(11)小さな大人、大きな子供
宿の主人は、慌てて姿勢を正した。
裏の勝手口ではなく、表玄関が珍しく開いたのだ。
「いらっしゃ ―― 何だ、ティンクか」
―― 何を期待していたんだろう。
客足が途絶えて久しい。
大地震で被害は大きくなかったものの、以来魔物は凶暴になるし、
『外』へと通じる出入り口が、どういうわけか尽く閉じてしまった。
おかげで、商売あがったり。
小人族の間では『助け合いの精神』がしっかり根付いているから、
生活に困ることは無いが。
一番重要なのは ―― そう、誰も『居ない』こと。
こう、来る日も来る日も がらんとした中に独りで居ると、
元来陽気な小人族だって、流石に萎れてしまう。
生活は、楽しめなければ意味がない。
そして、『楽しめる生活』というのは、誰かが居てこそ成立するものなのだ。
より賑やかな方が良い。
静寂は嫌いだ。…特に空虚な静寂は。
世界中に、自分たちだけ取り残されたような気分になる。
小人族は減少し、今やその村も、ここだけになってしまった。
外からのお客さんが増えてくれれば、まだ ましなのだが。
「何だとはなんだよ」
主人の憂鬱を知ってか知らずか、目の前の馴染みは頬を膨らませる。
「折角お客を連れてきてやったのにっ」
「えっ…」
続いて入ってきた人影を、彼は思わず数えてしまった。
…二、三、四…全部で五人も。思わず笑顔になる。
「いらっしゃいませ!」
「こんちは」
軽く頭を下げたのは、きかん気そうな一人。
こちらを見ると、エメラルドの目を見張る。
「?何か?」
「いや…あんたが、主人?」
はい、と頷くと、のっぽで森の精にも似た印象の一人が言った。
「一晩泊まりたいのですが、部屋をお願いできますか?」
「もちろん!」
そこまでを見届けて、
「じゃっ、そーゆーことで」 ―― ティンクは ぴっ、と片手を上げる。
「おいら、一旦工房に戻んないと。
荷物置いたら、お前らも来いよな!みんなに話しとくから!」
客人に返事の暇も与えず、言って投げ、駆け出していった。
宿帳を受け取りつつ、客人と共に ぽかんと見送る。
―― やがて気を取り直し、彼は言った。
「どうぞ、お部屋へご案内します」
―― どの部屋も小綺麗に整えられていた。
宿自体さほど大きくはないが、どこもゆったりとした広さが取られている。
木を丸くくり抜いた扉は可愛らしく、どれも開け放してあった。
見ると、それぞれに どんぐりの実やチューリップの花などを模って、
小窓がつけてある。どうも、これが部屋番号の代わりらしい。
アリスが案内されたのは、飛び立つ小鳥が印の、真っ青な扉。
淡い色調のカーテン、お揃いのベッドカバーとクッション。
光さす窓辺には、小さな鉢植えが置いてある。
お人形になったみたい、と彼女は思った。
実際今は人形のような大きさだと思うと、何やら心が浮き立つ。
「素敵なお部屋ね」…そう言うと、宿の主は実に嬉しそうに笑んだ。
「ありがとう。お気に召していただけたら嬉しいな」
風を入れようと窓枠に手を掛けた主人は、自分たちと大して替わらぬ年頃の
少年に見える。
だがこの外見に囚われぬことだ、とアリスは少しのうちに学んでいた。
妖精族の血が入ったものは、総じて長生きなのだ。
ことに小人族は、産まれてから死ぬまで、殆ど姿形に変化が無いのだという。
人間の常識からすれば驚きだ。
他に、大地の精ドワーフ族。
森の精エルフには、寿命が無いとさえ聞いた。
「おいらたちは――おいら、実は産まれた時のこと、よく分かんない。
気づいた時には、もう『おいら』だったから」
ティンクが言っていた。
ただ、朝の光がいっぱいに溢れる中目覚めたのだという。
…想像に過ぎないが、朝露から生まれおちた
などと考えると、それも素敵に思えた。
