第一章 風の呼び声
1 光の啓示
(1)兄妹
「うわあぁぁぁ!!」
天と地をひっくり返すかと思われる悲鳴が、暗闇に響き渡った。
堅い岩盤がそれを方々で跳ね返して、奇妙な余韻を残す。
「う〜、痛ててて…」
少年は、何が起こったのか判らぬまま、周囲を見回した。
……薄暗い。痺れた頭に、どうにか考えを巡らしてみる。
たった今まで、真っ暗な中を歩いていたのだ。
とりあえず、何がどうなったんだっけ?…少年は思い返した。
村の守り神だと聞かされてきた、『風のクリスタル』の祭壇── それが、
この前の地震で地下に沈んだって話だったっけ。
決して小さな災害ではなかった筈だ。そうでなければ、
祖父があんなに切羽詰まった様子で、頻繁に外部とやりとりする筈がない。
第一、クリスタルは世界の柱だ。
それを祀った祭壇が沈んでしまうなど、 ただごとじゃない。
…なのに、村にはさして被害がなかった。多分、他と比べれば。
何故か。…当然「『風』の加護があったからだ」という話になり、
それから ── 自分たちの身の回りが落ち着くと ── 自然、人々は
クリスタルの祭壇が無事かどうかを案じ始めた。
祭壇の様子を確かめるため、調査隊が結成された。
彼らの報告によれば、祭壇のあった神殿は地に没し、跡形もなく
土砂に埋まっているという。
…祭壇の在った丘の上、側面の地層部分には、穴が口を空けていた。
ぽっかりと、まるで人を中に招き入れるかのように一カ所だけ、
空洞が出来ていたのである。
穴は小さく、大人が入れるようなものではなかった。
しかし、奥には確かに広がりがあるようだ、と見てきた若者達が言う。
注意深く表面の穴を広げ、それから奥を調べてみるべきだと。
…これを聞いて、黙っていられるわけがない。少年は思った。
だいたい大人たちは、いつも事を運ぶのが遅すぎる。
何かあると、やれ会議だ何だって…そうして結局、様子見と称して何日も…
── 下手をすると一月以上動かない時もある。
実際、他からあまり良くない知らせが届くせいだろう。長老たちは、
このところ難しい顔をしてばかり、誰もがどこか落ち着かない。
村の中のことだけで手一杯なのだ。
訊ねれば「お前には関係ない」とそっぽを向かれる。
さもなくば大丈夫と笑うくせに、ちょっと目を離すと浮かない顔をする。
俺たちが何も解らないと思ったら大間違いだ。…彼は拳を固めた。
相手にしてもらえないことに腹を立てただけだったのだが、
彼の言い分には一理あるかもしれない。
子供は周りの空気を鋭く読む。特に不安には敏感なものだ。
ある日、彼は三人の兄妹に言った。
「俺たちが行くしかないって!」
「行ってどうするんだ」と兄。
「止した方がいい。まだ何があるか分からないんだから」
「だったら尚更じゃん。
どーせ じっちゃんたち、当分あそこには行かないぜ。
待ってたら、何時クリスタルの無事が確かめられるか分かんねーよ。
その間にクリスタルに何かあったらどうする?」
「怖いこと言わないでよ!」
弟が怯えた様子で言った。
『風』の恵みをめいっぱい受けてきた村人にとって、それを失うなど
想像もつかない。そして、もし失ったら、深刻な影響が及ぶに違いないのだ。
「な?だからこれは、村のためにやることなんだ。
俺たちが どうにかするっきゃないだろ?」
「でも、おじいちゃんもお母さんも『行っちゃいけない』って」
「クリスタルを見つけてみろ、怒るどころか喜ぶさ。
れっきとした人助けだよ」
と、彼は熱弁を振るった。が、もちろんそんなものは建前だ。
本音は、スリル溢れる冒険が待っていそうな
真っ暗闇の洞窟に行ってみたい、それだけだった。
好奇心の顕れ以外の何物でもない。
それもその筈、彼はまだまだ遊びたい盛りな年頃 ── 何と言っても
十代前半の少年なのだから。
大人しく言うことを聞いて退屈な村の中に居るなんて!
