(19)食い止めろ!
少年たちは、溢れ出した暗黒の靄と対峙した。
魔導師ハインの骸を脱した この真っ黒な"モノ"は確かに意思を持ち、
そこに"生きて"いた。『お前たちも取り殺してやる』と言わんばかり、
暗黒は膨れ、伸び上がる。
そして、長老の木を締め上げていた青緑色の蔓もまた、
いつしか勢いを得て広がった。
「うわっ!」
ポポを掴まえ損ねた蔓の先っぽが、再び獲物を探してうねる。
蛇が鎌首をもたげる様に そっくりだった。
「ポポ!魔法使って焼き払えねーか!」
「無理!」
即答だった。
「精霊がぐっちゃぐちゃ…こんな中で使ったら、何が起こるか分かんない!」
ムーンが支えてくれていた兄の手を離す。
苦しいとか痛いとか辛いとか、言っていられる状況ではなかった。
その場に留まっていたら、いつか全員纏めて捕まる。
とにかく動かなければ。この暗黒に打ち勝つ方法を見つけなければ。
だが、アーガス王の剣はもう青緑色の蔓に巻かれ、
暗黒の湧き出す中心点に埋もれてしまっている。
―― さっき、手を放さずに居ればよかったのに。
足元を掬われそうになり慌てて飛び退くと、負傷した身体のあちこちが痛んだ。
…疲労と、目の前の奇妙な光景に吐き気がする。
「捕まるなよ…っ!」
辛うじて口にした言葉は、果たして兄に届いたのかどうか。
兄弟は離散した。シュウっと唸って攻撃を仕掛けてくる蔓、暗黒は濃さを増す。
三人とも必死だったから、策は無くとも走れるだけ走って、ともかく逃げた。
しかし、無駄な抵抗だったようだ。
「! ちっきしょう、放せ!!」
「ムーン! ―― わっ」
「…っ」
結局 一人、二人、と気味の悪い巨大蔓に絡め取られて、捕縛される。
ムーンが歯を食いしばり、
ポポが顔を再び蒼白にし、
キャンディが膨れあがった暗黒から思わず顔を背けた。
このまま暗黒に取り込まれ、消えてしまうのだと思った。
「アリス!!そういやあいつ、…何やってんだ?」
ムーンが言う。
切羽詰まった状況にもかかわらず、妙に暢気に聞こえてしまうのが可笑しい。
ポポは高く持ち上げられた状態で妹の姿を探した。
そして、見つける。目を閉じ、青緑色の蔓によって、長老の木に
磔(はりつけ)同然に束縛されていた。
「アリス」
いよいよ絶望的だった。
逆さ吊りにされたキャンディは、暗黒の靄に満たされた空間を為す術無く
見つめていたが、ふと眼下の床に目を留めた。
―― ハインが描いた、素晴らしく機能的な魔法陣。
敗北の予感。いつの間にか諦めていたのかもしれない。だが
麻痺して働かなかった思考回路が、ふいに出てきた「生きたい」という欲求に、
往生際悪くも回転し始めた。…何とかあの魔法陣を利用できないか?
思い当たって、思いつく限りの あらゆる手段を考え出す。しかし、彼の策は
すぐに袋小路に行き当たる。
(どうするっていうんだ…!?)
先に繋がらない。無事に生きて帰る可能性に辿り着かない。
自分の取るに足らぬ、付け焼き刃の知識では。
目の前に、答えを導き出す道具が置いてあるのに、使い方が分からないなんて。
歯がゆさに、頭の中が白熱した。
追い打ちを掛けるように暗黒は煙って、意地悪くも描かれたヒントを隠した。
そこへ、ふいに空気の流れを感じた。
最初、それはアリスが縛りつけられている菌糸が寄り集まったような柱から来た
気がした。
キャンディの額に掛かった銀髪が、微かにそよぐ。
やがて、風が起こり、停滞して淀んでいた場の空気と暗黒の靄に動きが見える。
空気は渦を巻き、靄を散らした。円形に暗黒の靄が吹き払われた…その中心に、
きらりと輝く黄金色の束。蔓に巻かれた、アーガス王の剣だ。
まるで、「諦めるな」と言われているようだった。
必死で目を凝らし、頭を巡らせ…キャンディは気づいた。
自分たちを束縛している この青緑色の蔓が、
アーガス王の剣に集中して群がっていることに。
…そして。黒く煙る靄の向こう、きらきらと光を放つ六つの瘤…今や、それは
白く透明な光を放つ鉱石に見えた。そこへ、螺旋状に蔓が巻き付いている。
「!」
「キャンディ!あの周り!」
ポポが叫んだ。
「安定した!精霊たちが綺麗に集まってる」
「どういうことだよ!」と、キャンディではなく、ムーンが問う。
「きっと〈魔法〉使っても大丈夫!」
ポポは、ぎゅっと抱えた二本の棒(ロッド)を、目で示した。
取られまいと必死だったのだろう。