「…近頃は、あなた方のような人間のお客さんも減ってしまって。
こうしてお迎えできるのは、久しぶり」
「そうなの」アリスは相槌を打ち、…はた、と思った。
「…待って?私たち人間だ、なんて誰も一言も言ってないのに。
どうして判ったの?」
「小人が住んでいるのは、今じゃここだけだから。
それに、お嬢さんは『女の子』」
「?そうだけど…」
「僕ら小人は、大抵が人間でいう『男の子』のような姿なんだ。まあ、
実際に性別なんて ありゃしないんだけど。―― 逆に、
一般で『妖精』って言われてる種をご存知?」
「名前だけ。『フェアリー』ね」
「そう、美しい羽のある種族。あっちは僕らと共通点も多いけど、
『女の子』みたいな外見をした者が多いんですって。
それで、シェルコ先生なんかは『僕らとフェアリーは、本来一つの種だった』
なんて説を立てているんだけど、どうだかなぁ」
「へぇ…。貴方たちに似てるんなら、きっと可愛らしいでしょうね」
主人はどことなく照れくさそうに笑った。
「僕も会ったことがないので、一概には言えませんけど。
でも、一度くらい会ってみたいな。
噂じゃ、どこかに『生きている森』っていうのがあって、
可愛い妖精が住んでるって。
――お嬢さんたちは、旅なさってるんでしょう?
いつか見つかるかもしれないし、フェアリーに会えるかもしれないよね」
「うん。見つけるわ」
「そうなるように、お祈りしてます」
「ありがとう」
身支度を調え、ドアを出ると、丁度こちらへ来たらしいポポと対面する。
「アリス」
「ポポ!あ、もしかして呼びに来てくれたの?」
うん、と頷く彼は、妙に嬉しげだ。
帽子を手にしているから、散歩に行くつもりなのだろう。
「三人とも、先に出てる。僕たちも村の中を見に行こうよ。
ティンク君のところもそうだけど、夕方まで時間があるでしょう」
「賛成!」
日暮れまでには戻ると言い置いて、二人も宿を出る。
この小さくて陽気な人々が暮らす村を、よく見ておきたかった。
若い好奇心に火がつくのはすぐのこと。
そうなれば、じっとしてなどいられない。
全てを見聞きせんとばかり、二人は飛び出した。…ところが。
「見かけねー顔…――あっ!」
この一声を発端に、たちまち来訪者を上回る勢いで村人が集まってくる。
終いには、興味津々集まった人垣に、押し留められる形になってしまった。
「さっきの奴らの仲間かな?」
「人間さん、人間さん、こんにちわ!初めまして」
「ね、ボクと一緒に来ない?面白いもの見せたげるからさ」
「あぁっ、ずるいぞ!おいらが先だい」
「まあまあ、ここはひとつ公平にだな…」
「わあ!本当だ、女の子もいるー」
―― 丁度、一行がティンクを見つけた時と逆の立場になってしまった。
二人は、意外に気さくだった案内小人を思う。
「『みんなに話す』って、こういうことだったのか…」
「感心するところじゃ、ないと思うわ」
「ううん、ちょっとだけ困ってるの…」
もともと、「他種族にも友好的」と聞いてはいたが、ここまでとは。
ティンク播いた噂の種は、あっという間に芽を出し花を咲かせて――
どうやら、村中に行き渡ったらしい。
何せ人口は八十人あまりの小さな集落、こういうことは早い。
ともあれ、歓迎されているらしいのを見れば嬉しくなる。
質問攻めにされ、あちこちから誘いを受け…ようやく一段落ついて
「またねー」「あとでねー」
…手を振る集団に別れを告げると、ポポとアリスは大通りへ出た。
「ん、と…このまま黄色い煉瓦を辿れば、パン屋さんに着くって
宿のご主人は言ってたけど」
「ねえねえポポ!こっちは?」
アリスが手を引く。――『色彩通り』という一角だった。
トーザスの木工職人たちが軒を連ねる場所だ。
「わあ…華やかだねー!」
「流石に名前が付いてるだけのことはあるわね」
