(9)盗人
グツコーは、光の戦士たちよりも一足先に、『火のクリスタル』の元へ
辿り着いていた。
りぃん、と『火』は謳(うた)った。歓喜を。
―― 長かった。
グツコーは思った。もっと早く、こうすれば良かったと。
ドワーフの持つ無二の宝が『氷の角』であり、
『火』への道を本当に開くだなんて ―― ドワーフの誰も、
思いやしなかったんだろうか。無理もない。入口すら、忘れ去られていたから。
―― さあ。俺が迎えにきたぞ。一緒に、外に出よう。
グツコーは、深紅に、輝くクリスタルに向かって、手を伸ばした。
いざ、光を自分のものにせんとする。
クリスタルは深紅、橙、黄、白に青と ―― 絶えず色を変化させた。
『火』の名の通りだ。なんて幻想的で、美しいんだろう。
グツコーが授かった、不思議な力。光と影を渡り、自在に移動する力。
いつか見た夢の中、グツコーに話しかけ、
力を授けてくれた人間が言ったのだ。今や『火』はお前の物だ、と。
そいつは人間の中でも一目置かれる存在 ―― 大魔導師。
グツコーには分かる。人間でありながら精霊を動かし、万物を自在に操る力を
持った、至高の者。
異端者は、他から突出して優れているからこそ
異端者と呼ばれるのだと――ならばその優れた部分を
自らの為にも存分に発揮するがいいと…好機を与えてくれた、他とは違う人間。
今、その恩に報いよう。
「グツコー!!」
『火』―― クリスタルの光は一瞬反発したように感じたが、
ほどなくグツコーの一部となった。
みなぎってくる、この力。これが『火』の…クリスタルの。
万物を司る、『光』の力。
愚かな人間が、とグツコーは振り向く。
嘲笑を浮かべたその顔には、哀れみすら顕れていた。
ちっぽけで、欲にまみれ…故に小賢しく進化した人間共。
グツコーが炎の壁を開いたので、自らの欲に身を焼かれることなく辿り着いた。
…『火』を狙って。
残念だったな。…グツコーは声に出さずに言う。―― 少々、遅かったようだ。
「"俺様"は、火のクリスタルから力を奪い、強くなったぞ」
――『奪う』?違う、これはもともと俺のものだ。
我ながら、発した声が、自分のものとは思えなかった。
可笑しくもないのに、妙な高揚感で満たされ、笑った。
笑った声は瓦礫に埋もれた水晶の間で反響して、
ファファファ…とやはり妙な音になった。
人間たちが身構えるのが分かった。と、その中に、グツコーは微かながら
身の内に宿ったのと同じ『火』の気配を感じる。ちっぽけな種火。
と、そいつを目にした途端。グツコーの『火』が、溢れた。
いや、彼自身に抗ったといった方が正しいか。
放してくれ、と…親しかった、誰よりも近くにいた このグツコーを。
まるで、拒絶するように。だが、グツコーは放さなかった。
彼の抱える力には、支えにする ―― いわば、蝋燭の"芯"が無かった。
このままでは、不完全。手に入れた『火』を生かしておく術が無い。
グツコーは聡く、たちまち気づいた。
あの人間が持つ種火こそ、それだと。
「だが、光の啓示を受けたお前たちを倒さねば、
本当の『炎のちから』は手に入らぬようだ。
悪いが、お前たちには死んでもらう」
無慈悲に言う。が、これこそが慈悲だ。
約束を忘れてしまった、身勝手な人間の罪に対する裁き。
「グツコー!!」
「ああっ」
「嘘…」
「遅かったか!」
盗賊グツコーに奪われた、『火のクリスタル』の輝き。
それは彼の身体に宿って増大し、サラマンダーへと姿を変貌させた。
堂々たる…火の化身。
「こいつ、竜になったのか!?」
「火蜥蜴だ。火竜の下位種」
「竜のなり損ないか!」
ヴオオオオオオオ!!!
