(9)呼ぶ声
一方その頃、件の『変な旅人』は、まだ焚き火の側に腰掛けていた。
太く良さそうな枝を選んで、火の明かりを頼りに削りだしたのは、
ブーメランだった。
魔除けの呪となる紋様を、丹念に表面に施す。
腐り止めに、と炙って表面を焦がし、仕上げに泉の一つに浸けてみた。
短絡的ではあるが、クリスタルの力が備わっているというなら、
清めになるかと思ったのだ。
――この泉。四人は『クリスタルの元に湧く筈の、聖なる泉』だと言った。
デッシュには不思議を感じこそすれ、ただの水にしか見えないのだが。
もう片方の手で水を掬って喉を潤し、彼は火の側へ戻った。
出来たての作品を矯めつ眇めつして、満足げに言う。
「こんなもんかな」
――どうして自分は、こんなことが出来るんだろう。
不思議に思わないこともなかったが、
身についていて得はあっても損はありえない。
目を輝かせて喜んでくれた観客もいることだし…。
デッシュの手先を「魔法」と称した、小さな魔導師。
素直な反応が嬉しくて、つい調子に乗ってしまった。
クリスタルの啓示を受けた、四人の少年少女。
一見凸凹な四人組は、不思議な纏まりを持っていた。
聞けば揃ってみなしごで、ウルの長老に拾われて以来、
ずっと一緒に育ってきた兄妹なのだという。
我ながら何を思ったか、気づくとデッシュは同行を申し出ていた。
言葉通り「面白い」のが第一印象だろう。そして…
こいつらのすることを眺めているのもいい、行く先を見てみたいと
――多分、そう思った。
興味本位で言い出したには違いない。
――他人との出会いは好きだ。不思議で、面白いから。
出会えば、そこから何かが始まる。何か…新しいこと。
旅をしていると、始終それを感じる。
記憶の有無なんて、気にしている暇はない。
思い出せない過去を無理に振り返って悲観するより、
先の見えない未来に想いを馳せる方が、どんなにか楽しい。
出会いは、きっかけだ――新しいことへの、初めの一歩。
デッシュは温かな炎を眺め、ふと表情を和ませる。
明るい赤毛をした、娘の顔を思い出した。
『デッシュ』
ウェーブの掛かった、柔らかそうな長い髪。
控えめなグリーンのドレスが、良く似合っていたっけ。
―― 一度出会った人を、デッシュは忘れないようにしている。
それが魅力的な女性とくれば、尚更だ。
サリーナ。最初は、ただ道を尋ねた、それだけのことだったのに。
それから街に留まった数日間、彼女は何かにつけて世話を焼いてくれた。
「何か出来ることはないか」と熱心に言うので、
街の観光案内を頼むつもりが ―― 口は正直だ。
するっと、こう動いてしまった。
「それじゃあ、デートして」
つい。…言ってしまってから、ちらとマズかったような気がしたので、
ちょっとだけ付け加えた。
「お願いします」
『頼み事をする時は、相手の目を見てお願いすること』――
そんな礼儀があったっけかな、と思い当たり、
咄嗟に行動に移し『きちんと』お願いをした。
――すると、サリーナは真っ赤になってしまった。
………やっぱりマズかったかもしれない。
困らせてしまったかな。
すとん、と腰を屈めて彼女の顔を覗き込む。
何を言ったらいいのか思いあぐねていると、サリーナが小さく頷いた。
「…わかり…ました」
「ほんと?ありがとう!」
結局こんな風に約束を取りつけて、次の日から丸二日。一緒に街を散策した。
街の入口付近にある、一番大きな噴水の広場で待ち合わせた。
何しろカナーンの街は大きくて、他では迷ってしまいそうだったからだ。
デッシュの宿からも、サリーナの家からも近かったので、そこに決まった。
彼女はデッシュが何となく話をし出すと嬉しそうに聞き入り、
他愛ない冗談を楽しげに笑った。
「この街は初めて?」
「うん。それに、誰かとこんなに一緒に居るのは初めてかも」
