FINAL FANTASY 3【広い世界へ】 -7



   (7)風来坊


 「…人…?」

 「人、だよね…」

 「それ以外の何に見える?」

 「何で今まで誰も気づかねーんだ…」


  ざわつく四人。姿を見せたのは、竜ではなく。


 「ふあああ」


 紛れもなく、人間だった。突如現れた男は、何とも暢気に
 …うーん、と伸びをする。
 あれだけの騒ぎの中、しかもこんな処で眠っていられるとは、
 実に見上げた根性である。


  呆気にとられる四人の目の前で、男は目覚ましの体操をした。
 肩を回し、腕を回し ―― そして、こちらを向いたので、四人と目が合う。

 「!」

 子供たちは思わず、びくっ、とした。そのまま固まる。
 熊にでも出くわしたかのようだ。


 対して男は、きょとんと目を見張った。

 …やっと自分以外の誰かが居たことに気づいたらしい。こちらへ寄ってくる。
 大股で、足早に ―― そして、何とも人好きのする笑みを浮かべて。
 条件反射で身構え、警戒する四人の様子など、見えてはいないようだった。


  口を開くと、豆鉄砲でも飛ばすような勢いで、男は言った。


 「おやまあ、こんな処で人に会うなんて!
  お前さんたちも、あの竜に掴まったのかい?ドジだねぇー」

 「…そういうあんただって…」


 響いてきた声は底抜けに明るく、口調は歯切れが良い。

 相手の持つ独特の調子に圧倒されつつも、
 何とかいつものように切り返したのはムーン。


 「え?そうかそうか、ハッハッハ!」

 返答を気に入ったのか、男は快活に笑って、ぽんぽんとムーンの背を叩く。
 ―― やけに人懐っこい男だ。


 四人は困惑した。額には、揃って汗が浮いていたりする。
 …何者だろう、こいつ。



 気に留めるでもなく、男は勝手に話し出した。それでようやく、
 固まったままの四人の時間も、動き出す。


 「カナーンで足止め喰っちまってね。目的も特に無いし、
  折角だから行ける方に行こうと思って、ぶらぶら歩いてたんだ。
  で、竜見物でもしようかなって、山登って――気がついたら掴まっててさ。
  いやあ、参った参った」


  男は言う。参ったと言うくせに、少しも難儀を感じている様子がない。


  ―― 変な奴だなあ ―― ムーンは思った。


 「だからって、こんな処で寝てるか?」

 「どうしようもなかったからさ。下りようがないし」


 「餌になるかもしれないのに?」

  訊ねたのはポポ。彼は、どうしても『餌』が頭から抜けないらしい。


 「そうなる前に、竜の背中に引っ付いて脱出するつもりだったんだけど」

 「んな無茶苦茶な」


 「荷物は、それだけなんですか?」

 キャンディが指した荷は、一人旅にしても、あまりに少ない。
 唯一きちんとしているのは、ベルトに差した護身用の武器だったが、
 それも、この辺ではあまり見慣れない代物だった。


 「登山をするなら、それなりの準備をして来ーーい!」

  ムーンがツッコミを入れる。こちらも、人のことを言えた義理でないのだが。


 「や、面目ない」――男は照れたように頭を掻いた。

 不揃いな長さの黒髪をオールバックにして、後ろで一つに括ってある。
 背は見上げるほど高い。脚も長く、すっと伸びていた。
 ――優男というわけでもなかった。
 鍛え抜かれた体つきは無駄がなく、実は相当強いのではないかという気がする。

 そして、紫苑色の衣装がこれまた風変わり、見たことのない生地で出来ていた。
 ともすれば、上から下まで一繋ぎになっているように見える。
 ほぼ、ぴたりと全身を覆っているのだ。


 「俺も薄々そう思ったんだけど、やっぱりかー」

 「薄々かよっ」
 「呆れた」


  こちらを見る漆黒の瞳には濁りがなく、まるで子供のようだ。
 それが笑むと、実際は20代半ばに見えていたのが、もっと若いような気もした。
 あるいは彼の人懐っこさが、そう見せているのかもしれない。


