(16)可能性
「へえ。あんた三人も のしちゃったのかい。やるもんだ」
ジルと名乗ったその女性は、話を聞くと面白そうに笑った。
化粧映えする顔に口紅も印象的な、あだっぽい美人だ。
長い睫を瞬く彼女を、ムーンはふてくされて睨んだ。
冷やした布を片頬に あてがう。
腕の傷に薬を塗られると、滲みたのかビクリとした。
「そっちが悪いんだぜ。何かにつけてガキ、ガキって」
「あっはっはっは!そうだね、こんないい男 掴まえて」
――憮然とするムーンである。
その様子を見ながら、
「すまなかったな」 セトが言葉通りに取れる微笑を浮かべた。
「気の良い奴らではあるんだが。現状が現状なので、
気が立っている者も多いんだ。あなたらには悪いことをしたと思っているが
――どうか許してほしい」
「いいのよ、おじさま」 とアリス。
「先に出てったのは、こっちなんですもの。…まったく、あんたたちときたら」
「あんな言い方されて黙ってられるか!…一番 煽ったのは誰だよ」
「知らないっ」
「いっ!!」
ぱしん、と薬液つきの布を傷口に あてられて、思わず悲鳴が上がった。
「キャーンディ、〈ケアル〉掛けてくれよ、〈ケアル〉」
「耳貸さなくていいからね」
妹に ぴしゃりと矛先を制されて、ムーンは情けない声を出す。
長兄は苦笑せざるを得ない。
「罰として暫く痛い思いをするように」と、妹は白魔法の使用を自粛したのだ。
――無茶苦茶である。
「みんな血の気が多いんだから」
「ホントホント。野郎はこれだからイヤだよね」
「デッシュ。あたしは、あんたのことも言ってるの」
青年デッシュはジルの肩を抱こうとしたが、アリスに睨まれて手を引っ込めた。
「しっかし、船も無しに ここまできたとはね。そんな身体で よく山超えて
来たねぇ」
「あら、大丈夫だったのよ」
「南の迂回路を使ったんです。比較的なだらかだ、って聞いたので。
幸い、魔物に会うことも あまり無くて」
アリスは思わずキャンディを見た。――嘘八百だったからである。
本当は、山越えなどしていない。
お医者のシェルコ先生に教えられた抜け道を使って、
小人の村から ここ『ミラルカ谷』まで、突っ切ってきたのだ。
小人にしか通れない、親指ほどの幅の道。
「上を歩いていくよりは ずっと楽だし、早く着けると思うよ」――
その言葉通り、時間と体力の消耗を かなり短縮できたのだった。
アリスなど、食あたりの治療費代わりに〈ケアルラ〉まで貰ってしまった。
中級の、白魔法珠だ。
兄が僅かばかり困ったような表情で目配せしてきたので、アリスも、
ムーンもポポも調子を合わせた。
「山道は まあ、大変だったけど」
「慣れた人が一緒だったしね」
「いー加減な案内だったけどなー」
三人の視線を受けて、デッシュが最もらしく言う。
「―― ベテランを掴まえておいて、何を言う」
「よく言うぜ」 一行は朗らかに笑った。
「――さて、何だったか」
手当が一段落したのを見計らって、セトが言ってくれた。
光の戦士一行は顔を見合わせる。…キャンディが口火を切った。
「はい。僕らは、実は――」
船を貸してほしい、――何度となく言った内容を繰り返し説明すると、
今度はセトとジルがお互いに視線を交わす。
いつの間にやら興味津々、こっそり小部屋の外に集まっていた海賊達も同様だ。
(大人数の上 身体も大きいので、ちっとも こっそりじゃなかったが)
揃いも揃って、困惑顔。つられて4人も、同じ顔になってしまう。
「…これは、少々難儀だな」
「もしかして…あのう…魔物が居るからですか?」
「あ。強いモンスターが居て船出せねえって――」
こちらは港町で聞いた話。ネプトの岬付近で、遭難が相次いでいるという…
魔物かもしれない、との噂。…あれは本当だったのか。
「うん。実はな―― 困ってるんだ」
さっきは あんなに怖そうに見えた黒髭のリーダーが、
戸口で屈強な身体を小さく縮こまらせている。
