(2)魔物たち
─── かくて、探険は再開された。
下層はさっき歩いてきた上層よりもずっと広さがあった。
「こんなに広い空洞が出来ただなんて…」
それだけで、先日の地震がどんなものだったかが知れる。それとも、
クリスタルが地震を耐えきったからこそ、こうなったのだろうか?
ここは迷宮めいていて、何やら不思議な空気が漂っているような気がする。
あるいは洞窟の中の雰囲気が、そう思わせるのかもしれないが。
深閑とした場所だ。あるものといえば、茶色く乾いた岩と黒い闇ばかり。
いつまでも続く同じような光景で、
同じ処をぐるぐる回っている錯覚に陥りかねない。
聞こえてくるのは自分たちの足音と、時折奥から流れてくる、
冷たく乾いた風の音だけだ。
ゆらゆら揺れるのは、炎に照らされて浮かび上がった、自分たちの影。
まるで何か、別の生き物のような……。
── ここでは、時間さえ止まっているのかもしれない。
ポポは漠然とそんな考えに囚われていた。
ずっと閉ざされた処に居るからだろうか、本当に
時間感覚が狂ってしまいそうだ。
出てきた時を思えば、推測は出来るが。
…今は昼頃だろうか。
どっちにしろ、真っ暗は苦手だ。陽の光でも、透明なクリスタルでも
何でもいい、早く明るいものが見たいのに ──
と。
ぐぐう、と誰かのお腹の虫が鳴いた。
「まったく、緊張感のカケラもないのねぇ」とアリス。
「仕方ねーだろ」空腹を抱えた当の本人は、最もらしい顔つきで答えた。
「人間、腹が減るときゃ減るんだよ」
「そりゃそうだけど。折角のムードが台無しじゃない」
アリスはむくれた。
ついさっきまではまったく別の ── それこそ、ここに来てしまったことが
どうこうって、怒っていた筈なのに。
気まぐれな妹は、ころころと表情を変える。お喋りは、
あっちへ行ったかと思えばそっちへ行き、はたまたこっちに戻ってくる。
こんな時でも、相変わらずのマイペースである。
どこか場違いな気がする口調の、そんな二人の会話が何だか可笑しい。
…笑い含みにポポが口を挟もうとしたその時だった。
…ぐるるるる……
「ほら、また!」
奇妙な音がして、アリスが「そら見ろ」とばかりにムーンを振り返る。
…だが、ムーンは「今度は俺じゃないぞ」と首を横に振る。
自然、二人の視線が自分の方へ向けられたので、
ポポも慌てて否定することになった。
「違うよ、僕でもない」
だいたいあれは、音にしては生々しすぎる。そう、どちらかと言えば
獣の唸り声に近いような ───
「…あ……」
突然ポポの表情が変わったのを見て、ムーンとアリスはきょとんとした。
大きな瞳は驚愕にめいっぱい見開かれ、「どうしたの?」と訊ねる間にも、
じりじり後ずさりを始めている。
二人の方を示した人差し指が小刻みに震え、ひとところに定まらない。
最後尾に控えていたキャンディが、つと足を止めた。
「―――」
思わず振り向くと、その先には。
身も凍る、無数の黄色っぽい光が点っていた── いや違う。
これは只の光なんかじゃない。何かの、目 ── !!
「ゴブリン!!」
「うわあぁぁ!!」
悲鳴が、魔物達の突撃の合図になってしまったようだ。
キャンディが剣を抜き前に出るのと、角のある小鬼が飛びかかってくるのが
ほぼ同時。弟に突き立てられようとした牙は、間一髪、兄の長剣が代わりに
迎え撃つ。
ムーンは咄嗟に妹を背後に庇い、灯火を盾代わりに振りかざした。
運良く炎が敵の顔面を掠め、そいつが怯む。…今だ!
この機を逃さず、空いた片手でナイフを抜き、構える。
敵が持っているのも、同じような小ぶりのナイフだ。
どこからこんなものを、と思う間に、炎を照り返した敵の刃が橙色の弧を描く。
── ナイフ同士のぶつかり合う音。
金属音は長剣のそれに比べれば軽いが、
敵の繰り出す刃は一撃一撃がずっしり重く、全く容赦がない。
当たり前だ、これは実戦なのだから……!
