(18)記憶
「ようこそオーエンの塔へ。ここが貴様らの墓場となるのだ……」
思わず四人がびくりとした。デッシュが辺りを見回す。
「誰だ!!」
ムーンは天井を きっ、と睨みつける。叫んだものの、返答は無かった。
誰も居ないと思ったのに。
誰かが、この塔に入り込み、今、自分たちを観察している。…そう分かると、
何とも言えない恐怖感が湧いてきた。
まんまと敵の術中に填ってしまったのでは?
だが、困惑の中でなお青年デッシュの口を突いた一言が、
光の四戦士を引っ張った。
「んん…何だかここは見覚えがあるぞ」
「本当!?」
四人が一斉にデッシュに詰め寄る。
「何か思い出したのか?」
「さっきの声は誰なんだ!?」
「魔物が居るの、ここ!?」
「ここはどういう場所なの??」
「待て、ちょっと待ってくれよ?」デッシュは言葉通り両手を翳して
子供たちを抑え、慌てて言うのだった。 「とにかく進もう。こっちだ」
おっかなびっくり、上の階へ。
湧き出した不安を嗅ぎ取って、魔物たちが寄ってくる。
青い毛並みを持つ大型ハリネズミに、墜ちた妖精族『ファージャルグ』
進化の末、高い知能を持つに至った『プティ・メイジ』――
いずれも魔法を使いこなす強敵だ。初級の魔法とはいえ、厄介なものもあるし
束で掛かってこられると手に負えない。
ブーメランを放りながら、デッシュは眉をひそめた。
「こいつら『使い魔』だ」
「えっ」
「何だそれ」壁に出現した魔物の巨大な顔を遠慮なく蹴り飛ばしつつ、
ムーンが問う。
「昔の人間は、魔物の中でも知能が高くて比較的温和しい奴らや
妖精族の一部を飼い慣らして、使役した。こいつらがそうさ。
ただし、今はすっかり闇に染まってるみたいだけどな」
「そんなことが」
驚きに加えて、人間の勝手にも少々嫌悪した様子で、キャンディ。
敵の爪を弾き返し、しかし轟いた呪文に彼は圧された。
「それってこの子たちが?それとも、ご主人が?」
素早く〈白魔法〉を唱え終えたアリスが、今度は疑問を投げた。
「どっちだろうな。でも恐らく、さっきの声の主が操ってんのさ」
「そんなの可哀想だよ!」
ごお、と押し寄せた敵の炎を懸命に〈ブリザラ〉で打ち消し、ポポが叫ぶ。
醜悪に歪んだ妖精族の顔が、冷気に凍りついた。
血路を開き、五人は階段へ押し寄せた。
歯車と細い車軸、部品がいくつも組み合って動く三階、
四階は すっかり荒れ果てて、吸血蝙蝠の巣と化していた。
デッシュは歯噛みした。―― こんなになって。
血を求めて群がってくる蝙蝠の群を必死に蹴散らし、立ち回る。
ヒッヒッヒ… あの嫌な声が また聞こえてきて、一行を嘲笑った。
そして五階。突入するや否や、声は不気味に言う。
「永久に彷徨い続けるがいい……」
脅しだ、ハッタリだと誰もが思ったが、敵の言葉は真実だった。
辿った先は、いずれも続きの無い袋小路。閉じこめられた形になる。
わらわらと押し寄せる魔物を撃退するうち、
体力も気力もじりじり削られていく。
「どうなってるの!?」
「出口が無い…!!」
「くっそー!馬鹿にしやがって!!来い!出てこい卑怯者ーっ!!」
ムーンの声は、空しく反響して消えた。…更に。
ガターン!!
凄まじい音がして、一行は飛び上がった。戻ってみると何と、階段が無い!!
「出して!!」
退路すら断たれて、四人は蒼白になった。―― が。
「そうだ!」…必死に記憶の糸を手繰っていたデッシュが、はっとする。
この局面において、怒濤のように記憶が蘇って来ているのを、四人だけでなく
本人も感じていた。
「確か、隠し扉のスイッチがあったはずだ!左から――八つ目の…壁!」
「よぉし!!」
素早くムーンが駆けていって、言われた箇所を力一杯、押す。
ブロックの長方形が幾つも連なった、真っ平らな壁。
その一部が またしてもガコッと凹み、止まっていた幾つかの歯車が動いて、
鎖を引いた。すると、袋小路を造っていた障害物が、みるみる左右に引っ込み
道を開けたではないか!!
「流石だね、デッシュ!!」
「いやいやいや」 それほどでも。と言いつつ、彼は素直に喜んだ。
六階、七階、八階、九階……
ほぼ三つ飛びに、東西と南北へ車軸が走る階があった。
軸に混じって橋が渡してある。移動用か、点検用か。
その階下には、決まって支柱の立つ床が組まれていた。
複雑な金属の格子戸が填め込まれている階もある。
互い違いに組み合って、その結果大陸をひとつ浮かせるほどの浮力を生み出して
いるのだと思うと、改めて凄さを実感する。
最も、それを噛みしめている時間など彼らには無かったが。
摩訶不思議な軸とパイプと幾何学模様の壁…そして歯車が織りなす迷宮を、
光の戦士たちはデッシュの先導で上へ上へと駆け上がった。
やがて、最上階。
使い魔たちの主であり一行を脅かした張本人は、ここで待ち構えていた。
「来たのか」
足音を聞きつけ言った男は、朱く波打つ髪が やけに長い。
視線は鋭く、肌は男のくせに生白い。
よく見れば中性的な顔立ちをしていて…声が低いから
咄嗟に男だろうと判断したのだが、果たして本当にそうだろうか?
