(13)敵か?味方か?
「私は、アーガス。砂漠の北、大平原にある城の王だ。とは言っても、
今は誰も居ないだろうが…」
暗闇の中で、男は、自ら名乗った。
アーガス王 ―― トックル村を襲撃した兵士たちの主が、目の前に居る。
跪くこともなくジロジロ無遠慮に見つめてしまったが、
本人から「無礼な!」と叱責が飛んでくることは無かった。
だいたい、ムーンはこういう時の礼を良く憶えていない。
何かきちんとした方がいいかな、と ちらっと思ったが、
それらしい作法が出てこなかった。
それに拍車を掛けたのが、『王』と聞いた瞬間に生じた、驚きと疑問だった。
「何で」
ムーンは顔を上げたまま、兄や妹が止めるのもお構いなしで、
直々に王に問いをぶつけた。
「何で王様が、ここに…?」
言い方を変えれば、この王がトックルの村を襲った張本人だと――
うっかり口に出して、指摘してしまった。それで、とうとう
お付きの二人のうち、一人が気色ばんでムーンに掴みかかる。
「お前…っ」 「!」
「止めろ!」 対する もう一人は、咄嗟に制そうとした。
「わあっ!ごめんなさい、ごめんなさいっ!!」
慌てて謝罪したのは、ムーンでなくポポである。
「よい」――アーガス王は、短く言って、掴みかかった男を止めた。
「陛下…」
…けほんっ
ムーンは ひとつ咽せた。――掴みかかられた時の、強い力。
…恐らくこの男、只の付き人じゃない。王の護衛だろうか?
俄に張り詰めた空気が、この何処とも知れぬ空間に流れた。
「無礼な発言を致しました ―― お許しください」
―― 話の軌道を元に戻したのは、例によってキャンディだ。
ムーンも彼に倣って、ひとまず跪いた。…申し訳ありません、と詫びる。
王の護衛らしき二人が、それぞれに反応した。
「気をつけられよ」 静かな叱責。
もう一人は、全くだ、と言いたげに こちらを睨み、王の側近くまで戻る。
ちょっと気にくわないが、これ以上、ここで要らんことで揉めたくない。
「構わん。元はと言えば、私が至らぬ為に、このような事態を招いたのだから」
「そのようなことはございません。決して」
だが、王は。
「国の大事を、起こる前に止められなかった。私の責任だ」
…淡々と言った。言葉は責任を感じている風だったが、
悔いて、嘆いて、心底悲嘆を滲ませる感じでは無かった。
王の顔が翳るのは、ひとえに、懸命に戦ったものの敗れた無念さからだ。
事態を真摯に受け止め、もう打つ手は打った、
だが どうにもならなかったという…観念しつつある顔。
「一体、何があったのですか?」
訊くと、これには まず付き人の二人が答えた。
直情径行の男が、忌々しそうに言い、
思慮深そうな方が、伸び放題の顎髭を扱く。
「…ハインだ。ハインは、我が国の神官。
だが、あの大地震の後、悪の力に取りつかれた」
「ハインは何か、強力な力を得た。
そして、その力の生み出す欲望に負けてしまった…」
二人は同じように、何処へともなく視線を転じた。
一方は右、一方は左に。方向も逆だが、表情も対照的であった。
『ハイン』
四人組は、その名を聞き取って、眉を潜め、あるいは
驚きや心配に表情を変えた。
一方、怒り冷めやらぬ付き人は…あの男、と歯噛みする。
「陛下の剣まで取り上げて…!」
しかし一国の主は、こんな状況下にありながらも強い。
長いこと閉じこめられているせいで髪も髭も伸びっぱなし、
衣服はくたびれて酷い臭いがしていたが、瞳ばかりは暗闇に爛々と光っていた。
ともすれば、こちらを圧するような目だ。
アーガス王は、感情に流されることなく、事実を述べた。
「兵士たちは、ハインに呪いを掛けられ、操られているのだ。
ここには、呪いに掛からなかった者たちだけが閉じこめられている。
ハインの奴め、元は私の側近だったのだが――」
言いかけ、またも自嘲気味に苦笑しかけたその時、
重い咳が王の喉を突いた。
「大丈夫ですか、王様?」
「…大丈夫だ。それよりも、ハインを――倒してくれ」
過酷な環境下にあり、屈強な肉体ですら悲鳴を上げ始めている。
しかし、こちらの心配など無用とばかり、王は、力強い瞳で四人を見た。
四人は、しっかりと頷いた。
「…っそうだ、セト!」
ムーンは思い出し、咄嗟に口に出した。
「大丈夫、向こうに居るわ。船長さんたちと一緒に」 と、アリス。
「良かった!!って、良かねぇか。とにかく行こう!」
ムーンとアリスが、先を急ぐ。
「やれやれ。若いっていいね、元気だ」
海賊船の船医シャルは半ば笑いながら、踵を返す。