 妙にズレた調子が、返って他人を引きつける。
 きちんとした、とは言えない身なりも、それが何だかキマっていたりする。
 決め手は、年頃の娘が見たら十中八九胸を焦がすであろう、甘いマスク。
 ――こいつは俗に言う、『いい男』だった。


 「――あ!」


 話に聞いた二枚目。噂に違わぬ軽い性格。
 ポポが指摘するより先に、アリスが前へ進み出た。物凄い剣幕で、だ。

 「あんたね!?」

 ずかずかとやって来て、男を睨みつける。


 「?」

  笑い顔のまま困惑し、思わず両手を翳して「待った」の姿勢を取った男を
 無視して、彼女はまくし立てた。


 「あんただわっ。間違いない!風変わりでちょこーっとカッコいいけど…
  口ばっかりで女泣かせの、男の風上にも置けないデッシュさん!!」


 「そこまで言うか…」冷や汗を垂らすムーン、

 「ああ、やっぱり!」素直に喜ぶポポ、

 「アリス、アリス」止めに入ろうとするキャンディ。


 三人の声など耳にも届かぬ様子で、アリスは続けた。


 「ああ良かった、これで連れて帰れるわ。危うく忘れるとこだったけど」

 「……。忘れんなよ。ていうか、もう忘れてたろ」

 「とにかく!!さあ、一緒に来てもらいましょうかっ!!」


  とどめに、びしっ!と人差し指を突きつけた彼女は、少々息があがっている。


  風変わりな男は、言われるままに聞いていたが――やがて、ふとした拍子に
 吹き出し、弾けたように笑い出した。


 「あっはっはっはっは!」


 「…な、何が可笑しいのよぉ…」 むっとするアリスである。


 「あははは…あは、アハハハハハ!あ〜……いや、悪い悪い。
  ――お褒めに与り、どうも。確かに俺がデッシュだけど…」

 男は、笑いすぎて出てきてしまった涙を拭った。


 「どうして俺の名を?」

 と、興味深げに訊ねる。



 「サリーナさんよ!忘れたとは言わせないわ!」

 「あんたのこと、探してたんだよ。頼まれて」


 「あの」――更に何か言いかけた妹を引き止めて、キャンディが言った。
 「積もる話もあるんですが、詳しくは後で。ひとまず、山を下りませんか」


 「ん?ああ、――そっか、そうだな」


 キャンディはしきりに空を確認する。
 男もまた、提案に同意を示すと、同じく見上げた。
 あの黒竜が、いつ帰ってくるとも知れないからだ。



 「このまま居ると、ホントに餌にされかねないしなー…」

 「や、やめてくださいよ〜」

 何気なく呟かれた一言に、ポポが半泣き声を出した。
 くす、と軽い笑みを零すキャンディ。
 もちろん、みんな冗談のつもりだった。
 ――例の力強い羽音が聞こえてくるまでは。

 しかも今度は、山を揺るがす咆哮の、おまけ付きである。
 五人は青くなった顔を見合わせた。



 「これは…ちょーっとヤバイんじゃないの?」 とデッシュ。
 流石に笑顔も引きつっている。 「親竜のお帰りだ」


 やがて、空の彼方に現れた小さな点は、ぐんぐん大きくなる。確実に
 こちらへ近づいてきた。――これは、本当に竜とご馳走の図かもしれない。


 「あたしは美味しくないわよーーっ!!」


 「なんちゅータイミング…」

 ムーンは独りごちたが、即座に身を翻した。振り返らずに告げる。

 「先行く」


 「ああ」
 「え…え!?」


 「喋んな、舌噛む」 問答無用で怖がりな弟の手を掴むと、彼は跳躍した。


 「ちょっっ待――あーーっっ!!」

  二人の姿が消え失せ、余剰のロープが疾風の速さで引かれる。「!!」

  キャンディは慌てて手を伸ばし、ロープを支えた。
  二人分の重みに、身体が軋む。

 「くっ…」


  それに無言で手を貸す者が居る。出会ったばかりの青年だった。

 「デッシュ…さん」

  男は、険しいながらも不敵な笑顔をつくり、ただ頷いた。

 ロープが張ったところで、下の様子を確認し、ゆっくりと降ろしていく。
 その間にも、竜は着々と距離を縮めてきていた――また羽音が大きくなる。


 いくらも経たぬうちにデッシュが言った。

 「嬢ちゃんも行け」

 「えっ!で、でも」

 「二人がかりで支えるから平気だ、早く!」


  アリスは二人の顔と、崖を見比べた。
 迷ってはいられない――息を呑み、ロープを握ると意を決して、踏み切る!
 言われたとおりに急な斜面を足でしっかり押さえて辿り、懸命に下った。