実際記憶がなかったから、そんな気がしたのかもしれない。
私で良かったらいつでも、と言ってくれたのが嬉しかった。
しかし、旅人となれば自然に、何処から来たという話になる。
訊かれて初めて、彼は自分の記憶を確かめ――気づいた。
名前以外は真っさらだということに。
サリーナに素直にそう告げると、彼女も驚きを隠せない様子だった。
しかし、何を隠そう自分でも吃驚だ。
どこから記憶が無いか、それすらも分からない。
それで彼女は一層デッシュの世話を焼いてくれるようになった。
だが、漠然と「行かなくては」という思いに囚われたのはそれからすぐ。
何故か居ても立ってもいられなくなって、
「行かなくちゃならないんだ。どうしても探さなきゃいけないものがあるから」
サリーナに言った。
咄嗟に口をついて出た言葉だったが、
口にしてみると それこそが真実のような気がした。
「…それは、貴方の記憶ですか…?」
正直、何を求めているのか分からなかった。
このまま、ここに居たって楽しく暮らしていける。仕事を見つけて、生活して。
――でも。
時折何かに突き動かされる。
止まっていてはいけない気がする。
失った記憶を求めているつもりなどないのに。
本当は、無意識に…思っているのだろうか。
かつての自分を見つけだしたい、取り戻したいと ―― そう ――
「………」
その辺は、幾ら考えても分からなかった。頭が割れるように痛い!
…なんてことは、悲劇と違うから、無いけど。
どっちにしても、自分のしたいようにしてきた。
街を出たのだって、最終的に自分で決めたことだから、いいか。
『デッシュ』
あの娘が自分に逢いたがってくれていると知ったとき、
デッシュは不思議にくすぐったいものを感じた。
世間での評判は知っている。好きに言わせておこうと思っていたが、
実のところ結構当たっているのではないかと思う。
「物好きだよなあ」――彼は独りごちた。
『行き当たりばったりの、いい加減な風来坊』…そんな奴を。
まあ何にせよ、一度カナーンまで戻って、サリーナに逢おう。
ずっと悲しませたままなのもなんだし、
早いところ『最低男』の汚名を返上しなくては。
デッシュはほんの少し笑い、遠い港街を想った。
今も「行かなくては」という強い気持ちが、前へ前へと追い立てる中――
あの声が耳に残る。
優しく自分を呼び止めて、何やら振り向きたい気にさせられるのだ。
それはしない方が良いだろう、と判っていても。
『アリス』
暫くぶりに、祖父の声を聞いた気がした。
あの部屋と、空気。――いや違う、今は旅先の筈。
故郷恋しさに、ホームシックにでも掛かってしまったのか。…それとも。
「――アリス」
「はっ、はい!」
呼ばれて、孫娘は慌てて返事をした。
村の長老トパパは、四人の旅の趣旨について詳しく語った後、
重々自覚するように促した。
その後、兄妹のうち下二人を、自分の書斎に呼んだのだった。
戸棚に並ぶ、薬や魔法の品々。本棚には難しそうな書物がぎっしりだ。
そして、この部屋特有の、どこか埃っぽい空気。
祖父が留守の時は入室禁止のここを、孫たちは別名『説教部屋』と呼んでいた。
読んで字のごとしだ。
当然、ここに呼ばれるということは、彼らにとってあまり嬉しくはないから、
呼ばれた二人は上目づかいに祖父を見つめては、はらはらしていた。
「『風』の呼びかけに、真っ先に応じたというのは本当か」
「え?う…うん――」問われたことの意味を量りかねて、アリスは首を傾げる。
「でも、ポポたちだって聞いたわよね?」
「うん。でも、聞き取ったのはアリスが一番先だと思うよ。
もしかしたら僕らにも話しかけてくれたのかもしれないけど、
魔物相手にしてたから、それどころじゃなかった」
「あ…そっか」
「なるほど。…どうだね、今は?聞こえるか」
「……」
二人は揃って首を横に振った。
