(17)竜と人と
ぱたぱたと階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。
「ムーン!良かった。岬の方に行っちゃったんじゃないかって、心配したよ。
――お湯、使わせてくれるってさ」
「お前、今日走ってばっかだな」
「ムーンは、怒ってばっかだね」
ポポは ちょっぴり言葉でやり返すと、小さなテラスから柵の外を見やった。
「うわー。岬の向こうが良く見えるねー」
本当にその通りだった。沈みかけた夕日が、水平線を金色に染めている。
空は茜で、山のある東側に行くほど紫を帯びているようだ。
「遠くまで来ちゃったね」
「もうホームシックか?」
「『もう』じゃないよ。村を出て随分経つのに」
弟は反論したが、否定はしなかった。
いつものように「違う」と言って、膨れない。
「お前、高所恐怖症じゃねーんだ?」
「だから、違うってば」 ―― 今度は『ちゃんと』膨れた。
「足さえ着けば、大丈夫なの!また、あんな竜に攫われるのはゴメンだけど
―― 飛竜の次は海竜なんだね…また見られるかもしれない。嬉しい?」
「何で」
「前はあんなに喜んでたじゃないか」
「まーな。でも、今回は最初っから、敵だ、ってハッキリしてるし」
ムーンは、ポポが分かるような分からないような理屈を理由にした。
海賊たちが『守り神』なんて言う位だから、悪い竜ではなさそうなのに…。
「挑むなんて、本気だったの?」
「本気だったよ?」
「ジェノラ山で、あんなに大変な目にあったのに?死ぬ気だったの?」
「――死ぬ気は無えけど。俺たち『光の戦士』なんだし、多少は どうにか
なるんじゃね?」
あっけらかん、と言ってのけられ、ポポはガックリきてしまう。
…簡単すぎる。そこまで都合の良い話があるものだろうか。
「そんな無茶苦茶な。クリスタルは、保障なんかしてくれないよ」
――勝手に、ひとを『光の戦士』だか何だかに、するだけしておいて。
「ダメかなあ――。でもさ、あんな風に言われて、悔しくねぇ?
結局、『子供だ』ってだけで、何処に行っても難癖つけられてさ」
「それは、仕方ないよ。僕らは子供だもん」
「おいおい、納得すんのかよ」
「するよ」
2人は同じようにムッとして、向き合った。
やがて、ムーンの方が再びテラスの外へ視線を向ける。
柵の下の格子に片足を引っかけた。
「俺、あんな大人にはならない!」
「また、そんな。海賊さんたちが聞いてて、殴られちゃっても知らないよ?」
「じゃお前、あんな酒飲みの髭モジャになりたいか?」
「う…」
思わず想像してしまうポポである。
「諦めたら、そこでお終いなんだぜ?そしたら、そこでゼロになる。
――ホントに」
思わず顔を上げると。怒ったような表情の兄には、決意らしきものも見えて。
「そんなのは、ごめんだ」
自分には無い強さを思い、ポポは羨ましくなった。
「お〜い、こんな所に居たんかい」
間延びした声が、2人を呼んだ。
黒髭リーダーにくっついていた、ひょろひょろの奴――栗色の髪で
肌も生っ白くて、頬は そばかすだらけ。
お世辞にも強そうとは言えないし、海賊のイメージは皆無だ。
「へへ、良い眺めだろぉ?」
「うんっ」
長い身体を折り畳むようにして狭い階段口を入ってきた彼に、ポポは頷いた。
この、ほわほわと喋る独特で掴み所のない声が、ポポには返って心安い。
「こっからだと岬が一望できるもんな。――ホラ、あれがネプトの神殿さあ。
白くてキレーだろぉ。夜目にも目立つんだ」
「神殿」
「ん。俺たち、粗末に扱った覚えなんか無いのにさ。
ちゃんと掃除してたし、お供え物も欠かしたこと無いんよ?
