(15)海の貴族
「だから言ってんだろ、船を借りにきたって!」
日焼けしたブロンズの肌に幾多の傷。屈強な海の男たちに囲まれながら、
ムーンは負けじと声を張り上げた。
面白半分で冷やかしの声をあげる者、
にやにや締まりのない笑いを浮かべる者、鋭くこちらを見つめる者。
その いずれもが、自分たちを観察、検分しているのが分かる。
ここで引いたら、それこそ負けを認めるような気がした。
だから、彼は しかと顔を上げ、目の前の賊を睨み返す。
「正気か坊主。寝言は寝てから言うもんだ」
「来るとこ間違えてんじゃないのぉ?うちじゃ貸し船は やってないよー」
「『奪う』ことはあってもな」
ひゃひゃひゃ、と耳障りな笑い声。…酷く腹が立った。
近くで無遠慮にパイプを吹かしていた奴が、
デッシュの大きな背に隠れるようにして立っていた弟に煙を吹きかけた。
…けほけほと咽せるのが聞こえる。
(子供だからって、甘く見やがって)
そりゃあ、世間的に見れば子供かもしれない。けれどムーンは
そこらの大人より ずっと自分の方が ましだと思っていたし、喧嘩だって
大の男に負けない自信があった。
拳を固めると、それを別の掌が制する。
キャンディが静かに首を横に振っている。
彼は渋々気を取りなおし、何度目かの挑戦を試みた。――今度は、
先程より もっともっと努めて、気持ちと言葉を落ち着けながら。
「……。船を、貸してほしいんだ」
「はぁん?良く聞こえねぇなあ」
「アンコールだ」
「もう1回――」
間髪入れず、この通りだ。冷やかしの声と笑いが波になって押し寄せ、引く。
ムーンは怒りのあまり震えた。ひょっとしたら そうやって挑発に乗ること
こそ、奴らの思惑通りだとは知らずに。
やがて、やたらと図体のでかい男が前に進み出てきた。
「度胸は褒めてやる。だがな、ここはお前らみたいなガキの来る所じゃねぇよ」
「おとなしく お母ちゃんとこ帰んな」
理由が無けりゃ、こんなとこに来るもんか!―― ムーンが怒鳴るより先に、
「お願いです、話を聞いてください!」
とうとうキャンディが声を上げた。
しかし、彼ではお綺麗な奴だと からかわれて終わりだろう。
ムーン同様そう思ったのかは知らないが、青年デッシュが割って入る。一応、
仲間内では唯一の年長者だ。
「頭領さんに、会わせてくれないかい。
手間は取らせないし、悪いようにはしない」
「頭領(ボス)がお前らに会って どうするってんだ。
生憎、そっちに用があっても、こっちには無えんだよ」
再び同調の声が多数あがる。
こんなに大人数の前で、事情を話すのか?―― 無理だ。
それこそ冗談みたいな話なのに。第一、聞いてくれそうな雰囲気ではない。
火に油を注ぐようなものだ! ――キャンディが歯噛みした、その時。
「残念ねぇ」
男たちの野次の中、ひときわ目立つ高い声がした。無論、一人しかいない。
アリスだ。
「!」
ムーンの目の端にも、白い袖が入った。今まですっかり見えなかったのだが、
思わず振り返ると、弟が止めるのも聞かず、彼女は前へ出てきた。
慌てて腕を掴まえようとしたが、脇をすり抜け、こともあろうに輪の中心へ。
そして彼女は低い位置から、海賊たちを見渡した。
「とっても残念」
「俺たちもさ。悪いが、お嬢ちゃんの期待には応えられそうもねえ」
にやにやと相変わらず笑みを浮かべる者たち。明らかに馬鹿にした様子の、
あるいは興味本位の視線が無遠慮に飛び交う中に在って、
「ほらね」 …妹は平然と言うのだった。
「あたしたちが いくら必死に言ったところで、おじさんたち、ちゃんとした
お耳を持ってないんですもの」
その場に居た全員が ぎょっとする。怖いもの知らずとは このことだ。
「海賊ね ―― 確か、他にも素敵なお名前があった筈だけど」
「おうよ、俺達ゃ『海の貴族』さ!」
「――昔の話だ」
一部で歓声があがり、しかし火が消えたように静まった。
リーダー格らしい黒髭が、言う。
「俺たちみたいな『貴族』は、お嬢ちゃんのお気に召さないかい」
「ええ、そうね。幻滅よ。少なくとも、おじさんたちみたいに『子供』相手に
ムキになる『貴族』にはね」
しん、と静まりかえった。微かな話し声すら、消える。
部屋の奥にあるベッドから、誰かのいびきだけが盛大に響いてきた。
(――何だ、これ?)
