第二章 広い世界へ
1 贈り物
(1)遠くへ
広がる青空。太陽はそこに昇ることを喜んでいるように、さんさんと輝く。
雲に手を伸ばせば届きそうで、けれど掴もうとすると
ふわりと煙って、融ける。
気づけば飛空艇は、今や柔らかそうな緑の絨毯を敷き詰めた地平を後に、
遙か高みを飛んでいた。
「おおーっ!凄え!かっこいい!!」
「わあ、高ーい!綺麗……あっ、鳥!」
見ると、純白の鳥が一羽、飛空艇の横を通り過ぎていく。
ほんの少し飛空艇と併走して、離れていった。
身を翻すと太陽光が反射して、きらりと光る。
そして、先程から眼下に広がる景色などを眺めては、
興奮に目を輝かせている子供たち――
彼らこそ、世界を救うとされた我等が光の戦士たちなのだった。
と言っても、今の彼らにそんな呼び名は縁遠く思われる。
何しろ村の外は『初めて』ばかり、
見るもの聞くもの、自分たちを取り巻く全てが新鮮に映る。
好奇心が十二分に刺激される。
改めて世界の広さと美しさを目にして、ただただ感嘆の声を上げる彼ら。
――その様子は故郷に居たときのままの、十代の少年少女そのものだった。
…無理もない。
何しろ空を飛ぶなんて、普通に暮らしていたら
一生に一度、出来るか出来ないかの経験だ――キャンディは
はしゃぐ弟たちを見、すまなそうに言った。
「…すみません。何だか大騒ぎになっちゃって…」
「いやなに、構わんさ。むしろ、これだけ喜んでもらえると、嬉しいよ」
快活にそう答えたのは、操縦桿を握る姿も若々しい、貿易商シド。
髭も眉も真っ白だが、まだまだ現役。なかなかにパワフルな爺さんだ。
先の呪い騒ぎで、出張先の街の住人共々亡霊と化し、
身動きが取れなくなっていた。
彼は移動手段として飛空艇を提供してくれていたのだ。
四人の働きで魔人の呪いが解けると、
凱旋した彼らを、今度は次の港町まで送り届けてくれるという。
港町カナーンには、シドの実家がある。
「目的地は同じなのだから、遠慮することはない」と言われて、
四人は再び、その言葉に甘えることにした。
「ありがとうございます。本当に助かりました」
「気にするなと言っとるじゃろ。
お前さんたちは儂を救ってくれた恩人なんじゃから、
これ位のことはさせてくれよ。のう?」
シドはこう言って笑った。
「…そうそう。カズスの連中がお前さんたちにと、ミスリル製の何やかやを
くれたよ。商品と一緒に置いてあるから、後で持って行きなさい」
「はい」
沢山の親切に、頭の下がる思いだった。
気のいい鉱山夫たちや、気難しそうな職人頭。
飛空艇に立派なミスリルの船首をつけてくれたタカ爺さん。
美味しい食事と温かなベッドを用意してくれた女将さん。
町で最初に会ったあの気弱な男は、四人の知らない国のことを教えてくれた。
皆の親切に報いるために出来るだけのことをしよう、と
キャンディは思うのだった。
一つの事件を解決したことで、『光の四戦士』の呼び名が持つ意味合いは、
僅かだが真実味を帯びた。人々の間で、そして光の戦士たち本人の間で。
小さな自信は、やがて確かな自覚へと繋がっていくだろう。
今は、前を見て進む。
そうすれば、いつかは目指すものが見えてくるだろうか。
辿り着けるだろうか。
「そろそろ、ネルブの谷へ差し掛かる頃じゃ。
谷を抜けてもう暫く行けば、カナーンが見えてくる」
果てのない旅。でも、いつかは。
――いつかは、戻ってくる日が来るのかな。
遠ざかる景色を見送りながら、ポポは思った。
草原が、山が、もうあんなに遠い。毎日暮らた村から、どんどん離れてゆく。
今までは、ちょっと おつかいに行くだけでも冒険だったのに。
これからのことを考えると、不思議で、どきどきして、それから少し怖い。
楽しみだってあるけれど、あの二人のように手放しで喜べるわけじゃなかった。
「――ムーン、アリス。嬉しいのは分かるけど、
少し落ち着いたらどうだい?」
「そういうお前は落ち着きすぎ。折角霧が晴れて、
あんな遠くまで拝めるんだぜ?もっと喜べって。
はぁ、絶景かな絶景かな♪」
「……。あんた見てると頭冷えるわ」
アリスは言い、ポポの方へ歩み寄った。彼と同じ方向を見る。「怖い?」
「え?――平気。高いのは、気持ちいいよね。……どうして?」
「ポポ、ずーっと静かなんだもん」
「そうそう」ムーンがひょい、と顔を出す。
「あまりの高さにビビったんじゃねーか?」
「!怖くないって言ってるだろっ」
「どーだかなー」
「怖くないもん!!」
キャンディが、じゃれ合う弟たちを見ながら苦笑する。シドが笑った。
「元気でいいのう」
「…はい」
この明るさはそのままに、みんなで進んでいけたらいい。
そして、それを護るのは――
「キャンディ、何とか言って!」
「ほら、それくらいにして。…谷が見えてきたよ」
わあっと歓声が上がった。地面がいよいよ遠い。あんなに深いところにも、
花が群生しているなんて。
上空に雲がやってきて陽射しを遮ったらしい。翳ったのを
やおら見ると、ムーンは何を思ったか、にんまりと笑った。
「シド、シド!もっと高く飛べねぇ?」
それを受けて、シドが実に嬉しそうににやりとする。
「儂の飛空艇に不可能はない!!」
「ぅわっ!!」
老操縦士が操縦桿を傾けると、飛空艇は急上昇、
あっという間に雲海が臨める。陽の光を受けて、きらきらしていた。
「……っ」
よろけた拍子に腰の小袋から飛び出した物を探し、
ポポは床に視線を彷徨わせた。やがて、何かがこつん、と靴に当たる。
「!」
「あれ、〈ファイア〉の珠じゃない。まだ使ってなかったの?」
「う、うん…」
彼はビー玉ほどの大きさの〈黒の珠〉を拾い上げながら、
アリスの言葉に曖昧に頷いた。
〈ファイア〉の魔法珠。これがあれば、火の魔法を使えるようになる。
これは先の魔人との対決で彼を封じたときに出てきた、彼の力の一部だ。
余程炎の精霊を取り込んでいたのだろう――凝縮された火の力は結晶となり、
幾らかの魔法珠として手元に残った。
それを、必要なだけ拾ってきたのだけれど。
「キャンディ、使ってみたのかな」
「ええ。ね、凄いと思わない?