何で今更怒るかねぇ。――あっそうだ」
子分は、ついでのように言葉を続けた。
「風呂と夕飯済んだら、地下に集合な。じっちゃんの昔語りが聴けるぞー」
「話?」
「面倒くせーなあ」
ムーンが言うと、子分が そばかすだらけの顔で くしゃっと笑う。
「子供がそう言うないっ。じっちゃん、ネプト竜にも神殿にも1番詳しいから
役に立つかもしんないし」
「ちぇっ。自分だって子供みたいなくせにー」
「俺もう26だよぉ。――名前はフェルディナント!」
「長い上にカッコ良すぎだから、フェルでいい!」
「ハハ。おKー。みんなにもそう呼ばれてるよ。…んじゃ、降りてこい?」
「ほいほい」 「はーいっ」
つられて、間延びした返事をしたムーン。その、降りていこうとする背に、
ポポは言った。
「ムーン。頼むから、独りで行くなんて言わないでよ。
キャンディも、アリスも、きっとそう思ってるよ。
僕たち、いつだって一緒だよ」
兄は止まって、顔だけで振り向いた。
「…死ぬ時も?」
「――ん」
そんなのゴメンだ、と言ってやろうとしたが、ムーンは代わりに拳を固める。
「あたっ」
ぽこん、と頭を叩く軽い音が、小気味よく響いた。
「儂が、一味の中でも1番年寄りの、『じっちゃん』じゃ」
「はーい、質問!本名は何ていうんですかー?」
「元気な小僧め。知りたいか?まあ、長くなるから後でな」
じっちゃん、という呼び名は、ムーンに、祖父のトパパを思い出させる。
しかし、この人には祖父のような厳格さは欠片もなかった。
祖父はこんな猫背ではなくシャンとしているし、喋り方も もっと怖そうだ。
キョトキョトと良く動く目、ふさふさの白い眉は、
どちらかというと もう1人の長老、ホマクを思い出す。
「皆、珍しく勉強熱心な。感心、感心。」
『じっちゃん』は、集まった一同を見渡した。
4人とデッシュの他にも、思ったより人が居た。
『風守』のセト、痩せっぽちのフェルと、リーダー格の黒髭"ダナン"、それに
太っちょの"ゼン"、それから通称『おやっさん』と呼ばれている、屈強な男
(そういえば、こちらもまだ名前は知らない)――他、多くの面々だ。
「一味の一大事とあっちゃ、集まりますわ」
「良く言いよる。今まで誰1人動こうとせんかったクセして。――
…若造は、まだ荒れておるか」
「へ? あ、はあ……頭領はそのう…」
「まあ、ええわい」
水代わりのワインで口を湿し、ウォッホン、と咳払いを ひとつ。
――じっちゃんは、話してくれた。…こんな風だ。
" 遙か昔、世界にまだ『悪』というものが無かった頃、
竜と人はお互いに助け合って暮らしていた。
大地は人が、天空と海は竜が治め、世界は平和と安定を保っておったのじゃ。
竜はその大いなる力で、クリスタルと共に人を護り、人に知恵を授けた。
一方、人は竜を敬い、大地の恵みを竜に分け与えた。
また、竜は人の『心』に触れることで、自らの内にも それを見出していた。
ところが、人というのは悲しいものでな。『心』と『知恵』を併せ持った時、
その内に『欲』という感情が生まれてしまった。
『欲』から竜の持つ偉大な力を妬み、いつしか竜を超えたい とまで
思うようになった。――竜より授かった『知恵』で人は技術と文明を発展させ、
栄えていった。
人が『心』を置いて進展していくことに、竜は危機感を持った。
「このままでは、いつか世界そのものを滅ぼしかねない」
竜は警告したが、人は聞き入れなかった。逆に、
「竜の立場が危ぶまれているので、都合が悪いのだろう」などと言う。
―― おかしな話だろう?