「あんたは探険しに行きたいだけでしょう」
妹が腰に手を当ててズバリ言い当てる。
勢いづいていた彼も一瞬怯んだが、すぐに切り返した。
「じゃ、お前は行かないんだな。…怖いんだろ」
「…っ怖いなんて言ってないでしょ。いいわよ、行ってやろうじゃないの!」
こうして、妹を唆し、渋る弟を無理矢理引っ張り、
監督役をかって出た兄を引き連れて──少年はお目当ての神殿跡へとやって
きたのだった。
思った通り、大人では通れない穴は彼らなら通ることが出来た。
兄はじき大人に仲間入りする年頃、長身を折り曲げるのに苦労していたが、
それも入口を潜ってしまえば、必要が無くなった。
中は思いの外広く、きっちり立って歩ける高さと、広さがあったから。
最も、所々高低差はある。足場が凸凹して歩きにくい箇所もあった。
それでも空洞は、確実に奥へと続いていた。
四人の兄妹はランプの小さな明かりを頼りに、
一人通るのがやっとの細い通路や下り傾斜を経て、深部へと辿り着いた。
「ねえ、帰ろうよ。おじいちゃん達に怒られちゃう」
「馬鹿言え。先があるのに」少年は、自分の背中に張りついている弟に言った。
「ほら、ちょっと広くなってるみたいだ」
「やれやれ、やっと終点か」
天井に合わせ、頭を低くして通り抜けた兄が、妹に手を貸す。
「なかなかに探険し甲斐のある洞窟だな」
「だろ?まだ奥がある。行ってみようぜ」
「馬鹿言わないで。これ以上行って、迷ったらどうすんのよ」
「一人で帰るか?怖くなったんならそれでも…」
「── 冗談でしょ!」
妹は間髪入れずに否定した。今更一人で戻るなど、できるわけがない。
真っ暗が怖いとか ── そりゃ少しは怖いけど ── そんなことより。
帰ったら、問いただされるに決まってる。
何より彼女は、弱虫だから、女だからと、
この次兄に馬鹿にされるのが大嫌いだった。
もちろん、当の次兄はそれを承知の上で言っているのだが。
…しかしまあ、あの時点で帰っていれば確かに、
痛い思いをせずに済んだのかもしれない ───
少年はまだ痺れている頭をさすりさすり、上を見上げた。
多分、あそこから落ちてきたのだろう。何気なく踏み出した所が、
たまたま脆くなっていたのだ。
足元の感覚が消え失せた、と気づいたときにはもう遅い。
突然重みを掛けられた脆い足場はたちまち無くなり、
あろうことか全員を巻き込んで崩れた。
当然ながら内緒で出てきたので、村の誰も四人がここに居るとは知らない。
いや、もしかして、そろそろバレてしまった頃だろうか。
さんざん危険だと聞かされていたし、見つかったら只では済まないだろう。
拳骨の一、二発ならまだ良い方だ──…おっと、
今はそんなこと気にしてる場合じゃない。
いよいよ意識がはっきりしてくると、少年は自分の怪我を確かめた。
腕はちゃんと曲げられる。手も、足も、肝心の頭も…
傷ひとつ無いことが判ると、我ながら感嘆してしまった。
………。大丈夫。ナイフも薬の入った袋も、ちゃんと腰のベルトに
くくりつけてある。探険には無くてはならないものだ。
切れ味の良さそうな長剣や、諸々の道具類、
果ては祖父が大切に保管している、いかにも貴重そうな瓶詰め…
(――よし、ちゃんとあるぞ)
わざわざ大人の目を盗み、見つかるか否かギリギリの危険まで冒して
拝借してきたのに、無くしてしまっては元も子もない。
エメラルドの瞳を満足そうに瞬いた少年の背後で、
「…やれやれ、今のはちょっと効いたな」
心底痛そうな声がした。
自分の兄のものだと判ったので、彼は慌てて振り返る。
…暗さに目が慣れてきたようで、ゆっくりと立ち上がる長身が見えた。
どうやら無事のようだ。
「キャンディ」
「ムーン?そこに居るのか?……ああ、大丈夫か?怪我は…」
「俺は、何ともない。とりあえず上手く ── っていうのかな、落ちたからさ。
…ポポと、アリスは?」
ムーンは弟と妹のことを訊ねた。
キャンディが答えようと口を開きかけた途端、元気すぎるほど元気な声がした。
