(19)小さな大作戦
「 よーし、全員小人だな」
ムーンは一応、綱代わりの釣り糸を握り、兄妹を振り返った。
「信じられない!こんなに小さくなっちゃったら、絶対に不利よ。
本当に鼠が居たら、どうしてくれるのよ!?」
「それを確かめに行くんだろ」
単純な根拠に違いない。だが、失われた「ネプトの目」があるとしたら、
ここ以外何処にあるだろう。―― あるいは此処に無ければ、本当に海の底と
いう可能性が高い。
調べられる所は全て見てみよう、の精神で行くしかなかろう。
ちなみに、海賊一味は万が一を考えて小さくならず、像の外で待機中だ。
竜の像、目の部分。ぽかりと空いた窪みの中は、案の定 真っ暗だ。
「明かりくれ。一瞬でいいから」
ポポとキャンディが、そして、渋々とアリスが、手の中や杖の先に
魔法の光を生じさせる。魔法が実体化する前の、エネルギーを集めた状態だ。
中がどうなっているか定かではないが、まず間違いなく閉鎖空間だろう。
それを考えると、ランプや松明など、火を焚くには向かない。
「やっぱ、埃っぽいなー」
像の目の奥は、狭そうだった。但し、『小人』には充分『広間』だ。
「なかなか新鮮な体験。これが鼠の視界かー」
「やめてデッシュ。そんなこと言うの」
差し入れた光源のおかげで、中の様子が明らかになる。と、
――きらり。…奥で何かが赤く光って応えた。――ネプト竜の目だ!
「ビンゴ!」 「あった!」 「みっけ!」 「嘘みたい!」
四人殆ど同時に声を上げ、
「おい!」
デッシュが止める間もなく踏み出す。
彼の目の前で、四人の姿が闇に呑まれた!! ―――
「傾斜があるから気をつけな ―― って」
「…。遅い…」
「あ、やっぱし」
クラクラする頭を押さえ、ポポもまた起き上がる。
何だか、事ある毎に落下しているような気がするのは、気のせい…ではない。
傾いて頭から落ちそうになっている帽子を被り直し、彼は ほっと息をついた。
その時。
何かの音が こだまする。
ドトッ ドトッ ドトッ…大きくて、重くて、忙しない…足音?
普段 聞く音とは、また随分違うけれど、―― あれだ。あれしかない。
「鼠いぃぃぃ!!!」
甲高い悲鳴を上げたアリスの近くを、凄まじい勢いで
駆け抜ける気配があった。5人全員、ざっと構える。
怖い!!怖いけれど、このまま暗闇の中に居るのでは なお怖い。
ポポは、足元に落とした杖を、慌てて拾い上げ、しっかりと握りなおした。
(そうしたところで、緊張のあまり手の感覚は無かったが)
必死の思いで魔力を集め、杖先に光を点す。
すると遅れて、もう一つ光が点った。キャンディが同じようにしたのだ。
ただ、彼の持つ『剣』は魔法の媒体にはならない。
その為、光も幾らか弱く、不安定だ。
「…大丈夫?」
「あんまり…」 ポポが差し出した手に、アリスが掴まり立ち上がる。
五人は明るさを拠り所に、集まった。
「奥だな。丁度あっち。走ってった」
―― こともあろうに、ネプトの目のある方だ。
「ああ」
「やだ、やっぱり行くのね〜…」
「嬢ちゃん、怖けりゃ下がってな」
「こんな処に一人で居る方が嫌よ!」
…赤く輝く『ネプトの目』の側で、茶色い毛並みの鼠が髭をしごいていた。
普段なら「掌サイズの可愛い奴」で済むが、今日は大きさが逆転している。
それに、鼠の歯はとにかく丈夫で強い。今噛まれたら…。
…しっぽがそよぐ。こちらを認識したようだ。
「こっ、こんにちはネズミさん」
ポポは何故か、にこやかに手を振ってしまう。
「何やってんだ」
「いんや、いいアイデアかもしれないぜ。害さえ与えなけりゃ大丈夫かも…」
「ね、その宝石、返してください。それがないとネプト竜――」
鼠が、ギィッと鳴いた。チィ、ではなく。
「ネッ、ネズミさん」 「こんにゃろネズミ!!」
…通じないようだ。みるみる鼠が目の色を変える。
「…威嚇してるみたいだよ」
「ネズミが解るわけないじゃないーー!!」
「無理だった〜〜!!」 「ちぇっ」
重く鋭い奇声と共に、鼠が飛びかかってくる!!