竜は、人の『心』に触れて初めて、自らに『感情』を見出したというのに。
もしかすると それは間違いで、元々 竜自身の内にも在ったのかもしれん。
人間の勝手な解釈 ―― そもそも人間の伝承など、確証は無いし、な。
しかし、それにしても竜と人の価値観が同じだなんて、誰に分かろう?
やがて、竜は人を大地に残し、天空の彼方、海の底から異界へと去った。
竜王バハムートと海竜リヴァイアサン、そして我らが海竜ネプトを除いて。
バハムートやリヴァイアサンは、あくまで世界と人間の動向を見守る――
と言えば聞こえは優しいが、監視する――為に残った。
だが、長く人に近く接してきたネプトは、『信じて』いた。
人間特有の『心』をな。そうして、人間たちを憂いながらも力を貸していた。
そうこうするうち、世界を揺るがす天変地異が起こった。
リヴァイアサン一族は激減したが、
ネプト自身と、幾らかの人は、力を合わせて辛くも生き残った――と
伝えられておる。
原因は人が過剰に発展させた技術だとも、バハムートの思索だとも、
リヴァイアサンの思索が失敗したのだとも言われているな。儂としては
世界の意志――クリスタルの力が働いたのだという説が一番近いと思うが。
どちらにせよ、原因を造ったのは人じゃな…。
――その後も、ネプトは人の為に尽くしたが、やがてネプト自身が
眠りにつく時がきた。
人はネプトに長きにわたる多くの感謝を捧げ、ネプトは
その『心』を感じながら、言ったという。
「これからも人を護る。その代わり、その素晴らしい『心』を失うな」とな。
そうして、人の手元には「ネプトが人を信頼した証」と言ってもいい、
『ネプトの目』と呼ばれる宝石が残った ――"
「宝石は その後人から人へと渡り、
今は儂らをはじめとする『海に関わる者』が岬の神殿へ祀って
大切にしているというわけじゃ」
「……………」 ムーンは考えた。 「じゃあ、何で暴れてんだよ?」
「んーむ。それなんだよねぇ――」とフェル。
「こんなこと言いたかねーけど、話聞いてると、ネプトが人を『信じた』
って話も、どうだか分かんないよ。それこそ、どうして分かるんだ?」
「そうさな――分かるのは、そういう話を人が語り継いできた事実だけじゃ」
――確かに、"人"側の希望論なのかもしれない。
価値観だって『心』から生まれるものだ、『心』が同じとは言いきれない。
人同士でさえ、心を同じくすることが難しいというのに――まして、
全く異質の生きものである竜と、心を同じくするなど。
「じいさんや。海竜が暴れ出したってのは いつ頃だい?」
「あの大地震以来じゃ。岬まで行くと、狂ったように襲ってきよる」
地震、という言葉を聞いて、光の戦士たちは はっと顔を上げた。
「―― セト。神殿の方はどうだった」
「驚いたことに、柱にも梁にも、ひび一つ入っていませんでした。
浸水したので、人手を募って清掃は行いましたが。建築の知識がある者が
見ても、奇跡としか言いようがないそうです」
「そう!それなんだよ!」
太っちょのゼンが、巨体を揺らした。
「どれ?」
「みんなさ!ここが、こんなに海に面してるのに、アジトは無事じゃねえか!
高波は来たけど、中〜の方まで押し寄せるなんてなかったし、
どこも崩れたり壊れたり、酷くなかったんだぜ??」
「ネプトのお陰だってのか?地震で何ともなくとも、岬まで出て
やられた仲間が何人居ることか…!」
「そうだけどよ…」
「分かった」 デッシュが頷いた。キャンディに言う。
「兄ちゃん。とにかく明日、現場を見せてもらおうぜ。
神殿てのが、どうにも気になる」
「そうだね。僕も同じことを考えていた」
「で、でも…神殿に近づいた途端、襲ってきたりしない?」
「ああ、それなら大丈夫。
相手は海竜だ、海に入らない限りは、出てこないんだよ」
「そうなの?」
「よし決まった!俺が退治してやる!」
ムーンは、拳を突き上げた。
|