「あたしも大丈夫よ!」
…こちらがアリス、彼らの末の妹だ。
「吃驚したけど、キャンディがクッションになってくれたから…
えへ、ごめんなさい」
「げっ、潰したのかよ!?キャンディ、ほんとに大丈夫か!?」
「…あんたね、何が言いたいわけ?」
キャンディは内心溜息をついた。
いつものように、馴れあいが本気のけんかにならなければ良いけれど。
本当に、何かあればすぐ言い合いを始めるんだから…
とりあえず今は、そんなことをしている場合ではない。
2人を両手で制しながら、キャンディは素早く暗闇に視線を走らせた。
下の弟を捜してだ。
幸い、目を凝らすと倒れている弟の姿がすぐ見つかった。
が、動く気配がない。
「ポポ!!」
慌てて駆け寄ると、ムーンとアリスもはっとして後に続いた。
無事を確かめる。どうやら、外傷は無いようだけれど。
「ポポ…ポポ、大丈夫か?」…ぴたぴた、と軽く頬を叩くと、
小さな弟は群青色の瞳を、ぼんやりと開けた。
「………」
「大丈夫か、どこも痛くないか?」
「!」
ポポは今度はぱちりと目を開け、続いて忙しなく自分の身体を確かめた。
…手はついている、足もついている。見えてるし、聞こえてる。
取り立ててどうということはない、ああ良かった!
── すっくと立ち上がろうとして足下をふらつかせたところを、
キャンディが支えてやる。
…やがて、服に付いた埃を払い終えると、彼はにっこりした。
「うん、大丈夫。どこも痛くないよ。まだちょっと、くらくらするけど」
「心配させやがって。全く、お前はとろいんだからな」
「…っ何だよそれっ」
── 笑顔が膨れっ面に取って代わる。たちまち、言い争いが始まった。
「だいたい、僕は止めたよ!嫌だって言ったのに。ムーンが
聞いてくれないから…!」
「……。何だよ、俺のせいだってのか!?」
「そうだよ、いっつもそうじゃないか!」
「ならお前、もっとしっかり止めろ。何かにつけてぐずぐずしやがって。
言いたいことあるならハッキリしろ、ハッキリ」
「…っ言ったら君は聞くの!?無茶苦茶だよ、君の言う事!」
ポポはやけっぱちになったように叫んだ。泣き出しそうだ。
そんな彼に、妹は颯爽と加勢した。一気にまくし立てる。
「そうよ、間違いなく言い出しっぺはあんたでしょ!
あんたがあれ以上進まなければ、落っこちることだってなかったのよ。
今頃村に帰ってたわ!」
「お前らが一緒に落ちなきゃ良かったんだ。
何も底まで一緒についてきてくれ、なんて俺は頼んでないね!…
── そっか、そうだよなあ。お前らの鈍さじゃ、
あれは避けられねーよなあ」
「鈍くて悪かったわね!お馬鹿の誰かさんよりマシよ!」
「誰のことだよっ」
「自分の胸に手ぇ当ててよーく考えてごらんなさい!
ここまで言って分かんないようじゃ、もうダメよね」
「……っこの野郎…!」
真っ赤になって思わず拳を固めようとするムーンの横で、
キャンディは内心頭を抱えた。
些細な一言がきっかけで始まってしまった言い争いは、
止める間もあらばこそ…あれよあれよと、熱を帯びていく。
……やめよう、こんなこと。今ここで喧嘩をしたところで、何も解決しない。
「ほらやだ、すぐ力で解決しようとするの」
「お前は少し黙っとけ!…ポポ、文句があるなら言ってみろよ」
「……ぼ、僕……!!」
分かるよ、気持ちは分かる。痛い思いをして…いきなりこんな処に落ちて。
真っ暗で、出口も判らなくて。
「あんたの馬鹿力で殴られたらどうなると思ってんの?」
「知ったこっちゃないね! ─ てか、『馬鹿』は余計だ、余計!」
「あ〜ら、そうかしら?…何よ、やる気?」
「面白れぇ、受けて立つぜ」
そうだろう?みんな同じ。心細くて、怖いんだ。誰かのせいにしなきゃ、
やってられない。何かに当たらないと ── そうしないと、冷たい不安に
押しつぶされそうで ── 暗闇は、人を無条件で不安にするから。
「何よ、単細胞!」
「何だと!?」
よく分かるよ、でも……だけど!!