はた、と気づき、王や付き人に対して敬礼をしてから、少年少女の後を追った。
言葉は女性のものだったが、礼の仕草は、通常、男性が行う形だった。
ポポの「かっこいい」と、
付き人の「何て女だ」 ――お互いの小さな呟きが、重なった。
キャンディは、伸びた髪を括っていた紐を外した。
それで円を作る。一筆書きの要領で、内側にごく単純な模様を描いた。
これは、――魔法が発展する前…原初の、おそらく最も単純な魔法陣である。
キャンディは、〈火〉のクリスタルに光を授かって後、
前にも増して勉強熱心になった。
クリスタルの所為か、それとも自身の好奇心の所為か。
船に乗ってきたその間、ドワーフが譲ってくれた本を読み漁り、
少しではあるが古の魔法陣に対する知識を得たのだった。
「ポポ。やってみてくれるか」
「うん」
ポポが、くっ、と歯の奥から短い息の音を出す。
すると、弱いながら彼の手の中に光が点った。
魔法が形になる前の、エネルギー体だ。杖無しなので、少々きつい。
その手を、小さく組まれた魔法陣の上に持っていく。
すると、光は円の中に留まり、辺りを淡く照らし出した。
「できたぁ…!」
おお、と人々のざわめきが聞こえた。
辺りを包む明け方のような薄暗さに、皆慣れてしまっていたのだったが…
光はやはりいい。
「向こうで、ビッケ船長が脱出の準備を整えています。
合図があったら、船長について逃げてください」
「承知した」
「陛下…海賊風情を信用するのですか?」
「大丈夫。彼らは、無下に人を傷つけたり騙したりしません」
「お、お前たちのような子供が…陛下!本当に
このような輩に、ハイン討伐を命じるのですか!?」
今更、それを言うのか?キャンディは若干、脱力した。
「エンタープライズの皆は信用できます。少なくとも、"貴国の神官"よりは」
あんぐりと口を開けた付き人。
キャンディは構わず、「それに」と続けた。
「彼らは、僕らを信じてくれました。それに応えたい。
ここには、エンタープライズの――僕らの、仲間も居ます。
必ず、何とかします!」
「頼りにしているぞ。『光の戦士』殿」
「はいっ!」 眩しいくらいの笑顔で、キャンディは答えた。
…お付きの二人は、唖然としていた。
「要らぬことを言ってしまったか」
王はポポにも声を掛けた。先程、彼とも話していたのだが…。
「え」少年は、その群青の目を見張ったが、「ううん」努めて言った。
「えっと…僕は、よく憶えていないので。…その人の事も、お父さんのことも。
それに、僕のお母さんは、ニーナ母さん一人だから。だから大丈夫、です」
そうか、と王は言う。
何がどう大丈夫なのか、自分でも分からなかったけど、
思ったままをポポは答えておいた。
「びっくりしたけど…聞かせてくれて、ありがとうございました。
そうだ。その魔法陣、崩さないでくださいね。―― お守りだから」
――闇に、呑み込まれないように。
「分かった」
エンタープライズの頭脳『風守』のセトは、今や満身創痍の状態であった。
『風守』とは船に良い風を運び込むという意で付けられた二つ名である。
「ああ、来た!シャル、アリス、頼む」
海賊頭ビッケは顔を見るなりそう言った。セトの容態が、かなり悪いのだ。
幽閉されて、おそらくは半年。生きていること自体が奇跡だった。
それに ―― 旅先で受け取った、あの伝言も。
アリスは先程から優先して彼に治癒魔法を施していたが、ここには何もない。
水も、薬も、食糧も。
厳しい状況での治療となった。
ポポ同様、魔法の媒体とする杖を取り上げられたので、
いつもより〈白魔法〉を使いづらい。効力も落ちるのだった。
更に――ここへ来てから、ずっと聞こえている…声。
「そこまでだね。これ以上の〈魔法〉は無意味だ」
「ええ…」
セトの体力も極度に低下しているから、下手に使うと返ってセト自身が危うい。
それを説明して、異議を唱える仲間たちに納得してもらう。
ふいに、苦しそうな呻きがセトの口から漏れた。
「セト!」
「どうした、苦しいのか!?」
思わず声を大きくする、ムーンと頭領ビッケ。
黒い手が、更に黒ずんで差し伸べられていた。が、すぐに力無く、落ちる。
アリスは、慌てて痩せさらばえた彼の手首を両手で取り直した。
――脈は、ちゃんと ある。
小枝のような指先に僅かな力が籠もり、少女の手を握りかえした。
黒い瞳が薄く開かれ、彷徨う。仲間たちの顔を確認して、
薄く微笑んだのが分かった。
「……。よく、きてくれた」