ムーンは呆気にとられて周囲を見、気づく。男たちの、どこか虚ろな表情に。
思えば、絡んできた奴らは皆 何故か やけっぱちだったし、
傍見を決め込んでいた連中も、やる気がなさそうだ。
原因を探るより前に、彼の胸に何とも言えない やるせなさが過ぎった。
自分は、『海賊』という呼び名に、もっと力強いものを想っていた。
あの海と同じで、懐が大きく、深く――活き活きと輝く様を思い描いていた。
たとえ世間じゃ乱暴だ、粗野だと言われたとしても、
彼らの為人(ひととなり)は海と同じくらい偉大で。
独特の、だけど そこらの男にはない格好良さ。―― それなのに。
「…そうだよ。あんたら、カッコ悪いぜ」
海賊共が、ぴくりと動く気配がする。
「『貴族』が聞いて泣く――じゃなくて、笑っちまう、の間違いか。
いっそ『海の物乞い』に改名すれば??」
みすみす挑発するような真似だ。…それでも、言うのを止められない。
「海みたいに大きい?図体ばっかり でかくたって、からっきしじゃねえか。
人の話もまともに聞けねえし、了見も狭いし。
耳も何も、腐ってんじゃねえの?ああ、そっか。それでなんだ――
そんじゃ、しようがねぇよな」
「――…坊主」
楽しみだった。海賊に会えるのが。
「所詮 大人だ。しかも、一番なりたくねぇ大人!」
「てめえ!人の気も知らねぇで!!」
「ああ知らねーよ、根まで腐った奴らのことなんか!!」
自分の言葉に、自分自身が熱くなってしまっていることに、彼は気づかない。
もちろん、海賊たちの様子にも。
「最っっ高にカッコ悪い!!!」
「………!!!ぁんだと、このガキッ!!!」
「やめろ!」
巨漢が、気色ばんだ仲間を止めた。
彼は少年の襟を ぐいと持ち上げ、その顔を自分の目線の高さまで吊す。
「――…坊主」
出てきた声は意外なほど静かだったが、
目には怒りが溢れんばかりに たぎっていた。
「ちぃと口が過ぎたようだな ―― 後悔するなよ。
――連れていけ!」
一度は静まったかに見えた騒ぎが、再燃した。
ずらりと取り囲んでいた海賊連中が、無礼この上ない侵入者を捕まえにかかる。
「やめて、やめてよ!何すんのよ!!」
「痛いよ。放してよ〜〜〜」
悲鳴、懇願、殴り合いに呻き声。
それいけ、やれいけ ―― 囃し立てる声が被って、何かが すっ飛ぶ。
壺か、器か―― 硬質なものが がちゃんと割れる音がした。
椅子が倒れ、卓が突き飛ばされる。
『風守(かざもり)』のセトが扉を開けた時には、目の前に乱闘の跡と――
海賊たちに捕らえられた若い来訪者の姿があった。
「 ―――― 」
「風守」 「!セト」 「セトさん…」
セト自身が問う前に、彼の背後から ひょい、と女性が顔を出す。
「まったく、何をドンパチやってるんだい!暴れんなら、外にしとくれよ!
…っと…」
「客に手をあげるのは、あまり感心せんな」
セトの声は、落ち着いて良く通る。
「けどよ、セト…」言いかけた黒髭は しかし、目で制され黙ってしまう。
窓の外で潮風が鳴る。―― 彼は目を細めた。
海賊たちが気まずそうに目配せしあう中、セトは ゆっくりと歩んだ。
倒れたテーブルの傍らで尻餅をついていた少年を立たせると、その背を促す。
―― 少年の、仲間たちの元へ。
人垣が割れていく。海賊たちは、不意の客を捕まえていた手を
1人、また1人と緩め、離した。
少年たちの中に只1人居た風変わりな服の男が、肩を竦めた。
やがて、彼 ―― 『風守』のセトは、まだ稚い少女に目を留めた。
注意深くこちらを覗う瞳は強敵にでも挑みかかるよう、しかし そこには
怯えも滲んでいる。
―― 『風』が、格子を揺らした。
セトは微笑し、少女を前に膝を折る。ざわめきが走った。
少年が何かを言いかけ、もう一人に止められる。
少女が吃驚し、僅かに後ずさった。
セトはそれらの反応を造作もなく受け止めると、言った。
「失礼をした。――あなたは、風の巫女だな?」
「―― は……。え、ええ。そうよ?」
「そうか」 彼は頷いた。
「よく いらした。『光の戦士』たち」
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