(19)譲れぬもの
「命を馬鹿にするなあ!!」
かっと熱いものが湧いて、思考を閉ざす。叫ぶが先か、駆け出すが先か。
自分でそうと認識する前に、デッシュは短剣を構え突進していた。
変わり果てた、かつての仲間。
嘆くより先に、大切なものを尽く踏みにじられたという気持ちが、彼の怒りに
火をつけた。
―― メディウム。
分かっている。目の前の男もまた、本当の彼ではないと。
もはや別の誰かだ。こんなに冷酷な顔は見たことがない。
偉そうな物言いも、強い態度も…憶えている限り、そのままだけれど。
闇に…歪んだ力に染まってしまったのか。
メディウム自身、使い魔たちを操っているようでいて
既に『ザンデ』とやらの操り人形になっているのが明白だ。
かつて同志だった、何者にも代え難い仲間だった男をしっかりと目の中に捉え、
デッシュは今にも懐に飛び込むかに見えた ―― が。
相手は、薄く笑った。
その瞳に逆に捕まった瞬間、デッシュの四肢は硬直し、重く強ばる。
「!?」
すい、と短剣を取り上げられ、気づいた時にはもう刃先が
自分の喉を向いていた。息が途端に詰まる。動くまいとすればするほど、
ひくついた。
「「デッシュ!!」」
「勝負あったな」
冷たい声音が、無防備なデッシュに容赦無く染みこんだ。
笑顔は残忍に歪み、赤い髪は燃え立つ炎に、血の色さながら染まっている。
「メディ…ウム」
男は首を横に振った。
「我が名はメデューサ。ザンデ様の命により、この大陸を地に返す」
「………!!」
「――〈ファイア〉!」
勝ち誇った敵から、ふいに悲鳴が上がった。
短剣が手の中で、ほんの一瞬 燃えたのだ。
キャンディが咄嗟に、機転を利かせて発動させた魔法で。
「ああっ」
敵に向けられたとはいえ、その熱さを思いポポが目を覆った。
短剣はその手を外れ、しゃん、と涼しい音を立てて床に転がる。
早くも呪縛から解放されたデッシュは、
すかさず飛び退き、それを拾い上げている。
「……?」
ポポは気づいた。―― 手が動かせた。足に力が入る。
思わず傍らのムーンを見ると、
俯せになっていた彼は、力を込めて上体を起こすところだった。
彼の方はまだ敵の不思議な力が残っているのか、かなり大変そうだ。
それでも汗を滴らせて、何とか起き上がる。
ポポと目が合うと、ムーンは にやりと笑いかけてきた。
―― 反撃開始だ。
「味な真似をしてくれるじゃないか」瞬時に目の前に移動してきた敵。
「媒体も無しに魔力を形にするとは ―― 伊達じゃない」
キャンディは圧倒されたが、鋭く相手を睨み返した。
「あなたが誰だか知らないけど、仲間に危害を加えるなら容赦しない」
「凛々しいな」
不穏な気配を感じて、アリスが駆け寄り隣に並ぶ。
二対の瞳に睨まれて、敵は、空気を擦る あの笑い声を立てた。
「そんなに遊んで欲しいなら ―― 可愛がってやってもいい」
「やべっ」 「駄目だ!」 「目を見るな!!」
三つの声が飛んだけれども、二人の視線は敵に絡め取られた。
温和しく控えていた筈の女が、合図と共にばさりと手を広げる。
手…いや違う。褐色の両腕が信じられぬ速さで動き、何本にも増えたのかと
思いきや。女の腕は翼に変じ、袖を破った。
曲線を描く肩から胸にかけては人間のままなのが、いやに生々しい。
衣服の裾から覗いていた華奢な足首から先が、みるみる鋭利な鉤爪になった。
下半身は硬い羽毛に覆われたようだ。
半鳥半人の女は、翼を大きく使って跳躍し、鉤爪の足で
動けなくなった二人を思いきり蹴り飛ばした!
体を抉られる、この痛み。心の奥底から悲鳴をあげて、なお止まらない。
倒れた仲間を助けるべく駆けつけるムーン、ポポ、そしてデッシュ。
キャンディとアリスの、痛みと恐怖に翳んだ視界には、
更に信じられぬ光景が映って追い打ちを掛けた。
男の――メデューサの朱い髪が、波打って…次第にのたうち、何本かに纏まる。
最初紐のように見えていたそれがみるみる太くなり、目がついて、舌が出て…
「ヘビっ!?」 ムーンとポポが声を上げ、
「……!!」 動けないキャンディとアリスは凍りついた。
デッシュが渾身の力で、メデューサ目掛けブーメランを一投した。
半鳥半人の女が、翼で鋭く弾く。ブーメランは見当違いの方向へ飛んでいき、
「うわっ」 ポポの頭上を翻って失速し ―― やがてメデューサの背後、
炎に呑まれる。
「……っ」
ムーンは咄嗟に方向転換をした。
まず、あの厄介な鳥女をどうにかしなくては。
「でやああ!!」
雄叫びと共に突っ走り、相手を仕留めかけたその一瞬。
目の前の姿が消えた。
「!」
―― 早い!