男の傍らには、見目麗しい美女が居た。こちらの髪はデッシュと同じ漆黒で、
肌は褐色、濡れたように潤む瞳が酷く色っぽく、同時に酷く危険な感じがした。
男に寄り添い、しなだれかかるようにして彼の肩に手を載せている。
中でも二人の服装が目を惹いた。
デッシュの紫苑色の衣装と、よく似ているのだ。
機能的で、身体全体をぴったりと覆うもの。ともすれば、まるで揃いの制服だ。
「お前か!さっきから、ヤなことばっかり言ってやがったのは」
喉をひくつかせて、くつくつと朱い男は笑った。
ムーンはその声が生理的に妙に嫌で、聞いた途端に寒気を感じ身震いした。
「ザンデ様の命令により、
この私が塔を破壊し…宙に浮いたこの大陸を落とすのだ」
「馬鹿な。そんなことをしたら、あんたも無事では居られないぜ」
デッシュが不敵な笑い顔を作り、挑む。
「何ですって…?」
大陸を落とす。大惨事の準備が人知れず粛々と進められていたことを知り、
四人は驚愕した。そして同時に敵の長らしき名前を聞き取り、身構える。
――ザンデ。
「そいつがお前の主か」
剣の切っ先をぴたりと相手に向け、キャンディが問う。
敵はこれには答えなかった。
ヒッヒッヒ…喉を絞って出す、耳障りな笑い声。何がそんなに可笑しいか。
…ふと。
「おや」と、そいつは目を留めた。
「こいつは奇縁 極まりない。
…デッシュ、どこからこんな『光』を連れてきたんだ」
「!?」 「………?」
「そっくりじゃないか。我等が崇めた、かつての『光』と」
愉快そうに笑い、男は目を細めた。すっ…と身を引き、傍らの娘を前に出す。
「おかえりなさい。デッシュ様」
「――――」
娘の喉から発せられた声を聞き、デッシュが硬直するのを四人は見た。
娘が手を差し伸べ、ゆるゆると距離を縮めてくる。
――駄目だよ、デッシュ。下がれ。振り払うんだ。
だが、デッシュは信じられないようなものを見る目で娘を見つめたきり、
動こうとはしない。
「デッシュ!!」 走り出そうとしたポポとムーンを、
「おっと」 男は軽く振り向いただけで阻止した。
少年たちは、くたくたとその場に倒れ込んだ。
自分の身体が動かないと知るや、二人は驚愕する。上手く力が入らない。
一方、青年デッシュは目の前の二人の姿と発せられた声に記憶を揺さぶられ、
自分自身と格闘していた。
「…お忘れですか、デッシュ様」
この寂しそうな声音。――こんな顔、絶対にさせたくなかったのに。
「エレ…ナ」
娘が泣きそうな顔をする。酷く傷つきやすそうな、その表情ときたら。
「………違う。マリエラ…マリエラか…?」
「デッシュ様。思い出してくださいましたね」
褐色の腕が、長い爪をした指が、デッシュに向かって伸びた。
「………っ」
アリスが咄嗟に、両者の間に割って入った。両手を使って、渾身の力で
女の身体を押しのける。
不意を突かれた女は、小さく悲鳴を上げ、床に倒れ込んだ。
「あんたを待ってるのは、他の誰でもない。サリーナさんじゃないの?
本当にあんたのこと呼んでるのは、誰の声?」
「……。嬢ちゃん」
「浮気禁止」
アリスの言葉は静かで、きっぱりとしていた。
『デッシュ』
…振り向きたくなる声を思い出した。
柔らかな手触りの髪。
はにかんで見上げてくる瞳、触れた瞬間ふわりと溶けた唇。
二人で声を立てて笑った、あの明るい噴水のほとり。
短い間だけど一緒に過ごした、少ないけれど温かな記憶が、
デッシュを引き戻した。呼び声に気力を貰い、デッシュは夢から醒める。
どういう記憶の連鎖か、目の前の二人のことも しっかりと思い出しながら。
「メディウム。マリエラ」
名を違えず、デッシュは呼んでみせた。
キャンディもまた、女の声を聞いた瞬間、非常に奇妙な感覚に囚われていた。
心のどこか奥底で、自分でない自分が騒いだ。
ふいに泣きたくなったのだ。訳も無いのに。
「デッシュ様」
寂しそうに、名残惜しそうに、女は言った。
――その声は、確かにデッシュの記憶の中に残っていたけれど、
この姿をした娘のものではなかった。
「メディウム…『彼女たち』に何をしたんだ」
「私が術を施したのは、マリエラ一人。
命の流れに還った者をどうこうできるわけがあるまい?」
「………どういうことだ」
「彼女は望んだのだよ。『使い魔』の身でありながら、
お前に愛される『人間』になりたいと。だから望みを叶えたまで」
「だからって…何をしても良いのか?」
それは即ち、彼女の存在そのものを否定し、歪めることになりはしないか。
―― 何てことを。
カッと目を見開き、デッシュは朱の髪をした男を見やる。
よく見れば、もともと赤い髪が炎を照り返して、朱を強く帯びているのだった。
強い炎が、男の背後にある穴の底 ―― 遙か下で吹き荒れている。
「命を」―― デッシュの瞳が、怒りに燃えた。
いつも屈託のない笑みを浮かべる顔が、子供のような無邪気さが…嘘のように。
「命を馬鹿にするなあ!!」
細身のナイフを構え、デッシュは一直線に向かっていった。
―― かつての、同志に。
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