「――っ」
ムーンとデッシュは鋭い歯と爪に掴まらないように回りこんで
体術の連携攻撃を繰り出したが、
「いっ、痛てえ!?」
「丈夫だなぁぁー♪」
小人の力では、毛皮に攻撃を弾かれてビクともしない。
「ダメよ魔法じゃなきゃ!」
キャンディとアリスが、タイミングを示し合わせて魔法を放つ。
今度は〈ブリザド〉と〈エアロ〉の連携だ。
―― が、それを上級の雷魔法が貫いた。威力が高まった筈の冷気の嵐が、
かき消されたのだ。その衝撃は、5人を確実に捕らえ、襲った。
「うわあああぁ!!!」
「サンダラ!?」
「ポポ!!」
「ぼ、僕じゃない…今の」
―― 今のは。
まだ目の前に火花が散っている気がする。
全身に響いた重い衝撃。よろよろと杖に縋って、体勢を
どうにか立て直しながら、彼は言う。
心臓がちゃんと動いているのが、不思議なくらいだ。
ギギィッと鼠が鳴く。勝ち誇ったように。
「 ――― 」
冷や汗が額を伝って流れていく。…まさか。いや、違いない。
キャンディとアリスが、お互いに頷き合った。―― もう一度だ。
「ポポお願い!」 「手伝ってくれ!」
我に返ると、兄と妹が自分の横に居る。2人は呪文の詠唱に入る。
気配を察してか、鼠も同じようにする。
慌てて、ポポも呪文を唱えた。上級魔法に対抗するには、魔法を
重ねて束にするしかない。
「「〈ブリザド〉!」」 「〈エアロ〉!」
二段構えの冷気魔法を、風が巻き込んで更に後押しした。
「行ける!」 「よし!」
が、若干遅れて敵が完成させたのは炎の魔法。
両者がぶつかると、蒸気が猛烈な勢いで吹き上がる。
「うわあ!!」
視野を塞がれると、途端に恐怖心が湧く。
「っビビってんじゃねぇ、水だ水!!」 ムーンが叫ぶ。
「鼠は!?」
バタバタと またも走り回る気配。
魔導師部隊は明かりを絶やさぬよう、気を集中する。
「ぅわっ」
突進してきた鼠。ムーンとデッシュが咄嗟に左右に避ける。
気も荒く、襲いかかってきたのかと思いきや。
「……何だあ?」 「―――」
鼠はやみくもに走り回るばかり。同じ処をぐるぐる、ぐるぐる。
その一定の進路を塞いでさえいなければ、害は無い。…怯えている?
…何を?
「何だか訳わかんねーけど、チャンス!」
ムーンは、拳法の構えを取った。但し、間合いはかなり遠くで。
「え」 「止せ!」
「バカ、出来もしないのに!」
「やってみなくちゃ、分かんねーだろっ」
兄妹が止めるのを聞きもしない。
構えた彼の掌に、魔法のエネルギー体が生じた。みるみる輝きを増し、
白熱する!!
ようやく明かりを見つけ出口に走った鼠の背をしっかり捉え、
ムーンはその掌を向けた。
「行けえ!!」
魔力が増幅し、膨張した――!!
ボン!!!
…空気をぱんぱんに詰めた、大きな袋が破裂したのかと思った。
耳にも心臓にも悪い音だ。
鼠は ぴゃっと一鳴きすると、一目散に逃げていく。
「………」
術者当人も、唖然としていた。魔法の反動で、尻餅をついたまま。
「ちょっ…暴発したでしょ?大丈夫!?」
「…!それより、あいつ逃げちまうぜ!」
「構うな」
目的は鼠ではない。『ネプトの目』なのだから。
「怪我してない?」
「んー…どこも。痛かないし、ヘーキみたいだ」
「ほんと?」
兄妹が、こぞって確かめる。…やがて、
「よかった〜何ともなさそうだね」 ポポが心底ほっとしたように言った。
「…だから止めたのよ。適当に打ちゃいいってもんじゃないのよ?」
「魔法の失敗は怖いからなー」 と、デッシュが頷く。
「下手すりゃ、手なり腕なり吹っ飛びかねないし。
〈トード〉が失敗して、数ヶ月―― 蛙の鳴き声が止まらなかった
なんて話も聞くし。ホラ、しゃっくりみたいにさ」
「ヤダ…」
アリスが青ざめて身震いした。怖いことをサラリと言って、何でもない事の
ようにケラケラ笑っていられる この男の神経がイヤだ。
変身魔法の後遺症は、とにかく恐ろしい例が多いから。…それだけ、
「安易に扱ってはならぬ」と教訓も含んでいるのだろうが。
「ってことで、わかったかな?」
「ワカッタ。ワカッタカラハナセ」
青年に 顔の両側をびよーんと引っ張られながら、ムーンは言った。
五人は、入ってきた部分、ネプト像の窪みまで、力を合わせて『目』を