  敵は、すぐそこまで迫っていた。

 耳をつんざく咆哮が、今一度。聴覚がおかしくなりそうだ。
 三人が無事に降り立ったか確かめる間もなく、…空が翳る。

 「兄ちゃん、もう駄目だ!俺たちも行こう!!」

 「っ――けど…っ!」

 そんなことをしたら。



 「死にてえのか!?まともに戦ったって勝ち目はねえ!しかも、これじゃあ…
  どのみち無理だ!絶対逃げた方がいい、逃げるんだ!!」


 このまま事態に身を任せるか、無きに等しい可能性に掛けるか。


 ついに竜が背後に降り立つ。
 デッシュは舌打ちをすると、腰のベルトから不思議な形の武器――
 動物の骨を削ったブーメランだ――を引き抜く。
 わざと見当違いの投げ方をした。戻らぬように、だ。


 敵の気を逸らすことが出来れば、と思った。だが、それも数秒。

 彼は、ただ両手のみでロープに掴まると、身体ごと少年に体当たりした。
 幸か不幸か、竜の翼が大気を揺るがし、それを後押しする。


 バランスを崩し、崖から投げ出されたキャンディ、
 その後にデッシュが殆ど同時で続く。
 竜の鉤爪は、すんでのところでデッシュの尻尾髪を掠めた。
 僅かに黒いものが散れる。

 そして、そのたった一振りが、もう殆ど余剰のなくなったロープにまで及んだ。
 留め具の手斧が外れるより早く、支えにした巨木の幹が擦れるより早く、
 ロープが鈍い音を発して、断ち切れる――!!


 「!ああああぁぁっ」


 上の二人も、下に居た三人も、事態を把握する間もなく投げ出された。
 反射的に理解したのは只一つ、落ちていくこと。勢いがつきすぎた五人は、
 どうすることも出来ないまま斜面を滑り転がっていく。