「いっそ只の魔物なら、どんなに良かったか」
「滅多なこと言うな!魔物だって何だって、敵わなくちゃお終いじゃねーか」
「アレじゃ魔物と変わらねえよ…」
ざわざわと海賊たちの話が聞こえてくる。いずれも、不安そうな声。
…ムーンは眉をひそめる。
「静かにおし!」 ――ジルが両手を打つと、しんと静まった。
「あのひと、呼んでこようか」
「起きているかな」
「叩き起こしてくるわよ。腐っても頭なんだからね」
「そんな、恐ろしい」と、黒髭。
セトは暫し考えた後、光の戦士一行に言った。
「重ねて大変な思いをさせるかもしれないが、頭領に会ってほしい」
彼らは、まってましたとばかり頷く。
「失礼でなければ、こちらから出向きます。
只でさえ、お騒がせしてしまったし」
「でも…」 「止した方が」
「今度はこっちが『お騒がせ』じゃねーといいが…」
「え?」
弱気にざわつく海賊仲間に、セトが言う。
「いや、そうしてもらおう。真を見てもらった方が、話は早い」
事情が分からず きょとんとした少年少女に、
「幻滅したらゴメンよ」 ―― ジルが困り顔で肩を竦めた。
海賊の頭領ビッケは、黒々と逞しい体つきをした男だった。
齢40近いというのに、髪も髭も鮮やかに赤い。
昔は海原にその人ありと謳われたそうだが、それも「昔は」の但し書き付きだ。
その理由は、聞くまでもなかった。
海の馬タンギーの鬣で作ったという豪奢な飾りを横目に、扉の先へ。
――途端に、酒と汗の臭気が混じって鼻をつく。
身の回りを世話していた女性数人が、ジルの顔を見るなりホッと笑顔を見せ、
席を外した。
海賊ビッケは、長椅子に ふんぞり返っていた。
その姿に、やはりどこか投げやりなものを感じる。二の腕に海竜の入れ墨が
目立ったが、それすらムーンは格好いいと思わなかった。
眠たそうな目。卓の上のグラスと、床に転がったウィスキーの瓶を見るに、
つい先程まで飲んでいたのだろうか。――ビッケは言った。
「船、だって?」
「―― はい」
キャンディが、真剣な面持ちで頷く。
すると、ビッケの口の端が僅かに持ち上がった。
「海へ出てどうする。今はどこもかしこも危険地帯ばかりだぞ。
地震以来、魔物が わんさと出てきて ひしめいてる。
常識じゃ考えられん事が平気で起こる世の中さ」
「はい」
「船を出しゃ沈む。
上手く陸(おか)へ渡れたとしても、その先どうなるか判らねえ」
「―― 覚悟の上です」
「故郷(くに)へ帰れる保証もねえ。
兄妹と離ればなれになるかもしれねえし、死ぬとも限らねえ。…それでもか」
「―――」 思わずポポとアリスが息を呑み、身体を強ばらせる。
長兄は努めて冷静さを保った。「…ええ」
「行きます。行かねばなりません。何があっても」
その瞬間、ビッケの瞳がきらりと光ったような気がした。
「先の可能性が、ゼロだったとしても?」
キャンディは相手の目を見据え、黙って頷く。
…と、くつくつと喉の奥から、笑う声。
「若いな」
海賊は言った。さも可笑しそうに。「よくも そんなことが言える」
細められた目が、まるで剣の切っ先のようで。
その目は言っていた。「甘い考えは捨てろ」と。
キャンディは内心、焦りを感じていた。…そう、分かっていた筈だ。
現実は、いつも、思い通りに行くとは限らない。――分かっている、筈だ。
「―――」
それでも、期待を捨てきれない。やはりどこかで、願っている。
不都合なものは、出来ることなら捨ててしまいたいと――
この頭領は知っている。キャンディが、甘ったれた望みを捨てきれないのを。
彼は とうとう、やりきれなさに目を伏せた。――そこへ。
「だから何だ」――声が響く。怒りを含んで。
「だから、何だよ。ごちゃごちゃ うるせえんだよ!」
ムーンが、兄を押しのけると海賊に言った。
「何度言わせんだ。俺たちは海に出たいんだ!
帰れるとか、帰れねえとか。危険とか安全とか!
