまりのんびりしてるから、各地からの報せが嘘みたい。
こんなに平和でいいのかしら」
サラが冗談めかしてちょっと肩を竦めると、 乳母は微笑った。
「良いことでございますよ。
このうえ姫様にまで何かあったら、お父上がお倒れになってしまいます」
「分かってる。…ああ、そんな顔をしないで。
もう聞き分けのない子供じゃないんだもの、無茶はしないわ」
「…それを聞いて安心いたしました。
── ご休憩になさいますか?お茶でもお持ちいたしましょう」
「うん、そうする。実はもう、とっくに集中力がきれちゃったみたいなの」
サラは外の新鮮な空気を吸うと、窓辺から離れようとした。
と ── 視界がふいに、悪くなる。
「? ─── 」
…霧だ。霧が出てきた……たった今まで、けだるいくらいの晴天だったのに。
透き通った青空は、みるみる霞で閉ざされ、その中へ融けて消えてしまう。
「なに…」
周囲に鬱蒼とした森が生い茂るこの城、霧が生じるのはよくあること、
珍しくも何ともない。ただ、この拡がり方は。
── 何だろう?酷く異常な気がする……!!
嫌な予感が背筋をかすめた。慌てて開け放してあった窓を閉める。
しかし、どうしたことかと訝る間にも、霧は窓の隙間を縫って侵入した。
まるで、それ自体意思があるかのように。これは只の霧じゃない!!
止める術もなく表情を強ばらせたサラの後ろで、乳母が
は、と一つ息を零した。
振り向くと、力無くその場に頽(くずお)れようとしている。
サラは急いで駆け寄った。
「どうしたの?しっかりして!!」
彼女は乳母を助け起こそうと、その身体に手を掛けた ── 筈だった。
だが。
温かな人肌の触感、それが ふ、と失われた。
続いて、肩に触れていた両手が、まるで『支えるものが無くなったかのように』
すり抜け空を切り、ぱたりと下へ落ちてしまう。
驚いて見た時、乳母はすかすかに透き通っていた。
丁度、世間一般で言う「幽霊」とか「亡霊」の姿だ。
「……!!…乳母や……!?」
「…姫様?ご無事で…」
「私は平気。…大丈夫?」
「良かった…私も何ともありません。
ちょっと、力が抜けたような気がしただけです」
乳母はそう言って微笑んだものの、我が身に起こったことを知ると
驚愕を禁じ得なかった。
サラは窓を見やり、目の前の半透明になってしまった乳母を見やり……
反射的に立ち上がった。乳母が止める暇も与えず、扉を開けて駆け出す。
そうと気づいた時には既に、ほぼ勢いだけで階段を駆け下りている。
長いドレスの裾が鬱陶しく纏いつく。
装飾の優先された靴は足を締めつけるばかり、走ることには向かない。
長く急な階段が、この時ばかりはもどかしい。こうしている間にも、霧は
城内に拡がり充満していくというのに!!
所詮は人間の足、霧の広がる速さにはどうあっても敵わない。
それでも、サラは走った。強く、出来るだけ速く。
可能な限りの早足で、真っ直ぐに王の間を目指す。
あちこちで悲鳴が上がっていた。
途中、見張りについていた兵士が、箒片手に掃除していた侍女が、
王室専属の学者たちが ── 手を伸ばし、口々に何かを訴える。
今や城は混乱と恐怖の渦中にあった。
もう誰が何を言っているのかが分からない。
嘆き叫ぶ声の調子だけが幾重にも重なり合って、
奇妙に恐ろしい音たちを創り出している。
これはもう、亡霊の館そのもの…!!
「 ── 落ち着きなさい!!」
騒ぐ亡霊達を一喝、サラは再び走り出そうとした。その時だ。
『どうだ、我が まじないのちからは』
わんわんと鳴り響く耳障りな声が、降ってきた。
人々は、戸惑い、怖れ、周囲を見回す……声の主を探して。
『我が名は「ジン」。炎のちからをこの身に従えた魔人よ。
呪いを解いて欲しくば我に従え。さもなくば一生その姿のままだ……』
くぐもった笑いがどこからともなく湧き、城内を包む。
酷く不快な聞こえ方をする声だった。
『我を倒したくば、「封印の地」まで来るがいい。
…最も、その姿では霧の外で陽の光を浴びた途端、消滅してしまうがな』
「………!!」
『まあ考えておけ。三日後に返答を聞こう。良い返事を待っている ── 』
……。
威圧的な物言いと身体のそそけ立つような余韻を残し、声は消えた。
やがて、城内がどうにか落ち着きを取り戻した時、
既に王女サラの姿は、何処にも無かった。
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