「『風』がお前たちを『光の戦士』と呼んだのは、先程も聞いたが…
他に何か、変わったことは?」
「うーん…特には、無いと思います。思い当たらないから」
「ないわ。大丈夫」
会話が途切れた。トパパが何とも言い難い表情で、孫たちを見る。
…二人は何だか、一層 落ち着かなくなってきた。
ポポは俯き、自分の爪先を見つめていたが、
「あの、おじいちゃん」と声を掛けた。
「おじいちゃんは、僕たちに〈魔法〉を教えてくれたけど――しかも、
それぞれ質が違うのを。それは、僕たちがクリスタルに選ばれるのが
分かってたから…なの?」
「いいや。お告げは、儂にとっても驚きだった。
〈魔法〉を教えたは、ただお前たちが興味を示したからに過ぎぬ。違うか?」
――違わない。二人は無言の肯定を示した。
「まあ、他に意図がなかったわけでもない。
ポポ…お前には、儂の知識や技を受け継いで欲しかったし、
アリスには、ゆくゆくは後任の『風の司祭』として起ってもらおうと
思っていたからな」
「…それで、昔から司祭様のところに?」
「まあ、な」
「………」アリスは黙っていたが、
「あっ。あの…あのね」 迷い迷い、口を開いた。
『風の司祭』と聞いて、思い出したことがある。
「話しかけられた時、クリスタルが
『光の戦士』じゃなくて、『風の巫女』って」
「……『風』がお前を、『巫女』と?」
「う、うん。嘘じゃないわ」
祖父が目に見えて血相を変えたので、アリスは慌ててそう言い足した。
「『巫女』って何なのかな。司祭様みたいなもの?おじいちゃま、ご存知?」
祖父は、ふうむ、と唸ると黙り込んだ。
少しの間そのままで、やがて考えながら言うのだった。
「二人とも、白魔導師たちが命の理――流れに沿って〈魔法〉を行使するのは
知っているな?…白魔法の源は万物に宿る生命力そのもの。
あるいは、その根元であるクリスタルだ」
「「はい」」
「白魔導師たちの中でも、特に神殿などでクリスタルを祀り、
側近くで護る者を『司祭』という」
「「はい」」
「そして…一説によると、
古代より『巫女』と呼ばれる者は、クリスタルが自ら選び取る。
最もクリスタルに――世界の根元に近い存在だと言われている。
クリスタルの加護は万物に及ぶが…しかし、中でもお前は、
最も『風』に信頼され、祝福されたということになろうか」
アリスは三度頷きかけ――止まった。
「ち、ちょっと待って!あたしが!?」
今度は、祖父が頷いた。
祖父も狼狽しているのは、気のせいか。
何だか、物凄く大きなことを言われているような気がする――
我知らず、ぽかんと開けていた口を閉じようともせず、彼女はポポを見る。
ポポもこちらを見た。只でさえ大きい目が、更に大きく見開かれていた。
きっと、同じような顔をしているに違いない。
だって、やっぱり途方もなさ過ぎて。
「ひ、『光の戦士』になったから…?」
「いや。恐らく無関係だ」
つまり、自分は特別な役割と加護を、二重に賜ったことになるわけだ。
「つまり…つまり、凄いことになっちゃったのね…」
途方に暮れてしまうアリスである。
「アリスが『風の巫女』ってことは、あと三人居るの?」
替わって、ポポが訊ねた。
クリスタルには、『土』、『水』、『火』、『風』の四つがある。
世界が成り立つ上で必要なおおもとが、この四つだからだ。
もし『風の巫女』が存在するなら、
他の三つにも同じことが言えはしないだろうか。…だが、長老は言葉を濁した。
「判らぬ。巫女が現れるのは突然のことゆえ。
千年に一度とも、万年に一度とも言われておるが――そのようだから、
儂とて実例を目にするのはこれが初めてなのだ」
「………。とにかく、一大事でびっくりなのは分かったわ」
雲の上の出来事が、突然降ってきたような具合。しかし、
後込みする気など毛頭ない。『祝福された』というのだから、良いことだ。