受けとめると、腕が身体が、ぎしぎし軋んだ。
全身でしっかり踏ん張らないと、弾き飛ばされてしまいそうだ。
もっと姿勢を正して。そうだ、もっと踏み込め。…村での稽古を思い出す。
だが、これは稽古とは違う。
こいつらは、ほんとの本気で俺たちを殺そうとしている…!!
心を察知して、ありがたくないことに身体がそれに従った。
ひやりとしたものが背を伝う。何とも嫌な感じが全身を駆ける。
一瞬、あってはならない隙が生まれた。
敵の、どちらかというと猫に近い瞳が、獲物を狩る喜びに
ぎらりと輝くのが分かった。─── やられる!!
「きゃあああ!!」
突如、背後で甲高い悲鳴が上がった。…そして。
その直後、両手ほどの大きさもある石くれが…何と、
目の前の敵に命中しているではないか!
打ち所が悪かったのか、威力があまりに凄まじかったのか。
あわれ小鬼は、そのまま卒倒する。
大事な頭の一角が欠けなかったのがせめてもの救いだろう。
…アリスがたまたまそこら辺に転がっていたのを拾って、渾身の力で
投げつけたのだった。一発命中、ストライクだ。
「…ナーイス。やるじゃん」
「…え、嘘。当たっちゃった?きゃ〜、やったあ♪」
ぴょんぴょん跳ねる妹は実に嬉しそうだ。
ムーンは目の端でそんな彼女を見ると、感心しながらも正直、愕然としていた。
防衛本能の勝利とでもいうのだろうか。何にせよ。
── 女の底力ってやつは、ナメて掛かると怖い。
ちらとそんなことを考えながら、彼はもう一匹を迎え撃った。
一方、キャンディは二匹のゴブリンを同時に相手しなければならなかった。
こちらも剣術の心得は多少あるものの、日頃の練習とのギャップに戸惑いを
隠せなかった。
何せ魔物は、本能で狩りをする。
時に予測のつかない反応をするから、人間相手を想定した型通りの剣術は、
なかなか上手く通用しない。その上、一度に二匹とあっては……!
シャアッ! ── 威嚇する猫そっくりに毛を逆立て、
声荒く突っかかってくる魔物達。
一方の攻撃をかわしたと思った側から、もう一方が仕掛けてくる。
懸命に受け流しながら反撃の機会を窺うキャンディだったが、
俊敏な相手の動きにペースを乱され始めていた。
無意識に自分の息づかいを聞きながら、彼は思う。
── ああ、ここはもう、彼らの領域なんだ。
この前の地震。それが間違いなく「何か」を引き起こした。
いや、逆か…地震があったから、「何か」が起こった?
どちらにしても、確かに尋常じゃない。
少なくとも、今まで干渉し合わなかった人間と魔物、
双方の生活の場の境界線が、曖昧になりかけている。
彼らは日増しに凶暴になっていると聞くし、実際にそうだ。
最近では、人里に現れては畑を荒らし、家畜を屠り、物を奪っていく。
四人が暮らすウルの村でさえ、例外ではない。
一体何故か。
…地震。村、騒動。
祭壇、クリスタル…世界を支える四つの柱 ─── 沈んだ。
様々なことが一陣の風の如く胸を通り過ぎていき、
最後に冷たい予感が石となって、ことり、と落ちる。
まさか、…まさか!!でも、そうだとしたら。
「 ── く、…はっ… 」
熱い痛みが走った。敵に肩をやられたのだ。
しかし、それを気にしている暇はない。どうにか切り抜けなければ…そして…
彼は手にした剣を振るった。
「帰れ……!」
正面の敵と打ち合うように見せかけ、くるりと反転、背後に来ていた奴を
なぎ払う。そのまま動きの反動を利用して、壁を背に、体勢を立て直す。
「元居た処へ」…息も荒いまま、彼は剣を構え直した。
その間にも、敵はじりじりと間合いを詰めてくる。
傷が痛む。しなやかな銀の髪は、既に汗を含んで乱れていた。しかし
彼の金の双眸は、ひたと敵を見据えている。
「ここは駄目だ。『風』の祭壇は。あれを壊したら」 ───
「ただじゃおかない!」
─── 一直線に、剣が突き出された。
「どうしよう、どうしよう…どうしたら?」
ポポは震えていた…岩の影に隠れたまま。
みんな必死で戦っている。けれど、不利なのは目に見えて明らかだった。
このままじゃ、みんなやられてしまうに違いない。
助けなきゃ、と思うのに、足は動いてくれない。
それに、ナイフを抜いたところで自分には敵いっこない。
すぐやられてしまうに決まってる。
魔物は四匹、こちらも四人。数では互角だが、
獲物を狩り慣れた魔物と、実戦経験は皆無と言っていい子供だ。
これでは勝機はありえない…あるはずがない!