小人たちの創り出す品々は、概ね素材の質感を活かしてある。
しかし、中でもこの通りに面した工房では、色彩豊かなものが溢れていた。
目の前で木皿に絵付けをしていた絵師が、動かしていた筆を止めた。
「名前の由来は、他にもあるっすよ」
「へえー、何なんですか?」
「ここらの並木は、秋になると紅葉するんす。朱や黄色や橙や――
そりゃ綺麗でね。今が時期でないのが残念だ。
けどほら、今は花が咲いてるし、緑も綺麗でしょ」
初夏の日射しは自然の天幕に弱められ、穏やかに降り注ぐ。
指し示された先には、いくつもの花がきちんと手入れをされて植わっている。
「本当」
…そう言えば、此処かしこで花を見かける。
良い香りがすると思ったら、薔薇が咲き始めていた。
誰が世話をしているのか、向こうの工房の玄関口には
ラヴェンダーのプランター。
見事な藤棚があると思えば、その下では職人たちが茶を楽しみながら
談笑している。もう一本向こうの道には、ツツジが満開だ。
――これだけ色が溢れていて煩くないのは、ひとえに
小人たちのセンスによるものだろう。
…夢のような光景だった。
数軒の工房を通り過ぎる。
製品は様々だ。
調度品に生活雑貨、果ては人間用に輸出する、時計の部品なんてものまで。
途中、何度も店先やすれ違う人々から声が掛かった。
中でもアリスは、一目で外からの客だと分かるらしい。
「変な感じね」
「そう?大丈夫だよ」ポポはにこにこと笑った。
「あのね、この村魔法も発達してるんだって。
後で魔法屋さんも行ってみようよ。きっと役に立つ魔法があるだろうって
デッシュが――」
何軒目の工房を通り過ぎようとした時だろう。
聞き慣れた声がした。妙にはしゃいでいる。
――アリスは他人のふりを決め込んだ。
「あ、デッシュだ。…呼んでるよ?」
「いいの!」
彼女はことさら強く言い、そのままポポの手を引っ張って行こうとした。
努めてあちらを見ないようにしながら。
木工玩具に囲まれた男は、実に楽しそうだ。
木馬に跨り揺すっては、年甲斐もなく喜んだりして――何てことだろう、
にこやかに手まで振っている。
幾つよ、と内心で言葉をぶつける。
どこからどう見ても変な奴、ああいう大人にだけはならないようにしなきゃ。
第一、呼ばれる方は恥ずかしくてしようがない。
ずんずんと引き返すと、あの、腹が立つくらい明るい声が追いかけてきた。
「酷いなあ、呼んでるのに」
「あら。ごめんなさい、気がつかなかったの」
取りつくしまもないような返答だったが、
デッシュは「そっか」と頭を掻くだけだった。
「二人はどこ行ってたんだい?」
なおも ぐいぐいと手を引かれて歩きながら、ポポが答える。
「えーと、あちこち」
「あちこちか」デッシュが笑う。
「気になるものが いっぱいで、身体ひとつじゃ足りないんだもん」
「全くだ。今さっき居たとこじゃ、面白い仕掛けのおもちゃが沢山あってさ。
何なら後で、一緒にいくかい?」
ほんと、と瞳を輝かせる少年と、少女はあくまで対照的だった。
「だから幾つよ、あんた」
「え」しばし考えた男は しかし、へらっと笑う。
「うーん……幾つだと思う?」
「大きな子供みたいよ」
「そっかー、参ったなあ。きっぱり大人のつもりだったんだけど」
――木馬に乗って はしゃぐ大人が何処にいる。
「デッシュは器用だもん。探し物が見つかったら、
おもちゃの職人さんになれば?
デッシュが弟子入りしたら、きっと職人さんたちも喜ぶよ」
「おっ、言うねぇ。…それも良いな。ホントにそう思うかい?」
「思うよー」
「口の上手い奴め〜〜」
帽子ごと頭をくしゃくしゃ撫でられて、ひゃあ、と悲鳴が上がる。
――アリスは盛大に溜息をついた。
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