いただけるのなら素直に受けとって、その分頑張ればいい。
滅多に感情を表に出さない祖父が心配しているのを見て取って ――
更に、隣で声を掛けるか否か迷っているポポに目を留め、
アリスはにっこり笑った。
「とにかく頑張るわ、うん!」
「うむ…。
…ところで二人とも、ここにあった『南極の風』を知らぬか」
今度は隣で、ポポが吃驚する番だった。
「…ええと…っごめんなさい、勝手に持ち出して!」
「悪い子だ」
とは言ったものの、祖父の声に咎めの響きは無かった。
「あれを使いこなせるようなら、心配はあるまい。自信を持っていいぞ」
「……。う、うん…」
――驚いた。もっとこう…軽々しく持ち出すな、と
厳格なお叱りを覚悟していたのに。
トパパは窓辺に歩むと、立てかけてあった杖をポポとアリスに手渡した。
荒削りな樫の杖と、金属製で先に飾りの付いた杖。
練習用でなく、二人が一人前になったら受け取る筈だった、正規のものを。
「〈魔法〉は大いなるものを動かすちから。半端な気持ちで扱ってはいかんぞ。
特に心を乱したまま呪を唱えると、大変なことになる。
意志を強く持つことを忘れぬように。――気をつけて行きなさい」
(…――)
――やっぱり、夢――。
呼ばれているような気がしたのは事実。けれど、祖父の声ではない。
――まただ。
(――『風』――…)
意識は、眠りの淵を行ったり来たりしながら、それを受けとめる。
クリスタルが、静かな訴えと優しい呼びかけを繰り返す。
このところ、いつもだ。一人で何かをしている時、物思いに耽っている時。
ふとした拍子に『風』の意識(とでも言えば良いだろうか)が入り込む。
しきりに何かを訴えては消えるのだ。
気づくと聞こえているように思い、気にし始めるときりがない。
『貴方たちには『風』の呼び声が届くから』
サスーンのサラ姫は、そう言った。
彼女にしてみたら、多少の比喩を込めたのだと思うが、
言葉通りになってしまうとは。
アリスは無意識に微笑んだ。
――明るく、強く真っ直ぐな女性。
そして、兄の心を短い時間で、ふわりと軽くしてしまったひと。
兄の変化は、アリスにも分かる。
あの一件以来、笑顔が増えて、心なしか明るくなったから。
『きっと飛んでいけるわ。耳を傾けていれば、きっと――』
(だと、いいな…)
本当に貴女の言うとおり、飛んで行けたなら。
けれど、『風』は呼びかけを繰り返すだけで、教えてはくれない。
四人の行く先も、行動も、具体的なことは何一つ。
漠然とした意味合いを、訴えるだけ。
特に嫌なわけじゃないけど、と彼女は思った。
(――急かされてるみたいだわ)
今がそれほどの緊急事態だと、分かってはいるが。
大気が流れ、アリスの頬をくすぐった。
(ありがとう。お陰でみんな、無事だった…)
不確かな存在を側に感じながら、アリスは呼び声に応じた。
彼女の声なき返答が、届いているかも謎だが。
あの時――竜の山であれだけ落下したにも関わらず、
全員があの程度の怪我で済んだのは、『風』の意思が働いたからだ。
クリスタルが働きかけ、風の精霊が沢山集まって、
幾重にも手を差し伸べてくれたから。…でも、それは。
(どうして?)
理由が分からない。
それに――『巫女』って、『光の戦士』って―― 結局、何だろう?
――『頑張ろうな』
――『世界に平和を取り戻してやろうぜ!』
――『出来るかな』
――『やるしかないわ。えいえいおーっ!』
そう決めたは良いけれど。
(あたしたち、何をしていけばいい?……)
…やがて、規則正しい寝息が聞こえてきた。
彼女の発した問いに答える声はどこにも無い。
風はただ、静かな夜を吹き抜けていくのみである。
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