そんなもん、関係ねえんだよ!!
先に、行かなきゃなんねえんだ!船は借りる!文句あるか!!」
くっ、とビッケが再び喉を鳴らす。
「何が可笑しい!?」
「出せるものなら出してる。そこまで言うなら、出してやるよ。
只の魔物に成り下がって暴れてやがる、
あの竜を退治できるもんならな!」
「!!」
「ああ、やってやらあ!見とけよ。
退治できたら、船は俺が貰うからなっ!!」
「 ――― いいだろう」
海賊ビッケが にやりとした。どこか苦しげに。
「よっし!二言はナシだからな!」
ムーンは言い放つとズカズカと部屋を出、人が居るのも気にせず
鼻先で思いきり扉を閉めた。
一瞬の間があり、仲間たちが後を追う。セトが一礼してそれに続いた。
部屋の前で集まり、相変わらず聞き耳を立てていた海賊たちも、
1人2人と解散する。
いつの間にか長椅子の側に立ち、気遣わしげな視線を向けたジル。
頭領ビッケは、呻くように、あるいは独り言のように、呟くのだった。
「……駄目だ…海竜には勝てっこねえ………」
通路を行ける方へ、早足で大股にムーンは歩いた。
勿論ここはアジトの中、海賊が大勢居たけれど、そんなことは気にしない。
「ムーン!」
後ろから、ポポが慌てて追いすがる。
「…………」
「ムーンてば。どこ行くのさ!?」
「魔物退治だよ畜生!弱虫はついてくんな!!」
「っ!」
ぐん、と振り向き苛立ちの波を まともにぶつけると、弟は びくりとした。
「思い切ったことしたねぇ」 とデッシュ。
…そんなんじゃない。ただ、夢中だっただけだ。
「『船は貰う』なんて――あんたが悪い奴みたいだったわよ?本気なの?」
「あんな腰抜けに使われるなんて、船が可哀想だ。見てろ、今に俺が船長だ」
「そんな」 「ムーン」
「あんなのがボスだなんて、俺は認めない!!」
「ムーン」
「キャンディは悔しくないのか?あんな風に言われて。
何だかんだと言い訳みたいなのばっか聞かされてさ。
俺は、嫌だよ!」
あんな風になるのは。―― 自らゼロにしてしまうのは。
…ちっともカッコ良くない。
「…ま、何にせよ ここの御仁たちの困り事ってのは分かったな」
「デッシュ」
「残ってる船は あの一隻だけかい?セトさんや。随分と立派だけど」
「うん。『エンタープライズ』だ。我々の命と言ってもいい」
「ちなみに、暴れ回ってる竜ってのは」
「我々が守り神として祀っている、『海竜ネプト』
…そのように見える、と言うべきか。
只の魔物だ、幻だと言われたら、そこまでだがな。
『エンタープライズ』級の帆船が、ひとたまりもなかった。
命を落とした者も居る」
「勝算は」
「無い。――はっきり言おう。挑めば命は無い」
「………………」
「ふむ」 デッシュが顎に手を当てて、考える仕草をする。
やがて、食い入るように見上げるムーンと視線を合わせた。
「―― だ、そうだけど…それでも行くか?」
「もちろん。俺一人だって行ってやる」
「「!!」」
「船は動かせないでしょ!?」
「ボートだって、泳いでだって行ってやる!」
「嫌よ、サスーンの王様から折角いただいたのに!」
「無茶言わないで…」
「大の大人が、何十人でも、何百人でも敵わなかった奴だぞ?」
「……っだって!それじゃ、どーすんだよ?このまま ここで足止めか?
それじゃ、奴らだって、俺らだって、困るんじゃん!」
――正論だ。最後だけは。
「うん。…こりゃ、困りましたねえ――」
「―― フザけてんのか?」
デッシュは、また何か思案する風だったが。
「…とりあえず、日も暮れてきたし。夕飯時も近いし。―― 明日にしよ」
「「え」」 「は!?」
「こうなったら慌てても しようがないでショ。明日にしよ」
そうと決めると、デッシュは さっさと今夜の食事やら、寝床やらの交渉に
入ってしまった。
『光の四戦士』それぞれの想いをよそに、また一日が過ぎようとしている――
|