「やめーーっ!!!」
場を揺るがす大音声。叫んだのは誰あろう、キャンディだ。
思わずびくっ、として三人が振り返る。
それまで静かに成り行きを見守っていた筈の ── 決して それだけでは
なかったが ── 長兄は、腕を振り立てて、弟たちの間に割って入った。
「止めだ、止め!静かに」順繰りに、顔を見回しながら言う。
「僕たちここに、喧嘩しにきたわけじゃないだろう…!
そんなことしてる暇があったら、出口を探そう。ここから出なきゃ」
言葉はあくまで変わりなかったが、相当に おかんむりであることは
三人にも察しがついた。
いつも雲間に射す陽光のごとく穏やかに細められる金の瞳は、
刃のようになっているし、ゆったりと姿勢を取っている筈の肩は、
先程まで確かに細かく震えていたようだ。
…そんなこんなで、普段 物静かな長兄が怒鳴ったとあって、
これは充分に効き目を発揮した。
平静を取り戻した四人は、脱出の相談を始める。
「……。ここ、登れないか」
ムーンが岩肌を調べ、言った。
…対して、キャンディは首を横に振る。
「無理だろう。ほとんど垂直だし、表面だってこれじゃあ……登りきる前に
足を滑らせて、怪我するのがオチだよ」
「僕も、登る自信ない…」
「ロープ持ってきたのにね。落ちる前に結んどけば良かったわ」
妹があんまり悔しそうに言うので、キャンディはつい、笑った。
「後悔は先に立たないからなあ」
「誰も捜しに来てくれそうもねえしな〜」
「当たり前でしょ。もし来てくれたとしても、
あたしたちみんな、帰ってからこってりお説教よ」
「仕方がない、奥を歩いてみよう。ほら、空洞が出来てる」
見ればなるほど、キャンディの示す先には、更に濃い闇が
ぽっかりと口を開けている。
…何だかおいでおいでをしてるみたいだ、とポポは思った。
このまま行ったら二度と帰ってこられないかもしれない!
─── 今にも足が震え出しそうだったが。
「ランプを無くしちゃったからなぁ…
ポポ。持ってもらった、予備の松明。無事かな?」
…ふと言われて、我に返る。
肩に温かい掌を感じると、たちまちほっとした。
キャンディのさり気ない気遣いに感謝しながら、小さな背負い袋を降ろして
中身を確認する。
やがて、彼は答えた。努めて明るく、元気な声で。
「うん、使えそうだよ、大丈夫」
灯をともすと、周囲に温かな光が溢れた。
誰もが抱えていただろう不安が、明かりひとつで薄れてゆくから不思議だ。
「そーいや俺ら、クリスタルの祭壇捜しに来たんだったなあ」
今更ながら思い出して、ムーンが呑気に言った。
「だから。あんた最初っから自分でそう言ってたじゃない」
「……。まさか忘れてたの?」
「『村のため』だったっけ?」
呆れ顔の妹、途方に暮れたような弟。更に兄までも、
くすくすと笑いを漏らしながらこんな事を言う。
「えー…と。まあ、そういうことで。頑張ろうぜ」
向けられる三組の視線を受けとめるのは何ともばつが悪くて、
ムーンは頭を掻きながら笑ってごまかした。
「それじゃ、行こうか」
「あるのかなあ、クリスタル。無事なのかな」
「名誉挽回のために、ちゃあんと見つけて帰らなくっちゃね」
「よっしゃあ、ここからが本番だぜ。…みんな、気合い入れて行くぞ!」
「おーっ!!」
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