4 海竜ネプト
(14)奇岩砦
―― 風が変わった。
男は入り江の淵に佇み、静かに彼方を見つめていた。
上空で、かもめ達が鳴き交わしている。
日射しは強かったが、波は至って穏やかに上下を繰り返していた。
―― いい日和だ。
雨季の合間に気まぐれにやってきた、つかの間の晴天だった。
空気は湿気を帯び、優しく潮の香を運んでくる。
背後には鋭く切り立った崖、奇岩の群がそびえている。
長い間に隆起や沈降を繰り返し、波に洗われて出来上がった造形だ。
海は ―― 大自然の力は、こんなにも偉大なのだと見せつけられる。
しみじみ感じてしまう場所だった。
―― 最も、そこに居を構えようと最初に考えた、人間も人間か。
改めて見れば、崖には大小さまざまな穴が空いていた。
多くは自然に出来たものか ―― いや、人工物もかなりある。
格子を填めて窓としたもの、切り、削り取ってテラス状にした部分。
確かに人の手が加えられている。
しかし、これらは驚くべきことに少し距離を置けば たちまち風景の中に融け、
殆ど見分けがつかなくなってしまうのだった。
灰色をした、まさに天然の要塞だった。
崖の上に、付随する形で小さな石造りの建物がある。見張り台を兼ねたものだ。
それも奇岩群に紛れるので、所在を知る人間か――もしくは あの最上部の旗
が無ければ、見つけることは不可能だ。
掲げられた、旗。風に吹かれて、翻る。
描かれた――海と同じ色をした、竜。
その竜が絡みつき、抱くようにしている――銀糸で縫い取られたあれは、錨だ。
だが、旗は長い間そうして放ってあるのか、傷みが酷い。
潮風に くたびれて、
鮮やかな空の青を背景にすると いかにも みすぼらしく見えた。
「――ちっぽけなもんだ…」
男は誰にともなくそう言うと、自嘲とも愛惜ともつかぬ微笑みを浮かべた。
海を映したその目を細める。
ここから眺める限り、世界は平和を保っているように見える。――だが。
「海よ――何故そのように荒ぶる?」
我知らず ついた溜め息を、潮風が残らず散らしてしまった。
(変わるというのか?)
――これ以上、悪くなりようがないというのに。
今度は一体、何が起こるというのだろう。
「風守(かざもり)」
ふいに呼ばれ、男は声の方へ視線を転じた。テラスの上だ。
明らかに落ち着き無げな人影に向かい、彼は静かに問うた。
「どうした」
「来てください。妙な連中が…」
言われて、内心なぜか納得する。――早速か。もう、厄介事など
充分すぎるほど、抱えているというのに…。
「すぐに、行こう」
彼は直ぐさま踵を返した。
真っ直ぐ船のドックへ向かう。
中は殆ど空と言っていい状態で、もはや無用の長物と化している。
目にすると、さすがに落胆せざるを得ない。…いや、今考えてはいられない。
彼は壁に沿った螺旋階段を上る。靴の踵が石段を打ち、空虚に響く。
雑具の置いてある場所を通り抜けると、すぐそこが廊下だ。
ざわめきが聞こえた。 潮騒 ―― 風?違う、あれは人の声だ。
突き当たりの豪奢な扉を無視し、更に奥へ。段々と声がはっきりする。
と、彼は一瞬我が耳を疑った。騒ぎの只中に、信じられぬものを聞いたので。
ここには おおよそ似つかわしくない ―― 子供の声。
階段を駆け下りると、彼は急ぎ 分厚い木の大扉に手を掛けた。
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