サラマンダーが咆吼し、炎も地をも揺るがした。
痛い。鼓膜を突き破りそうな程だ。―― 思わず、各々が耳を塞ぐ。
びりびりとクリスタルも軋む。割れてしまわないのが不思議な位に。
ポポは未だ沸き上がる自身の恐怖と戦いながら、聞いた。
猛り狂う声と裏腹に、悲鳴に聞こえた。
哀しい叫び…ムーンの言葉に、反論しているようにさえ。
退化したらしき翼は、名残で空しく宙を掻く。当然、飛べなかった。
ごお、と波が押し寄せた。真っ赤な波。炎の波だ。
サラマンダーが、口から炎を吐いたのだ。
「うわああ!!」
四人は悲鳴を上げた。熱い。熱い。鍾乳洞で対峙した時、奴が繰り出してきた
―― あんな火柱の比ではない。
もっと強く、猛々しく、威力は留まるところを知らずに ――全てを焼いて。
「やられっぱなしだと―― 思うなよ!!」
ムーンが煌々と照らされる祭壇を駆けた。炎の波を縫い、サラマンダーの
狙いすまして向けてくる口を巧みに避け、背に回りこむ。
ぶうん、と唸った尾を間一髪しゃがんで避けて、またも翻り戻ってきた尾の先を
―― 彼は、あろうことかその手に掴んだ。
悲鳴ではなく、してやったりの歓声を上げ、彼は蜥蜴の尻尾の勢いを借りて、
跳躍する。遠心力に耐え、飛んだのだ。
「っ器用…。っていうかどうするつもりよ!?」
炎の熱さは随分と薄れていた。ドワーフのおばさん万歳だ。
古代の紋様を模したという衣服は、伊達ではなかった。
それにムーンの拳法着など、動きやすさを最善まで追求してある。
ムーンはサラマンダーの首に 取りつき、下を見渡した。
「さっすが。いーい眺め!……っ」
当然、サラマンダーは気づいて首を振る。振り落とそうと、躍起になった。
が、それこそ彼の狙い通り。
ムーンは、鍾乳洞の時のように首を絞めるつもりではなかった。しかし、
全身を使って首を封じることで、これ以上
火焔の息を出させないようにしたのだ。中途半端に首の絞まった状態で
火を吐けば、きっと奴自身のダメージにも繋がると。
…それから。
鱗は思った通り固い。並の剣では、突き通す前に
刃の方が零れてしまうに違いない。しかし、勝負は分からない。
キャンディの持つフリーズブレイドが、どこまでその真価を発揮するのか。
(頼むぜ、ドワーフのおっさん)
ムーンは目線で、下の三人に合図を送り、道を示した。
炎の勢いの少ない場所を辿れるように。
見上げていたキャンディが、咄嗟に駆ける。後に付き従う弟と妹。
サラマンダーもまた、黙って見ているわけではなく、その巨体を標的に向け、
立ち塞がった。
多少なりとも安全な場所に弟と妹を残し、直ぐさまキャンディは身を翻した。
敵の注意を惹くために。
いかにサラマンダーが強大とはいえ、突破されるわけにはいかない。
負けるわけには、いかないんだ。
幸い、身につけた鎧兜が秘めた氷のちからで、
炎の熱さからキャンディを護った。
勝負はやはり短期戦。だが、お陰で勝ち目も見えてきた。
―― キャンディは雄叫びを上げ、サラマンダーに向かっていく。
背面に回った方が安全なのは分かっていたが、
鱗の覆う部分が多いのでダメージが少ないだろう。
幸い、ムーンが火を封じてくれたお陰で、戦いやすくなった。
彼は思い切って正面から挑み、蜥蜴の腹部の ―― 柔らかそうな皮を狙った。
青白い氷の刃を、黄金の火に染まった爪が弾いた。
「ポポ!!」 アリスが、動き出さない三番目の兄を振り返った。
「行きましょう。二人だけじゃ無理よ」
「うん…」
この期に及んで、ポポは迫り来る炎への恐怖と戦っていた。
「このままじゃ、みんな焼かれちゃうわ。黙って見てても、どうにもなんない」
加勢しなくちゃ、と言われて、なおも曖昧に頷く。
―― 近づきたい。
―― 逃げ出したい。
グツコー。グツコー、どうして。
どうして君はそんなに簡単に、『火』を受け容れるなんてことができたの?
火は熱くて、全てを無に還してしまうほど強くて、圧倒的で。
夢で上手く治められたからって、現実がそうなるとは限らない。
―― やっと来たんだ。
―― 帰りたいんだ。
激昂する炎。この状態の火を、鎮めるなんて。
鎮める前に、焼かれてしまう。入った途端に…この間のように。
こんなものを、受け容れるなんて。一体、どうしたら。
「もういいわ!あたしは行くっ」
…アリスは、炎の中まで飛び込んでいった。
「あ、アリスっ!!」
考えなくちゃ。ううん、考える前に、動かなくちゃ。
火を鎮めるには ―― 冷気魔法。
いや駄目だ、あの時の火柱さえ消せなかったのに。
「あっ!」
手にしていた杖が、炎に捕らえられて燃え上がる。樫の杖。
旅立つ時に祖父トパパがくれた、大切な杖。
咄嗟に消そうとしたが、無理だった。
どういうわけか、床から炎が吹き出したのだ。
慌てて下がった その時には、杖を取り落としていた。
―― 燃えさかる火の中に。
「お…」群青の瞳と黒い髪、そして子供らしい滑らかな頬を照り返しに
赤く染めて、ポポは信じられない物を見る目で呆然と立ち竦む。
「おじいちゃん…っ おじいちゃん、おじいちゃん!!」
絶望的な気持ちだった。燃えているのは杖なのに。
自分と故郷を繋ぐもの。ずっと一緒に旅をしてきた杖。
気づいてみれば こんなにも大切で―― 頼りにしていて。
叫んだからといって何が起こるわけでもないのに、ポポは喚いた。
『遠ざけないで』
受け容れるんだ。受け容れれば大丈夫。グルガン族のおじさんが、そう言った。
でも、火は怖い。嫌だよ。僕だって、焼かれて死んじゃうんだ。
『友達に――』
―― 助けて。
ほら。今も聞こえる。炎に巻かれて、声が。
「!!」
「うわあっ!!」
キャンディは声を上げて跳び退った。サラマンダーは今、火を吐けない。
その筈なのに、予期せぬところから急に炎が吹き上がった為だ。
氷の防具に熱さは緩和されたが、本能が危険を察知して身体を動かした。
…ドロドロに溶け出した溶岩を見て、理解する。
死火山だったのか、ここは?