背中を槍に抜かれたかのような痛み。
貫かれたわけではないのだと知り、安堵する自分が居る。
呻いて、それでも何とか持ちこたえ、拳を雨霰と浴びせて反撃を開始する。
こうなれば、女だからと容赦はしない。気を抜いたら、こちらが終いになる。
その様子に気を取られたデッシュは、
「来るなあああ!!」 悲鳴にも似た叫びを聞いて我に返った。
ぶわっ、とポポを中心に発せられた魔力の波動。
それは空気中の水分をみるみる凍らせて、敵に迫り閉じこめようとした。
水中の魚なら、中心部まで凍って動けなくなればそこまでだ。
けれど、この、蛇は違った。
「くああああ!!!」
冷気の檻を圧し破り、迫ってくる蛇頭の怪物。
信じられぬことに、朱い蛇が長く長く伸び上がり、
ポポ目掛け食いついてきた。幾つも幾つも、牙が食い込む。
悲鳴。牙を通じて、体を浸食してくる冷たい毒の感触。
キャンディが気合いを凝らして立ち上がり、蛇の群から弟を引き剥がす。
デッシュの短剣が、直線を描いて飛び、蛇の髪を ぶつぶつと切り落とした。
蛇の束縛から逃れたは良いが、兄弟は揃って また倒れてしまう。
「〈ポイゾナ〉!」
くたりと頽(くずお)れたポポに、アリスの癒しの手が触れる。彼女は続けて、
〈ケアルラ〉の波を起こした。優しい力が、流れ込んできて生命の火を灯す。
ムーンは倒れた女が全く動かないのを確かめると、
残った敵と仲間たちの方を振り返った。
デッシュが、あの男に語りかけているところだった。
「メディウム。一体どうしちまったんだ」
「それはこちらの台詞だ。一体今まで、何処で何をしていた?」
「それは…」
問われて、言葉に詰まる。
目の前の人物は思い出せても、此処がどういう場所なのか知ってはいても、
実は肝心要の部分が、どうしても出てこないでいた。…自分は、何者なのか。
「『正式なる後継者』がこれでは、話にならぬ」
四人もデッシュも、はっとした。
「『世界』を見せてくださる、とザンデ様は仰った。
古代の技術を以てしても成し得なかった、世界の姿、真理の解明を――
あの方ならば、遂げられる」
『世界』―― 真理。かつて、そんな言葉を聞いたことがなかったか。
希望に溢れていたあの頃。眠っていた記憶が、揺さぶられる。
複雑な感情を伴って。
「お前は、その『世界』を壊そうとしてるんだぞ!?」
「真理に近づくには、それが必要だからだ」
僅かな迷いさえない、その答え。――こうなったら説得は受け付けないだろう
ということを、デッシュは…そう、ずっと以前から知っていた。
だから、腰に帯びた残り一本の短剣を、ぎゅっと握りしめた。
…―― 息を詰めて両者の様子を見守っていたキャンディは、
とある引っかかりを覚えた。
塔に入った自分たちを迎えた、この男。
デッシュと馴染みが深いのだとしたら、彼と同じく
この塔に関わりがある人物に違いない。
塔の内部へ続く入口を開いたデッシュ。
この男は、デッシュよりも ずっと早く塔の中に到達していた。
『ザンデ』とやらの強力な後ろ盾もあった。
ならば、もっと早く大陸が墜落していてもおかしくないと思ったのだ。
それなのに、それが出来なかった ―― いや、または『それをしなかった』?
(どうして)
『来たのか』―― 奴は、そう言った。
デッシュが辿り着くまで『待っていた』とでもいうのか。
主の命令で?それとも、自らの意志で?
「メディウム…大陸より先に、お前は墜ちちまったんだな」
「違う。これから登り詰めるんだ。今はその途中さ」
「だから大勢の命を奪って良いっていうのか!?
エレナやマリエラの存在そのものを、弄ってすげ替えて…」
「好色の風来坊が、正義の味方にでもなったつもりか?