ポポの心に、じっとりと恐怖がわき起こってくる。消えたはずの…否、
抑えつけてきたはずの恐怖。
痛いのは嫌だ。けど、死ぬのはもっと嫌だ。…帰りたい。村に ── 家に!
ああ、やっぱりこんな処、来なければ良かったんだ……!!
「……。……。…あれ?」
と。震えていたポポの手に、祈るように握りしめていた
小袋の感触が伝わった。こつ、と何か、固いものの入った感触。
「…そうだ!」
彼は大急ぎで袋の中を探った。青白い輝きを放つ、小さな結晶を手に取る。
それを壊れんばかりに握りしめ、やはり震える唇を必死で宥め、
何事かを呟き始めた。
「『…汝、万物を凍結する精霊よ。我が声を聞き届けたまえ…』」
ちかちかと結晶から、光が零れる。
…そう、これは目で見えにくい、〈魔法〉というものが凝縮されている証。
「『そのちからを今ここに…我を助けよ!』〈ブリザラ〉!!」
意を決してすっくと立ち上がり、両手を真っ直ぐに上げる。
一瞬零れていた輝きが失せた…が、その後。
びゅうっっ!!
耳をつんざく鋭い音を発して、冷気が吹き荒れた。
それは空気中に含まれた僅かな水分さえ源にして、
雪をつくり、氷塊をつくり、瞬間的に吹雪を起こす!
敵味方に関係なく、氷の粒がびしばしぶち当たった。
一番近くで、まともにそれを喰らった真っ正面のゴブリンなど、
吹っ飛ばされ、絶叫とともに倒れた。全身に、びっしりと霜を張りつかせて。
突然起こった冷気の嵐に驚いたのは、魔物だけではない。兄妹も同じだった。
しかし、呆気にとられている暇はない。
キャンディは、やけになったように突っかかってくる敵を切り伏せると、
足が萎えかかった弟の手を引っ張った。
「逃げるぞ!」
兄の声を聞き、ムーンとアリスも走り出す。
と、妹の背に斬りつけようとした残り一匹に 、
「プレゼントだ!」 ムーンが熱い炎を押しつける。
背後でぎゃあっと悲鳴が上がるのを聞きながら、彼もまた振り向かずに走った。
─── 虚ろに開けた闇の中を、四人は必死に駆けた。
どのくらい走っただろう。やがて、少しばかり広い場所に出た。
洞窟の中なのに、ここは何だか他よりも明るいように思う。
追っ手が来ないと分かると、4人ともその場にへたへた座り込んでしまった。
「…。何なんだよ、今のは…あんなのが居るなんて…聞いて、ないぞ……」
ムーンが、ぜいぜいと言葉を継いだ。
「うん…怖かったぁ……」はぁっ、とアリスが息をつく。
「『危険なところ』か…はは」キャンディは力無く笑い、ふとそれを消した。
「確かにね…甘かったなぁ」
「もうやだ、絶対やだ!今度会ったら間違いなくやられちゃうよ」と、ポポ。
「でもさ、お前…さっき何か凄いのやったじゃん。あれ、魔法だろ?」
「う……まあ、そうなんだけど」
ポポは、何故かもじもじしながら言った。
まだ握ったままだった小さな結晶を、そっと開いて、出してみせる。
その輝きは、少し鈍くなっていた。
「さっきのは、僕が自分で唱えたんじゃないんだ。
この中に、おじいちゃんが込めたのを引き出しただけ。
あんな難しいの、まだ僕じゃ使えないから…」
「何でだ?どういうことだ?」
「── うん。あのね」
魔法を使うには、まず自分で魔力を集めなければならない。
充分に集めたら、それを自分の望むとおりに変化させる。
「例えば、僕のは〈黒魔法〉ってやつだけど…炎とか氷とか、雷とか。
自分で作ることも出来るし、自然のものを招き寄せたりするやり方もある。
でもどっちにしろ、大きな魔法を使うには、それだけ強い思念が必要なんだ」