時々一緒にお爺ちゃまの講義は受けてたけど、
魔法珠使うのはこれが初めてなわけでしょ。でも引き出せたの!
サラ姫様に訓練受けて、すぐなのよ」
「へえ…!」
魔法の習得は、珠に閉じこめられた力との接触を図ることから始まる。
今回の場合は、火の精霊だ。握って念じることで、精霊と接触する。
これにも個人差があるにはあって、なかなか出来ない人間も居れば、
精霊の存在も感じられずに終わる人間もいる。
キャンディがそれをこんなに短時間でやってのけたということは、
やはり彼は並の才能の持ち主でないということ。
本当に『赤魔導師』になれる可能性もあるのだ。
「凄い」
祖父さながら唸ったポポに、アリスは笑った。
「ポポだって、その気になればもっと凄くなるわ。これから」
「そんなことないよ」
握りかけた利き手をゆるゆると開いて、彼は珠を袋の中に戻そうとする。
「使わないの?」
「もう少し、勉強してからにしようと思って」
「わあ、張りきってるんだー」
「ううん」
そんなんじゃないよ、と言おうとして、やはり口ごもった。
数年、黒魔法を習ってきた身だ。
初級の魔法なら、扱おうと思えば それなりに扱えるはず。
今も火の精霊が、微かに珠の中から手を差し伸べてた。
あとは、こちらからも思念の手を伸ばして触れればいい。
接触しようとすれば、火の精霊と契約できる。
自分の心を一体化させ、同調しさえすれば。
――でも。
炎の魔人と戦った時の光景が甦る。あの声が、言葉が甦る。
『自然界で最も扱いにくいとされる精霊を従えたのだぞ』
『それは従えたのではない、貴方は「火」に呑まれたのよ』
目の前に圧倒的な勢いで広がった火の波。
立ちはだかった、熱くて熱くて大きな炎。
うっかり触れればあっという間に火傷をするし、
小さいものを呑み込んで、跡形も残らないくらいに焼き尽くす。
そして、一度手がつけられなくなると、もう止められない。
燃やして燃やして燃やし尽くして、
何もかも無くなる―― 御する人間でさえ――
あの時感じた熱さを思い出し、身体の中にそれを感じる。
が、熱さは寒気に変わった。
沸きあがってきたものを隠すように、ポポは黒の珠を袋の奥へと押し込んだ。
「……れ?シド、何か高度下がってない?」
カナーン上空まであと少し、というところでムーンが言った。
窓から外の景色を、あっちこっちと覗き込む。
操縦席に軽い足音をさせて走り、「?」…操縦士と顔を見合わせた。
そこへ、振動がくる。
空図を見ていたキャンディが、慌てて計器を確認しに走る。
…さっと顔色が変わった。
「浮力計が下がってきてます!」
「おー。そりゃ、ちとマズいのう。動力の方は?」
「まだ…大丈夫みたいですけど」
「なら、推進力はまだある。浮力変換の方が上手く行っとらんのじゃろう。
――イカれてしまったかな?」
「イカれた、っておい!」
「そんな、あっさり言わないでください!」
長兄・次兄、同時に叫ぶ。
「さっきから何か、音がするんだけど…」
「また下がったみたいよ!?」
慌てふためく子供たちをよそに、老人は言った。
「幸い、もうすぐじゃ。ほらな」
川を街の中心に挟んで、整然と立ち並ぶ家々。
赤レンガ色の屋根と白塗りの壁。大きな港。目の前は海、反対側には山。
ここにも若い冒険心を騒がすものは沢山あったが、四人にしてみたら
それどころではなかった。
「大丈夫、大丈夫。落ちるときは落ちるモンなんじゃから」
それでも余裕たっぷりなシドの言葉に、
「そか」ムーンは思わず納得して、うんうんと一緒に頷いた………が。
「って。落ち着いてる場合かーーーッ!!」
「うわぁあああ!!!」
「なんの!」
シドは素早く方向変換の舵に取りつくと、力一杯回した。
木製の操舵輪が凄まじい勢いで回転し、円を描く。
誰かが悲鳴を上げ、誰かがひっくり返った。
飛空艇は民家の上空を辛うじて外れ、船底を街の防壁に掠って
暫く行ったところで不時着した。地面を抉り、草地を焦がして、
やっとのことで停止する。
土煙と蒸気がもうもうと立ち上る中、
陽射しと緑と鳥の声が妙にうららかな午後を演出していた。
「〜〜〜っ」
「…。……」
「し、死ぬかと思った……」
「へ、へへ…冒険には、これくらいのスリルがなくちゃな…」
「かっかっかっ、その通り!」
快活に笑う老飛空艇乗りを横目に、四人は情けない顔のまま
がっくりと肩を落とすのだった。
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