(16)堕ちた神官
怯えを隠すことなく露わにしたポポに、心底残念そうな声が届けられた。
「これは…私としても傷つくな。わざわざ
ここまで来てくれたのに、またいなくなってしまうのか?」
「!」
声の主の姿は、こちらから捉えられない。
だが声は、頭の中に響くのでも、空間全体に響くのでもなく、
しっかり空気を通して はっきり伝わってきた。
しかし、この距離感に対してこの大きさは どうだろう?
やはり何らかの魔法が働いているのでは、とどうしても勘ぐってしまう。
だが、ここまで来たら同じだ。その辺の理屈なんかどうでもいい。
「ハインか!?」
「正解」響いた一言の末尾に、ふっと笑った気配がする。
「いささか待ちくたびれた。そろそろ話しかけても良い頃かと思ってね。
…ようこそ、私の城へ。待っていたよ、『光の戦士』諸君」
一行は、不安と緊張を募らせて身構えた。
この喋り方だけでも ―― 相手の強い自信が分かる。
まともに耳を貸しては、こちらが呑み込まれてしまいそうだ。
「本当は私自ら迎えに出向きたかったところを、こうして
温和しく待っていたというのに」
「嘘つけ!」
「あ……」
行かなくては。みんなと一緒に。
しかし、ポポの足は正直に後ずさりをした。
「どうした、もう少しだよ。こうして待っているのに。――ポポ」
「!」
驚愕の表情を浮かべたポポと、咄嗟に片腕で制し庇う姿勢を取ったキャンディ。
「脅しに乗るな!」 ムーンは弟を叱咤し、奥に向かって叫んだ。
「今行ってやらあ、首洗って待ってろ!!」
「あんたこそ挑発に乗ってんじゃないっ」
「そうか。では、おいで」
―― とん、と床を突く音。
一行が足をつけた部分が、水と同じ緑に輝いた。
足元に現れた不可思議な紋様を気にする間もなく、
四人は敵の目の前に引っ立てられた。
短い距離を、転移させられたのだ。
元アーガス国『炎の神官』であり、優秀な魔術研究家でもある男 ――
魔導師ハインとの、ご対面である。
ハインは、痩せた壮年の男だった。神官というより魔導師の印象が強いのは、
その衣装の所為であろう。上品さの中にも、煌びやかな派手さが隠れている。
ともすれば、吟遊詩人や奇術師にも見えた。
黒地に極彩色の羽根飾りがついた鍔の広い帽子を被り、
長く伸ばした髪は癖のない、色の薄い金髪。肌は白く、瞳は青。
美形の代名詞のような容姿だが、白い肌に滑らかさはない。代わりに
過ごしてきた年月が皺となって、くっきりと刻み込まれていた。
ハインは、軽そうで真っ白い羽マントを翻す。
その気取った動作と共に、ほのかな香(こう)の匂いが鼻をくすぐった。
ほのかな甘さが、癪に障る。
カツン、と鳴らした踵に合わせて、長靴の金属飾りもまた、
シャラン…と涼しい音を立てる。
「ようこそ、君たち」ハインは一行を見渡して言い、
「ポポ…」小さな黒魔導師を最後に目に留めた。「おかえり」
親しげな物言い、優しく細められた青空色の瞳。微笑んだ唇。
その全部が、自分を歓迎してくれているのは確かなのだが、
ポポの中では、喜びとは全く別の感情に直結した。
―― 会いたかった?会いたくなかった。
戻って来たくなかった。…そう、戻ってきてはいけなかったんだ。
「……あなたは、誰ですか?」
「おや、しらばっくれて。私を焦らす気だね」
「僕は、知りません。知らない…あなたのことなんか!」
完璧に相手に呑み込まれた状態で、ポポは声を荒くする。
(だめだ、こりゃ)
切羽詰まって重苦しい気分で、ムーンは内心呻いた。
いつ飛びだそうかと考える。…真剣に成り行きを見守りながら。
「ああ、そうか。クロードの奴、君に術を施したのだったね。
それで、私のことも忘れてしまったというわけか…」
クロード?耳慣れぬ名を聞かされて、ポポの困惑と恐怖に拍車が掛かる。
ハインはその心を手にとって、ころころと転がしているようだった。
「その様子では、両親のことも知らなそうだな。
―― どうかな、思い出したくはないか?父のことを」
「そ…」
弟と一緒にアーガス王の話を聞いたキャンディには、
過去のいきさつが良く分かった。
――『面差しも良く似ている』
ポポは父親にそっくりだと、王は微笑んだ。