「しねん?」
「念じるちからのこと。
『意志の強さみたいなものだ』っておじいちゃんは言ってた…大きなちからを
一カ所に集めて留めておくのって、すっごく大変なんだ」
集めて変化させた魔力は、目に見えるかたちにして発動させる。
その際に使うのが『呪文』と『印』だ。
『呪文』は口で唱え、『印』は手で結ぶ。熟練した魔導師なら、
どちらか一方で済む。
「それから呪文と印で、それを形にする。さっきみたいな氷とか…氷だったら、
基本の印はこう」
「杖が無いと、きついけどね」…アリスが口を挟んだ。
ポポとアリスは、種は違えど、魔法を教わっているのだ。
ポポの〈黒魔法〉は攻撃性が強く、
アリスの〈白魔法〉は人の生命に働きかけて治療する性質のものが多い。
「魔力の素は呪文によるけど、〈黒魔法〉は殆どが精霊かな。
…精霊もやっぱり生き物でね、いろんな処に居る。
人間とは住んでる次元が違うから、なかなか目には見えないけど」
「呪文は精霊との共通語みたいなものね。『力を貸して』ってお願いするの」
「それで、あとは精霊が実体化するとき僕のちからが必要だから…
『持っていっていいよ』って、あげるんだ。
魔法を使うと疲れちゃうのは、だからだよ」
「でも、さっきのは。元からじっちゃんの魔法が入ってんのに?」
「あれは、込めてあるだけだもん。
魔力を集めて変化させるまでが、終わってるってこと。
それを発動させるときは、発動させる人のちからを使うんだよ」
「ふ〜ん」
「うーんと。つまりね、魔力を集めるにも使うにも、ちからが必要で…
あとは精霊に働きかけるために、呪文を知ってればいいみたい」
「魔法使うのに、向き不向きはあるみたいだけど」
「ふむふむ」…ムーンはひとしきり頷いていたが、
やがて照れくさそうに頭を掻いた。「やっぱり分かんねーや」
一同、ずるっとずっこける。
「んもう、あんたって人はっ!」
「まあ、そう怒んなさんなって」
ポポはちょっと微笑んで二人を眺めていたが、疲れを覚えて、
座ったまま壁に背をもたせかけた。
「…とにかく、この宝石に込められた魔法力にも限界があるし」言いながら、
目を閉じる。「僕も、あれだけの魔法を引き出すと、結構辛いかも…」
全身に脱力感があった。
〈魔法〉を使うには精霊に働きかける際、その威力に応じて体力を消耗する。
魔法やそれを扱えるだけの精神力は、
剣術などと同じように鍛錬次第で身につく。
が、むやみに実力よりも上級の魔法を使ったり、続けて何度も使うと
疲労が蓄積する。
結果、術者自身が気を失ったり、
魔法を扱いきれずに暴走させてしまうこともある。
酷いときは術者が命を落とす可能性も充分にあるのだ。
勿論、時には術者だけに留まらず、周囲に甚大な被害を及ぼす。
魔法は、他に引けを取らない武器となり得る。
しかし、少しでも誤った使い方をすると、それは途端に諸刃の刃となるのだ。
キャンディは黙って魔法の講釈を聞いていたが、途中そのことを
思い出していた。祖父が魔法を語ると、この注意は必ず付いてくる。
「ポポ、ありがとう。さっきは助かったよ。だけど、無理はしないで。
君にも…それから僕らにも」彼は淡く苦笑した。「何かあったら困るから」
「うん、分かってる。
………ごめん。やっぱりちょっと、疲れた…」
「そうだな…僕もだよ。ここで、このまま休んでいかないか」
誰からともなく溜め息が漏れる。それが皆の、肯定の返事の代わりだった。
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