『火のクリスタル』に喚び起こされて、大地もまた唸り始めている。
このままじゃまずい。火のクリスタルが溶岩に呑まれてしまったら?
「……その前に、祭壇まで辿り着けるかどうか、か」
彼は、いつの間にか顔に じっとり滲んだ汗を心ばかり、拭った。…と。
「アリス!!」―― 妹の姿を間近に見て仰天する。
「二人だけで頑張らないのっ」
アリスは、周りの炎による火傷とサラマンダーの爪が残した傷を
たちどころに治してみせた。間髪入れず、
「〈エアロ〉!!」
『風』の力を借りて、魔法を放つ。渾身の〈エアロ〉。
今まで使った中で最大級の威力だった。
風は炎の波を割り、火焔を巻き込んで、サラマンダーに到達した。
ヴオオオオオ!!!
ず、ずん。
意外なことに、巨体が風圧に耐えきれなかったらしい。仰向けに沈んだ。
「や」 アリスが心底 嬉しそうな声を上げる。「やったああ!!」
「…ってえ…。おい、もう少し考えろっての!お陰で潰されるトコだ」
「あら、無事で良かったじゃない。サラマンダーも倒れたし、万々歳よね?」
「お前、悪いと思ってねーだろ?」
有頂天の妹を、ムーンは ねめつける。…そして、
妹の肩にさり気なく手をやり、庇う体勢になる。
注意深くサラマンダーの様子を覗った。
キャンディも同じように、倒れた巨体を見つめている。
手強かったグツコー。それが、火のクリスタルの力を手にして――
手にしたのに…こんなにあっさり やられるものなのか?
回答はすぐに出た。サラマンダーの目が開き、尾が はためき、身体が動き、
奴は器用に体勢を変えた。赤紫色の鱗は未だ燃え、動きは緩慢なものの
意識はしっかりと保っていた。
サラマンダーが寝返りを打ってきた。
「――!」 「きゃっ」
ムーンは妹を連れ、その場から即座に退いている。
このまま煎餅なんぞにされて堪るか。
「火竜の眷属だけのことはあるな…!」
キャンディが感嘆の混じった声を上げる。
振るった氷の剣は、蜥蜴の皮膚の柔らかい部分を切り裂いた。
青白い透明な刀身の輝きは、其処だけを涼しく見せる。
ドワーフ作の氷剣は、押し寄せる炎の中にあっても強かった。
―― 屈しない、という彼の心を示して、クリスタルさながらに輝く。
「……っ……みんな」
勢いを増す一方の光と炎熱。ポポは咄嗟に駆けた。
駆けたがしかし、踏み止まる。眩しさに片手を翳し、目を細める。
己の恐怖心と、目の前の仲間の危機と。―― ここで何もしなかったら、
ただ仲間を失うことになる。そう思った。だからこそ走ったのに、直前で
もう一歩が出せなくなる。
ぐらぐらと煮立つ地面。真っ赤な火の舌。赤紫色の火蜥蜴。
熱と光の織りなす、めくるめく狂想曲。
クリスタルでさえ緋に染まる、その絢爛さが怖ろしい。
爛々と迫ってくる恐怖に、こちらの気がおかしくなりそうだ。
「う…」
もどかしい。いつも。いつも、こんなだ。
僕がもっと勇敢だったなら。もっと強かったなら。
でも、逃げ出したい。
全部無かったことにしたい。出来るなら、このまま背を向けて。
こんなものと向かい合わずに済むのなら、それが一番いい。
「きゃああああ!!」
「下がっとけ!」
「嫌よっ」
「ムーン、アリス!!」
「ポポ…ポポ!!」
(たすけて)
三人の悲鳴。そして、
(助けて)
「………っ」
別のものも確かに重なっていたのだが、
ポポには判別する余裕など、もう残っていなかった。
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