但し、彼はポポと違い、柔らかな黄金の髪と、青空色の瞳をしていたそうだ。
漆黒の髪と色の濃い瞳は、母親譲り。恐らく気質も母親似だろう、という。
ポポの両親はハインと共に魔術研究に取り組んでいたのだ。
だから、幼いポポが ―― 当時ハインと面識があり、両親の教育もあって
魔法に慣れ親しんだのだとしても不思議はない。
記憶は無くとも、経験は残った。―― そういうことだ。
母や祖父がどこまで知っていて、どういう判断を下したのか
キャンディには分からないが…祖父は、ポポにやがて〈魔法〉を教え始めた。
ポポは、ある日突然 家に居た。
朝、起きてきたら、食卓で母ニーナが
見知らぬ小さな男の子を相手に世話を焼いていて、ムーン共々
吃驚した憶えがある。
「誰!?」
問うた途端、ポポはカーテンの陰に隠れてしまったのだった。
「…………」
「そんなこと…」
―― あの時の怯えた顔が、今に重なる。
火のクリスタルに会って『光のちから』を授かったことで、
やっと自分の足で立って歩こうとしていたのに。
キャンディは声を掛け前に出ようとしたが、他ならぬポポの声が
それを止めさせた。
「そんなこと、しなくていい。今更 ―― 要りません!
僕は、僕だから。ウルで育って、今ここに居る。それだけで充分です!」
「ポポ」キャンディとアリスの顔が、ぱっと輝く。
「よぉし、よく言った!」 ムーンがぐっと拳に力を入れた。
「そうか」ハインは意外そうな顔をした。「では、質問を変えよう」
「伸び始めた優秀な芽を摘むのは惜しい。父親の代わりに、私と来なさい」
「質問じゃねーじゃん!」
そう。ハインが投げかけたのは質問でも願いでもなく、命令だった。
「私なら、もっと君の才能を大切にしてやれる。
私は君に、この世ならぬ知識と技を授けよう。
その代わり君は、その才能を以て私の手助けをしておくれ。
そして、私と共に見極めるんだ。
歴史に埋もれた真実と、純粋かつ偉大な力の在処を」
「そんなもの知って…手に入れて、あなたはどうするの?」
「どうもしないよ?なに、純粋な知的好奇心さ。それ以外に、何がある?」
「嘘だ! 好奇心だけで、そんな風になるもんか…
本当に、本当に知るだけが目的だったら、こんな ――
こんなに、みんなに迷惑掛けなくたっていいじゃないか!!」
最初大きく―― やがて震えて細くなった声が、再び強く喉から迸る。
ハインは、それを悠然と受け止めた。
わざとらしく(子供たちにはそう見えた)残念そうな顔をつくり、言うのだ。
「そうもいかない。ただ知識を呑み込むだけなら良いが、
真実を求めるとなると、それに応じた実証が必要になるんだよ。
私は研究者だから、必要な実験はやる。
理論を組み立てるだけで分かるのなら、それが一番良いんだがね…
実証して見せないことには、真実にならない。只の予測で終わってしまう。
予測で終われば、ド素人は、嘘だペテンだと煩く叩く」
――『お前をつれていくべきじゃなかった。ごめんな、怖かったろ?』
――『この子を私の養子に。是非、必要なんだ』
――『勝手を言うな!』
――『何故だ!この素晴らしい力 ―― 私に預けてくれれば、必ず立派に』
冬の太陽と、真夏の太陽。―― どちらも青空にあり。
暖かい火と、激しい火。 ―― どちらにも、包まれて。
思い出の彼方、体の奥底に隠れた記憶。
そこに刻まれたのは、酷く似ていて、同時に全く対照的なものである。
―― 強かったのは、果たしてどっちか。
助けを求めて、子供は泣いた。
優しかった人が、目の前で為す術もなく炎に焼かれるのを見て。
『イタイ ―― アツイ』
ハインは、焦がされながら、同時に焦がれた。―― 途方もない力に。
伸ばした手の先に、白い炎。目にした瞬間生じたのは、無念と喜悦。その両方。
―― ハインは、思い出に暫し浸り、やがて現実を見た。
己は焼かれたが、幼子には やけど一つ無かった。
「思えば、クリスタルはあの時、既に君を選んでいたのだな。
つくづく、期待以上だよ。本当に ―― 逢いたかった」
呼びかけには、熱が込められ…甘い微笑と、言い表せぬ喜びと。
肩を震わせる。くつくつと…笑っているのだ!