これで知識も腕も無ければ、平穏な人生だったものを」
―― 嘲笑の中に、微かな寂しさを秘めた羨望の眼差しを見たのは気のせいか。
「そういうお前は、世界の覇者にでもなるつもりか」
「私は、その手足に過ぎない」
「『ザンデ様』―― か。何にせよ俺は、お前から見たら
その『偉大なる御方』に刃向かう愚か者ってわけだ」
デッシュは自嘲気味に笑った。
「そう…愚か者だ」
男は呟いた。
「それほどの才能と強い魂を持ちながら ―― 何故、それを活かそうとしない。
知らぬふりをして、無能なふりをして、いつもお前は逃げるんだ。
内心、"俺"を見下しているんじゃないのか。それとも本物の臆病者か」
静かだった声が、喋るうちに熱を帯びていた。
「逃げていては始まらないんだよ。全てを拒否して、お前は何をしている?
あれもこれも嫌だと言って…代償無しに、得られるものなど無いんだ。
理想主義者め。全部手に入れて、なおかつ全ての幸福を望むだなんて、
それこそ奢りじゃないか。虫が良すぎる――!」
「――――」
デッシュの顔に、困惑から取って代わり ―― 狼狽の色が はっきりと現れる。
そこに、蛇の牙ではなく、男の拳が命中した。
いや、拳 ―― でもない。手からは鋭い爪が伸び、先で鋏に変じていた。
「ぐぁ…」
「甘いんだよ」 囁きに近い言葉は、密やかで冷たい。
「デッシュ!!」
四人分の呼び声が届く。
力なく後ろに倒れ込んだところへ白い姿が飛び出して、
すかさず治癒魔法を施した。
―― ムーンが構えていた。
ポポがきっちりと帽子を被り直し、意を決して挑む。
キャンディもまた、呪縛から解放されたのを知って、立ち上がる。
アリスは、きっ、と男を睨んだ。
「さっきから、黙って見てりゃ とことん無視しやがって」
「デッシュは、臆病者なんかじゃない!!」
「甘くて何が悪い。大勢の命を踏みにじるよりましだ。理想は、叶えるものさ」
「さっさとそこを退いて!あんたを倒して、墜落も食い止めてやるわ」
―― 待ってる人が居るのに。…こんな奴に、邪魔はさせない。
ねえデッシュ、こんなところで倒れてる場合じゃない。
「そうか…お前たちが居たのだったな、『光の四戦士』」
「…なんか、改まって言われると照れるな」
「そこ、自分で話の腰を折らない。」
「デッシュは、僕たちを何度も何度も助けてくれた…
今度は、僕たちがデッシュの力になる番だ!」
「ああ」
デッシュが呆然と四兄妹を見た。敵は、うっそりと笑った。
こうして、本当の戦いが始まり ―― それは意外に早く決着がついた。
ポポの放った稲妻を、キャンディが自らの外套で払って火を点け、
敵の頭に被せた ―― この一瞬が決定打。
視線を封じてしまえば、正面から向かっていっても
動きを止められる心配は無い。
そして、デッシュが短剣を持って、その懐に飛び込んだ。
無防備にも、真っ直ぐに。
重い手応えを感じ、血に濡れた短剣を引き抜くと、メデューサ…いや、
かつての親友は、微笑んだ。
「運命(さだめ)、か…」
「――メディウム」
「悔しいな……」
倒れた男の肉体は、その場に残らなかった。
彼もまた、魔物たちと同じように異質な力に呑み込まれたのだろう…というのが
推測できただけだ。実際は、分からない。
魔物にその身を貶めてまで ―― 彼は、何を成したかったのだろう。
「――――」
人影の消えた床を黙って見つめていたデッシュが、ふと顔を上げた。
火の照り返しが強くなりつつあることに気づいたのだ。
ここは、オーエンの塔 最上階。
―― デッシュは動力炉を確認した。あの、塔を底まで穿った穴だ。
炉には、塔そのものを燃やし尽くしてしまいそうなほど炎が上がっていた。
放っておいたら、爆発が始まりそうだ。
「随分 酷いな…」
彼は独りごちた。
同じように底を覗き込もうとした少年を、「駄目だ!」彼は咄嗟に制する。
「近寄ったら危ない」
肩を押し戻されながら、ムーンは戸惑いの表情でデッシュを見る。
そこへ、ヴ、ォン…と自然のものではありえない低音が響いて、
四人は驚いて固まった。
音に振り向いたムーンは、
さっきの鳥女が壁に何か細工をしているのを見つけた。途端に存在を思い出す。
メデューサと共に消えたわけではなかったのだ。
傷ついた翼が、傷ついた腕に戻っていた。
「! あいつ」
「待て!―― いいんだ」 デッシュは再び片手を翳して少年を抑え、
助手のマリエラに話しかけた。
「状況は?」
「…………」
黙って首を横に振られて、彼は走り寄る。
壁の模様を辿り、古代文字を見つけ出すと、掌でなぞって起動した。
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