セトの喉は かれていて、それで尚更 待ちわびていた感が滲んだ。
「ううん、ううん。遅くなって、ごめんなさい」
アリスは涙声になった。
同郷の友である船医は、ほっと息をつく。
後からやって来た、ポポとキャンディが心配そうに後ろから顔を覗かせた。
一緒に囚われていた少数のアーガス兵たちもまた、
様子を見にやってきていた。
「頭領――…」
「ここにいる」
「すまない。判断を誤った、ばかりに」
「そんなもん!いいんだ。お前も人間だったんだ、って俺ぁほっとしたよ」
「皆、やられた。呪い、……ダナンたちも」
「ハインだな?ハインがやったんだな!?」
ムーンが割って入る。セトは今にも気絶しそうだった。だから、尚更焦った。
セトが薄く開いた瞼を微かに動かす。それを肯定と取り、彼は続けた。
「安心しろ。ハインは俺たちが倒すから!」
「ここは、おそらく長老の木の中だ…刻まれて、苦しいだろうに」
「分かったわ。分かったから、おじさま」
「あんたの方が心配だよ!」
「精霊の、壁を…」
「あ…壁?そんなもん、ぶっ壊す!」
「なっ…ちょっと!」
「―――」
「セトさん、もう喋らないで!」
光の四戦士が、揃ってセトに掛かりきりだった、その時。
「ハイン様を、倒すだと――?」
様子を見に来ていたアーガス兵の一人が、言った。――低く。
瞬間、四人はギクリと肩を震わせる。本能が危機を知らせていた。
まさか!
振り向けば、声の主は既に人間の姿では無かった。
角が兜を突き破り、背中には蝙蝠の羽が伸びる。
耳も広がり、兵士の形相は皺が刻まれたようになって、目も眉もつりあがった。
歯が伸びて牙になり、爪が、みるみる長くなる。鋭い凶器だ。
変身を遂げるや否や、悪魔は名乗った。
「俺はハイン様のしもべ。お前たち――死ね!」
人々から上がったのは、悲鳴と怒号がほぼ同時。
しかし、悲惨な死を予感しての叫びより、敵に対する怒りの方が強かった。
「このやろう!!」
「よくも、仲間を!」
「兄貴を返せーーっ!」
キャンディが、今度は靴紐を片方 解いていた。――「ポポ!」
「っうん!」
ポポは、混乱の最中、慌てながらも〈魔法の源〉を集めだす。―― 光った!
海賊たちの勢いに励まされ、彼らに守られながら…呪文を唱えだした。
ここが長老の木の中なら、周りを燃やさないように、気をつけなきゃいけない。
けど、火の神髄は『浄化』だ。 ――ドワーフのお爺さんが教えてくれた。
『火』は強く難しいが、同時に『土』にも『水』にも『風』にもできない、
瞬時の完全なる浄化を、やってのけるのだと――
ポポはその『火』に護られ、力を貸してもらっている。
勇気を出せ。呪いも、目の前の悪魔も、浄化すればいいんだ。
(…できるさ)
―― やってみせる。
汗が落ちた。杖が無いと、こんなにもきついものなのか、と再認識する。
でも ―― 大丈夫。さっきも成功したんだ。
キャンディが作り出した単純図形の魔法陣を拠り所に、魔力を集めていく。
原初の形は、〈黒魔法〉にも〈白魔法〉にも属さない。
また、杖を使うのと違って時間もかかる。
が、逆手に取れば黒白どちらの魔法にもなり、杖以上の威力も期待できる。
―― あと少し。もう少し。
が、ポポの呪文が完成をみる前に、光が消えた。
「えっ!?」
ポポが、キャンディが、アリスが、思わず声を上げた。
タイミングが良いのか悪いのか、参戦していたムーンが群衆の勢いに負けて
突き飛ばされ、戻ってくる。
すうっと光がセトに集まり、放射した。―― 側についた船医が驚く。
「!」
「そんな…待って!」
「おじさま!おじさまっ!」
「俺が居なきゃ片付かないだろーっ!」
すっかり小さく縮んでしまった四人を、ぼろぼろの黒い手が掬い上げた。
壁を作っていた根の隙間に、送り込む。
「行け…」
「でもっ」
「本当の敵を、間違えるな!」
ぐっ、と、四人は黙った。
「ここは大丈夫」 船医シャルも、凛々しく請け合う。
「ここで見過ごしては騎士(ナイト)の名折れ!」
「陛下!?」
「ようし…やるか!」
アーガス王。護衛の二人も参戦した。
そして、頼もしい頭領ビッケの声が、群衆の中から轟いた。
…こちらが見えてはいない筈なのに。
「ここは引き受けた!張り切って、行ってこいやー!!」
その声に勇気をもらい、押し出されて ―― 四人は駆けた。
闇と、奇妙に捩れた根の織りなす迷宮を。
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