 竜の羽音が聞こえた。
 黒い影に目を見開いたその一瞬、強風が生じた。――竜の翼からか、
 それとも山の天気か。無論、五人にはそんなことを思う暇などない。



 飛び過ぎていく景色を一瞬の間に見送り、
 あちこち身体をぶつけたかと思えば また投げ出され――
 葉の擦れる音と枝の折れる音を聞いた。


 仕上げは野草と腐葉土の匂い。露に濡れて、柔らかく湿っている。



 ぼやけていた視界がはっきりして最初に目に入ったのは、
 ひっそりと咲いた雪笹。白い小さな花が可憐だと、素直にそう思った。


 暫く誰も、動かなかった。



 「みんな――大丈夫か…?」

 やがて呼びかけたキャンディに応える声は、全部で四つ。
 どれも力がない。


 何も考えられなかった。成り行きにまかせて、じっとする。


 竜はもう追ってこなかった。
 鳥のさえずりが遠くで聞こえ、緑の匂いを含んだ清涼な空気が、
 辺りに満ちている。

 ――良かった、生きてる…



 動悸が治まると、今度は身体の心配をしなくてはならなかった。
 あれだけの高さから落ちたのだから、怪我をしない方が不思議だ。


 案の定、見た目にも酷い上、身体の節々が痛かった。
 どこかで擦り、打ちつけたのだろう。

 手指の先は爪が割れ、血が滲んでいる。身体を起こそうとして、誰もが呻いた。


 「…ポポ、ロープに絞められてねーか…?」

 「ん、――へいき…」

 「見事に潰されたな…」

 「ん…――えぇ!?」

 ぱしん、と頬が鳴った。

 「スケベっ」

 「〜〜〜っそれが命の恩人に言う台詞か!?さっさと退け!」



 「兄ちゃん、無事か」

 「はい、何とか…」


 答えて、キャンディは驚いた。
 デッシュが肩から腕、背中にかけて酷い怪我を負っていたからだ。
 先程、庇うようにされて落ちてきたことを思い出した。

 「っ…すみません、僕の所為で…!」

  起き上がって、慌てて回復魔法〈ケアル〉を唱えようとする。
 〈赤魔導師〉として、サスーン城で覚えたばかりの魔法。
 自身が慣れていない上、魔法専門ではないから、この怪我には
 気休めくらいにしかならないだろうが。


 「いんや、いいから。止めときな。
  今魔法なんか使ったら、お前さんの身が保たなくなる」

 制した手に、やはり血が滲んでいる。千切れたロープを握り込んでいた掌は、
 裂けて熱を持ち、ずくんずくんと脈打っていた。


 「!」

 「デッシュ、あんたそれ…!」

  アリスが気づいて近づいた。手も足も痛むけれど、
 どうやら問題なく動かせそうだった。


 「ああ…うん。ちょっと、ドジっちまった」

 「無茶をしたから…当たり前といえば当たり前ですよ」


 少年の僅かに咎めるような声を聞き、デッシュは苦笑する。

 「うん。あの場合、他にどうしろって?」


 「ですね」

 ――この人が居なければ、自分はおろか、皆どうなっていたか分からない。

 「ありがとう…助けてくれて。お陰で、無事でした」


 「いいよ」 デッシュは片手を軽く上げた。その掌が、痛々しい。

 キャンディもまた、慌てて薬草袋のありかを探った。


 「ほら、さっさと手を出すのよ。魔法かけてあげるから。
  私は大丈夫、ぴんぴんしてるもの。…土は触ってないわね?」

 「ああ、たぶん」


  魔法の光が消えると、デッシュは、掌に残った血を布で ざっと拭った。
 安堵するキャンディを見ながら、ちらりと言う。

 「…――女の子だったら、もっと役得だったんだけどねぇ」

 「馬鹿言わないの」

 アリスが言った。これだけの怪我をしておきながら、なお軽口を叩いて笑える
 彼に、半ば感服し、半ば呆れながら。――と。



 妙な地鳴りがした。

 …嫌な予感。山の斜面が唸ったと思うと、丁度一行の居る部分が一塊り、
 見る見るヒビが入ってそっくり抜ける。


 「嘘――っ」


 安堵する隙も与えず、虚ろな深淵がぽっかりと口を開ける。
 彼らは為す術もなく、呑み込まれた。

 後には、長いのか短いのか、奇妙な時間感覚だけが残った。




 「…う…」 身じろぎをしたのはムーン。

 声を聞き取ってなのか、ポポの指先が ぴくりと動く。


 一行は、折り重なるようにして倒れていた。
 微かに差し込む地上からの光の帯。朽ちかけた木の葉が舞い、
 土塊が音を立てて注ぐ。

 こんな処に自然空洞があったとは。


  痛みをさほど感じなかったので不思議に思って見ると、
 日陰に繁茂するシダや苔類が幾重にも広がって、
 クッションの役割をしてくれたらしい。

 ――まったく、運が良いのか悪いのか。
 どんな急斜面を下るそり遊びでも、こんなに酷くはない筈だ。



 五人は、今度は天井に覗いた空を、呆然と見上げた。

 「…。もー、最悪だわ……!」

 誰よりも早く言葉を紡いだのはアリスだ。


 デッシュが、ひゅうと溜め息を洩らす。「いやー、危ないところだったねぇ」


 「まったく…ははははは、らっきぃ…」

  同意するムーンの声からは、力が抜けきっている。


 「もーーうイヤ!」アリスは、とうとう音を上げた。
 「あたし、暫くは高いとこ、行かないからねっ」


 「懸命なご判断で」

 「どーせなら、登る前に言ってくれ…」


  力無く笑うデッシュと、げんなりしたムーン。

  一行は揃って、安堵とも諦めともつかぬ溜め息をついた。



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