魔導師ハインはそれを何とか宥めて、とん、と杖の先を床に突いた。
すると、真っ黒な靄が、彼の後ろ ―― 白っ茶けて元気のない、
ねじ曲がった枝の隙間から、這い出て来た。
急速に広がりつつある。暗雲のようだ。
四戦士は、息を呑んだ。
ハインが堂々と四人に背中を向ける。
「素晴らしい――……」
正気の沙汰じゃ、ない。
「この暗黒の生み出す力は、美しい――!」
「な…なに…?」
アリスが呟いて、凝視した。
この暗闇。気味悪いのに、思わず見守ってしまう。
ごわ、ごわ、と…闇か、それとも闇に軋む捩れた枝なのか、奇妙な音を立てる。
長老の木の苦しみが、彼女の中では重なっていた。
「あのクリスタルにも匹敵する力だ。素晴らしいだろう?」
ハインは言った。
「私は、一度 火のクリスタルに焼かれ ―― こいつに助けられた。
こいつは荒ぶる『光』を抑え、安らぎを与えてくれる。
それだけではないよ。純粋で瑞々しく、途方もない強さを秘めている。
この、私の『暗黒』と、君たちの『光』―― もし上手く合わせて
使いこなせたら、どんなに強い〈魔法〉が出来上がるだろうね?」
青い目に振り向かれて、びくりとポポの全身が震える。
得体の知れない恐怖が、『蘇った』
隅々まで観察するその目が、本人だけでなく三人の兄妹にも恐怖を植えつける。
―― 強敵だ。今までの何より、誰より。
自分に絶対の自信を持ち、自らの行いは正義と信じて疑っていない。
一方で、欲しい物は必ず手に入れてきたに違いない。
一種の最も危険な狂気を、四人はこの男に見た。
「ポポ。同じ〈魔法〉の道を歩む者として、後生の頼みだ。
私にもう一度、力を貸しておくれ。
君の魔力もまた、純度の高さは一級品だ。
君が協力してくれれば、きっと望ましい結果が得られる」
「…ぃ……」
「何より、その素質を存分に発揮してみたいと思わないかね」
「いやだ!!」
ハインは おや、と首を傾げた。
ふいに駆け抜ける、意外さと残念さ、淋しさと、少しの悔しさ。
一方、ポポは必死に拒絶した。
「絶対いやだ!間違ってる!」
目の前にするだけで、こんなに怖いのだから。
それを聞いたハインは、
心から子供を愛おしみ、哀れむ表情をしたかと思うと ―― さっと消した。
「ははは、ふられてしまったよ」
誰にともなく、彼は言う。そして、
あろうことか再び四人に堂々と背を向けた。
―― ごわ。ごわ。ごわ。
「笑っているのか?酷いな」
恍惚とした表情は、四人の側からは見えなかったが…それでも寒気がした。
甘い甘い声色は、恋人を待ち続け、窓辺ににじり寄る詩人を彷彿とさせる。
「そうか…」 やがて、ハインは一人、納得した。
―― 白い頬が、見事に干涸らび、削げ落ちて消えた。
手も皮ばかりになり、やがて爛れて無くなり、固い骨が露わとなる。
「ポポ。ぶちのめしていいな?」
「え」
「分からぬか。この力の素晴らしさが」
―― 青い瞳は失われ、目が落ち窪んだ。
豊かな長い金髪は白へ色を変え、一部 干涸らびて抜け落ちる。
「手強いぞ、気をつけろ」
「本性、表したわね!」
ハインの様相には、もう先程の親しさが微塵も無い。
振り向いた時には、文字通り表情すら残っていなかった。
感情を亡くしたはずの、死者の空虚な骸が、喋る。
「ならば、"お前" など居なくとも ―― 私はこの力を使い、
万物を操ってみせる。
そして、これを足がかりに、やがては世界の支配者となろう…」
光の四戦士は、恐怖に表情を強ばらせた。
在りし日の面影はいずこか。
魔導師ハインは、白骨化してなお、確かにそこに生きていた。
彼の魔法理論と裏腹に、自身の存在や目的に多くの矛盾を抱えて。
―― 少なくとも、若き四戦士には、そう映った。
この空間と同じく、歪んで捩れた存在に。
「邪魔はさせん!!死ね!!」
魔法陣が彼に喚び起こされ、緑色に光った。
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