炎が宿る彼の杖と、ドワーフのくれた氷の霊力が宿るもの。
〈火〉。 〈風〉。 〈水〉。 〈土〉。…そして。
「だからどうするって!?」
耳が痛くなるくらいの大声でムーンが叫んだ。
キャンディは はっと気づいた。
気がつけば、手を伸ばせば辛うじて届きそうな箇所に、ムーンが居る。
その、彼の懐に…
「ムーン、それは?」
「え。おおキャンディ!いつの間にそこに?」
「お前の持ってるの」
「ああこれ?お前が『大切に持ってろ』っなーんていうから、
この通り肌身離さず持ってるんだぜ?」
ネプト竜から託された、『水の牙』だった。
青色に輝く、ごつごつとした氷に見える。何万年もの前に蓄積された氷を
切り出したら、こんな風なのだろうか。
「貸してくれ」
「は?」
素っ頓狂な顔をするムーン。
それもその筈、この牙はムーン以外『持っている』ことができない。
特定の者しか所持できないよう不思議な力で護られているらしく、
『水の牙』に関して言えば、ムーン以外の者が触れた時点で、一旦
水滴になって散れるのだ。
「僕が合図をしたら、あの中心に向かって投げるんだ」
キャンディは、剣のある黄金色の中心点を示した。
「お前、言ってることが前と ちぐはぐだよ?」
「考えがあるんだ。躊躇したら終わりだと思ってくれ」
「……」
確かに細かく説明している暇はなさそうだし、聞いている間もなさそうだ。
―― キャンディは、今度は末弟に叫んだ。
「ポポ!あの剣に向かって〈ファイア〉を撃てるか!?」
「うん!!〈ファイラ〉じゃなくていい!?」
「この規模なら〈ファイア〉で十分だ!それ以上だと困る。
三、二、一で合図するから」
言いながら、キャンディは何とか自分の持つ細剣(レイピア)を抜いた。
腰のベルトを隔てて下向きに構え、蔓に当てる。
「うん!」
鞄の中に入れなおした本を今開くことはできないから、魔法陣に関しては
自身の記憶力が頼りだった。
正直言えば、彼は迷った。―― 吉と出るか、凶と出るか。
古の書物から短期間で仕入れた知識を自身で試すなんて、
あまりに危険な賭けだったのだ。
だが、生死を問われたこの状況で、彼は決断に踏み切った。
「行くよ!!」
―― ポポが呪文の詠唱に入る。指先を動かすのはごく僅か、
魔力をたっぷり集めた瘤がきらきらと光を放ち、彼に呼応を始めた。
「三」
呼び寄せられた炎の精霊が、さんざめく。
「二」
―― ムーンが構えた。体温に馴染んだ水の牙は、掌で再び少し熱を奪った。
「一」
固く閉じられたアリスの瞼は、微動だにしなかった。
「〈ファイア〉!!」
ポポがアーガス王の剣めがけて火球を打ち込む。ごお、っと音を立てて、
火は中心から蔓にそって燃え広がった。
――と、まるで炎が意思を持ったかのように、綺麗に蔓を焼いていく。
ハインの創り出した装置と六つの媒体は、力強く輝き…これ以上
魔力を還元しなかった。
「ムーン!」
キャンディは叫んだ。
渾身の力で、何とか千切れた闇の蔓。
ムーンが手放した水の牙は、きらきら輝き落ちていく。
キャンディは、それに必死に手を伸ばし…
「!」
捕まえた!と思った途端に感触が失せたので、一瞬ヒヤリとする。
だが、ぱしゃあん、と水がはじける音がした。
魔法陣の真上で、小さな水滴が散れる。魔法陣はそれを一瞬で増幅させた。
ムーンは、床に刺さった剣の中心点が、炎と『水の牙』の双方によって
目映く輝くのを見た。
青緑色の蔓を伝って、火が駆けていく。
遅れて、水の牙の輝きが、炎を追いかけた。
―― アーガス王の剣の束に居る鷹が、風を巻き起こしたように見えた。
事実、強い風が起こり、煽られたからだ。
火も、水も、その風に後押しされて、剣から広がったように見えた。
「―――」
ふ、と束縛が消えた。悲鳴を上げ、したたかに身体を床に打ち…
ムーンは誰にともなく、思いっきり文句を言おうとした。
すると、それより先に妹の…アリスの声が聞こえてくる。
「いったーい!!」
放心状態で居たらしいポポが我に返る。
ハインを虜にした暗黒は消え、闇の蔓も綺麗さっぱり無くなっていた。
『水の牙』は、驚いたことに、以前同様 元の形で床に落ちていた。
ムーンは、それを拾い上げる。
「お疲れさん」
キャンディは、風に煽られて剣の上への落下は免れたが、床にのびて
今度こそ本当に気を失っていた。
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