運ぶことにした。流石に、小人にこの大きさは…文字通り、少々荷が重い。
あの鼠のように、宝石に触ったら何か影響がありはしないかと心配したが、
無用だった。とりあえずは別段、何があるわけでもないようだ。
気のせいに違いないだろうけど、ポポにはこの宝石が
ほんのり温かく感じられた。もしかして耳をつけたら、
鼓動が感じられはしないだろうか。
竜には、大きくて強くて、怖いイメージしかなかった。
ネプトの目の深紅は火のように燃えていた。――しかし、それでも。
ずっと人と一緒に居て護ってくれていたという、竜の魂。
そんな存在も居るんだ、と判ったら、ちょっとだけ胸が温かくなった。
そう、きっと暴れているのは海竜の抜け殻なんだ。
これで本当に、荒ぶる海竜が収まってくれたなら。
「お。戻ってきたぁ」
「鼠が先に飛び出してきやがってよ、俺ぁてっきり喰われちまったんじゃ
ねーかと…!」
「無事で何よりだな」
元の大きさに戻って、事の顛末を説明する。海賊たちは驚きはしたが、
同時に拍子抜けした様子だった。
「鼠ってのは本当に、ロクなことしねえんだ」
黒髭は、本気で地団駄を踏んだ。
「これから、もっと神殿を大切にせんとな」
「俺たちの心懸けが足りなかった、ってことかもしれませんもんねぇ…ふう」
「ホントホント。もーネズミなんか入れんなよー?」 とムーン。
釣り糸を結んで運んできた宝石を、最後の仕上げにちょい、と引っ張る。
すると転がり、在るべき場所に収まった。
今度は糸の結び目を、しかるべき方向に引けば、糸だけが ぱら、と外れる。
「よっしゃ!任務完了ー!」
「わーいっ」
「やっぱり瞳が入ると、生き生きと見えるね」
「カラの瞳じゃ、しまらないもんな」
「一段落ね…」
全員揃って にっこり笑ったところで、…どこからともなく声が聞こえた。
「ぉわ!?」
海賊二人は目を白黒させたが、
実際に経験したことのある四人や、風守セトは、違和感なく
その事実を受け容れた。声の主は、他でもない。
「ネプト竜――?」
まるで「そうだ」と頷きでもするように、神殿内の水音が引いた。
『私は海竜ネプト。私の「心」を取り戻してくれたこと、礼を言う。
「心」が無くなれば、眠りについていた肉体そのものだけが暴れ出す。
私は大切な同胞を、自ら無くしてしまうところだった』
「良かったです。そんなことにならなくて」
「本当だぜ。もうこんなのはゴメンだぞ?」
ムーンは竜と海賊、双方に言った。
「すまない」―― 風守セトをはじめとする海賊たちは、像に向かって
頭を垂れた。それら諸々を認識しているのか否か、
ネプト竜は淡々と言葉を続ける。
『人の子よ――「水」はその光を失ってしまった。
何者かが大地震を引き起こし、光を地中深く封じたのだ』
『水』―― というのは、『水のクリスタル』のことだろうか。
光を失った、ということだから、多分クリスタルのことに違いない。
「何者か?」 言葉の意味を辿っていたキャンディが、はっと目を見張る。
「それは人なのですか?竜なのですか?それとも別の、何か?」
『さあ、これを授けよう。水の力で行く手を遮るものを打ち砕く――水の牙だ』
「!」
穏やかに凪いでいた筈の水面が、今度は突然、波打った。
勢いよく、左右から水柱が立つ。中央通路に居る一行や、竜の像そのものを
目がけて吹き出し、呑み込まんばかりだ。
ザバン!大きな音を立てて、頭上で かなりの量の水が弾ける。
土砂降りの雨を被った時と同じく、全員がずぶ濡れになった。
その後は。――空中からゆっくりと、光るものが舞い降りてくる。
重さなど感じさせず降りてきたそれは、狙いすましたように
ムーンの手の中に収まった。
『頼む。光を取り戻してくれ………』
ネプト竜の声が消えた。眠りにおちたのだろうか。
消えていた周囲の音が戻ってきたので、一行は
現実に引き戻されたのだと知った。
風は穏やかさを取り戻したらしい。波音も、静かになっていた。
投げやりに惰眠を貪っていた、海賊の頭領、ビッケ。
彼もまた、海竜の声なき声を聞いた。
アジトの全員に、それは届いていた。
『光を取り戻す』その言葉が、皆の耳に重く響き、いつまでも残った。
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