(18)ネプト神殿
ドン! と突き上げられる感覚。
天井が軋み、柱が悲鳴を上げ、床に亀裂が走った。
青と白の見事なモザイク模様が、見る影もなく崩れていく。
ムーンは懸命に手近な柱にしがみついたが、揺れの方が強かった。
柱が負けて折れ、倒れる。
「 ――――!!」
彼は床に尻餅をついた。一歩間違えば、柱が自身の上に倒れて
下敷きになっていたところだ。
「高台へ!」 …誰かが叫んだ。
「急げ、津波が来るぞーー!!」
ぐい、と上体を持ち上げられ、立たされる。
「行くぞ」 ―― キャンディだった。
「でも!」 ポポは、アリスは?
「大丈夫、先に出た。早く!」
問答無用で手を引かれた、次の瞬間。轟音。
悲鳴が、音に呑まれていく。騒ぎが途切れた。どお、と水が押し寄せる。
(――沈んでる!?)
叫んだが、もう自分が何を叫んでいるのかはわからない。
流れに逆らって泳ごうとしたが、逆に流れに玩ばれる。
(ああ、水が)
いつも穏やかに見えた世界。青く、美しく輝き、命を育んでくれるはずの
水が、これほど荒れ狂い、暴れている。牙をむいて。
その中へ、引きずり込まれていく。
いやだ。駄目だ、こんなの。まだ―― 終われない。
どうして。どうしてこんな。何にも、何もできない。
自分は選ばれたと――クリスタルは、味方をしてくれる筈じゃなかったのか?
こんな風に終わるなんて、嘘だ。
せめて何か、少しでも どうにかしなければ。自分は、その為に居るのだから。
それなのに。
苦しい。息が。苦しい、苦しいくるしいくるしい!!!
誰か。誰か。
終われないんだ、終わりたくないんだ。こんな形で――こんな処で!!!
「!!!!」
思い切り息をついて、目が覚めた。
胸が激しく上下する。―― 空気がある。
慌てて隣を確かめると、キャンディもポポも ちゃんと寝床に居て、
すやすや寝息を立てていた。
「何て夢だよ…」
―― 眠りながら、溺れただって?
気づくと、冷や汗まで出ている。ムーンはそれを片手で拭うと、
今度は掌を開いたり握ったりして感覚を確かめた。
痺れているような気がするのは、緊張していたせいか。…まだ動機が早い。
(なんつー傍迷惑な)
まさか夢の中にまで出てくるとは思わなかった。海竜とか、天変地異とか…
あんな話、聴いたからだ。人の夢にまで出てきて暴れるなんて、
本当に迷惑な奴――。
海賊たちと雑魚寝とはいえ、今日は屋根の下で、掛け布がある。
ゆっくり眠るつもりだったのに、これじゃ堪ったものじゃない。
暢気な鼾が複数 聞こえる中、どしーん、と音がする。
吃驚して起き上がると、ゼンの巨体が寝返りを打ったところらしい。
(まさかあいつじゃねーだろうな…?)
夢の天変地異の源は。苦笑いしながら、再び掛け布にくるまると、
彼は窓側に背を向けた。
(待ってろよ、ネプト竜―― )
絶対 退治してやるから。
遠くに波音を聞きながら、彼はいつしか意識を沈めた。
今度の眠りは、深かった。
翌日は雨だった。
一行は暗い空の下、海賊たちと共に神殿へと向かった。
大雨ではなかったが、風に横殴りになると、途端に天候が悪くなったように
感じる。
「海竜が怒ってるみたい」
鋭い音を立てた風にポポが首を竦めると、海賊たちは顔を見合わせた。
セトの言通り、確かに神殿は崩れていなかった。
神殿、と聞いてクリスタルの祭壇と同じものを思い描いていた4人だが、
実際は違った。
どちらかといえば祠くらいの小さな建物で、思ったよりも簡素だったのだ。
しかも、全体の半分以上が海に水没している。
災害や自然浸食ではなく、わざと そう建てられたようだ、と聞いた。
海岸線から突き出すようにして、ネプト神殿は建っていた。
「建物の中まで水が…床のあっち側は、本物の海!?」
「こんなの、地震が来たら即沈むじゃんか!」
「…な?だから不思議なんだ」
―― そして、
「ひっ」
入った途端 出迎えてくれた者がある。大きな竜の頭だ。
思わず息を呑んで固まってしまった旅人に、海賊フェルが笑いながら言う。
「これがネプト竜だよ。大丈夫、ホンモノじゃないから――」
青い金属光沢を放つ、立派な像だ。竜は長い半身を水に沈め、
頭と前脚部分を出している。神殿の黒い床石に引っかける格好になっていた。
像の材質は、実のところ良く判っていないそうだ。
金属なのか石なのか、粘土なのか ―― これも不思議なことに、
海水に洗われていながら錆びもせず、脆くなり欠ける様子もない、色褪せも
無いのだという。
その不変の光沢の所為か、荒削りな床石の黒の所為か、
ここは綺麗で――けれども、酷く冷たい印象があった。
何だか怖い。特に竜と正面から向き合うと、睨まれているようで。
「本物じゃない」と言われて なお畏縮していたポポだったが、
「あれ?」 ―― ふと気づく。
竜の瞳の片方が、真っ暗な虚ろになっていることに。
「ねえフェル。おじさん。竜の眼ってこれ?」
ポポは背伸びして、青い片方を指した。
「いや、そっちは元々在ったイミテーション。材質が像本体と同じっぽいだろ」
「本物はもう片っぽの赤い方――」
言いかけ、目が点になる。
「!」 「え。リーダー」
黒髭とフェルの血相が変わった。
「無え!!」
「セト!えれえこった!!」
「あああ、本当だ。無くなってるよーーー!!」
では、やはり ぽっかり空いた此処に、本来なら竜の眼が在ったのだ。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう」
「馬鹿、探せ探せ!」
言われて、思わず4人も床に這いつくばる。
もしや、近くに落ちてはいないかと。
「じっちゃんが此処に居たら、雷落ちるとこだよぉ。いやいやいや、
見つかんなかったら絶対めちゃくちゃ怒られる!!」
「―― それだ」 突然、ぽつりとデッシュが言う。
「どれ!?」
一斉に全員がそちらへ集中した。
「ネプトの目を、像に返してやったら良いんじゃないのか…?きっと、
目が無くなって怒ってんのさ。返してやろうぜ!」
「どっちみち、無きゃ困るんだろ?」
「見つかったのかと思った…」
何となく落胆の空気が流れる、その場である。
…『心を失わないで欲しい』と言ったというネプト。
人を信頼し続けたというネプト。その証として残された宝石…。
「おじさま」アリスが、風守セトを見上げた。
「地震の時、宝石が落ちちゃったのかしら?」
「いや、地震の後、様子を見に来た時には確かにあったんだ」
「一緒に見に来たってのは?」
「ばっちり俺らの仲間内。ネプトの大切さは、よーく知ってる」
「そうか…部外者だったら、宝石に目が眩んで…なんてのも、
容易に想像できんだけどな」
「あり得ないよ」
「外の奴だったとしても、俺らから宝を奪おうなんて輩は、そうは居ねえ」
それだけ、彼ら海賊は畏れられている。
たとえ彼らが、悪どい奴らからしか略奪しない『義賊』であっても。
「もし居たとしても、そんなのは地の果てまでだって追い詰めるぜ」
「ねえ」…と、アリスが何を思ったか、引きつった笑顔を向けた。
「縁起でもない、って怒られそうなんだけど」
「どした、嬢ちゃん」
「おう、言ってみな」
「例えば、宝石の継ぎ目が弱っててね?地震の後 少しは大丈夫だったけど、
おじさまたちが見に来た後 外れて『ぽちゃーん』なんて…」
「縁起でもねえ!!!」
カッコ良くキマっていた筈の髭面が、あり得ないくらいに崩れた。
「ああ、やっぱり!」
「…可能性はあるか」 困惑した様子ながら、あくまで冷静なセト。そして、
「あるよなあ」 うんうん、と訳知り顔で頷くデッシュだ。
「「おいおいおい!!」」
「おし!ポポ、海の水ごと吸い上げろ!」
「無茶言わないでよっ。出来るわけないだろ!?」
「黒魔法で それくらい…」
「できない!!」
「何だよ、役に立たねぇなー」
「魔法を何だと思ってるのさ!?」
かくて再び、地味な…いや、地道な大捜索が始まった。
床をはじめとして、捜せるところは くまなく捜す。
…そうして、どれ位の時間が過ぎただろうか。
「これじゃ、正面きって退治しに行った方が楽だぜ…」
「やってみてから言え、くそ坊主!死ぬとこだったんだぞ」
ぶつくさ言いながら、床に這いつくばっていると、
ムーンの指先に ざらつくものが触れた。点々と、落ちている。
思わず目で追っていくと、とある方向から流れてきているではないか。
ムーンはそれを追いかけた。
注意深く見ていくと、辿り着いたのは竜の像の前、供物台。
…そうか、これは干物のカスだ。
手に取り上げた魚の干物には、何と囓られた跡が残っていた。
彼は皆に向かって、へらっと笑って見せた。どこか情けない笑みだ。
「ネズミが犯人―― なんちゃって」
「えーっ」 「やめてよ、もう!」
それを聞き留めたキャンディが、同じように床の痕跡を辿り、
やがてネプト像の方へ行く。考えに沈んで難しい顔をした彼は、弟を呼んだ。
応じて傍に行ったムーンは、凹んだ竜の片眼に、僅かな亀裂と傷跡を見る。
(歯?爪跡――?)
顔を上げると、キャンディは黙って頷く。
「アリス――〈ミニマム〉。」
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