(16)予言者の住む谷
あのアーガス城から北西の奥地に、光の四戦士と青年デッシュはやって来た。
平坦な草原から、険しい山間部へ。東西に走った谷の底を通り、進むこと数日。
目指すグルガン族の住む谷は、浮遊大陸の秘境とも言っていい場所に在った。
谷を挟み、険しい山脈のそびえる南北。南側には、切り立った峰に閉ざされて
ドールの湖がある。
用が無ければ、あるいは余程無謀な冒険者でなければ、
人が足を踏み入れないだろう場所だ。
予言者グルガン族は、深い谷の奥深くに居を構え、いつ来るとも知れぬ――だが
やがて訪れるだろう客を静かに待っていた。
集落の入口は、人一人がやっと通れそうな裂け目。
ちょっと通り過ぎただけでは見落としてしまう路だ。
実際、同じ場所を何度も歩き回った。
安全を確保できると判断した場所に乗用鳥のチョコットを待機させた一行は、
躊躇いがちに谷の奥へ足を踏み入れた。
堅い岩盤が両脇に迫る。裂け目の幅は天に向かって伸びると共に狭まり、
見上げると空が細長く切り取られている。
カン…カン…カン……コン……。
うっかり蹴飛ばした小石が反響し、不思議な音を作り出した。
ここを抜けたら、異次元の世界へ行きますよ…とでも告げられている気がした。
やがて通路の終点に達する。さく…と踏みしめたのは柔らかな腐葉土、
ぱきりと小枝を踏み折って、現実を認識する。
迎えてくれたのは遠く響く鳥の声、辺りに満ちる木々や動物たちの気配と
濃く立ちこめる葉の匂い。空気は ひんやりと冷たい。
常緑樹に混じって紅葉樹があり、谷に彩りを添えていた。
…気がつけばもう、そんな時季なのだ。
この谷間を囲むようにして、遙か高所から小さな滝が幾つか落ちていた。
水量はあまり多くなく、それ故か落ちきる前に霧状に融けてしまうものもある。
ここら一帯に霧が立ちこめ、予言者たちの住まう隠れ里を
誰にも見つからぬよう、すっぽりと覆い隠していた。
本当にこれ以上入り込んで良いものか。
進めば進むほど ますます躊躇われたが、ここまで来たなら行かねば。
所々に小さな庵が点在していた。
お邪魔しても良いだろうか、気にしつつ通り過ぎる。
人の気配が、生活の匂いが、ここは殆どと言っていいほど感じられないのだ。
結局 集落の奥まで辿り着き、大きめの建物を見つけて入ることにする。
――いや、建物じゃない。これは天然洞窟だ。
建物と思ったのは、頑丈な岩洞が木々の中に埋もれていたからだ。
堅固で異質な存在は、隠れているようで際立つ。
入口通路に沿って光が点されていたので、一行は目指すべき場所を確信した。
光源は淡く弱い。魔法だろうか、音も匂いも無い。
集会所だろうか。昼間だというのに中は薄暗く、
目を凝らさなければ様子を窺い知ることは出来なかった。
一歩一歩を確かめ進む彼らを、不意をついて声が迎えた。
「ようこそ」
一行は人を探してここまで来たに違いなかったが、突然声を聞いて
ぎくっと立ち止まり、あるいは後ずさった。
薄墨色の闇の中、人の姿が確かにある。それも一人ではない。
ずらりと円陣を組んで座る人たち。
「ここは我らグルガン族の谷。
光を与えられた小鳥、そして いにしえより戻りし導きの風…」
正面に控えた人が謎めいた言い回しで呼びかける。
回りくどい歌の文句のようだったが、どうやら自分たちに
話しかけてくれたのだろうと察しがついた。
「待っていた」
言われて、どきりとした。―― 何か重大なことを告げられた気がして。
掌を上向きにして手が持ち上がり、普通より明らかに長い指が
ゆっくりと動いて、招く。
魔法でも掛けられるのかと思った。そうではなかったけれども、
見えない糸を引っかけられ手繰り寄せられるように、
光の戦士一行は入口から更に洞内の奥へと歩を進めた。
無言で円陣の中心を示され、一行は勧められるがままそこに座る。
一行に話しかけた予言者は、その気配を察すると満足そうに頷いた。
暗さに目が慣れてきたのと、傍に近づいた為やっとその姿を認識できた。
それで、一行は思わず息を呑む。
目の前に居る人は、デッシュが伝え聞いたとおり頭髪が無い。
それだけなら驚かなかったと思う。
しかし その人の瞼は固く閉じられ、開く気配が無かった。
もうずっと前に、膠でへばりついてしまったかのように。
思わず周囲を奇異の目で見回してしまう。
同じように瞼を閉じた者も居れば、
薄く開いてはいても殆ど白目しか見えない者、
はたまた瞼は しっかり開いているのに宿した光の焦点が定まらず、
煙水晶や硝子玉のような瞳をした者 ――
決して失礼をするつもりはなかったが、異様だと――そう思ってしまった。
それを察してか、五人を招き入れた予言者が言った。
「我らは生まれた時から目が見えない。その代わりと言ってよいものか…
第六感的なものが発達し、中には未来を覗くことができる者も居る」
「未来を――!?」
「お願いです、どうか教えてください。僕たちをお導きください!」
「俺たち、その為にここまで来たんだ!」
「何をどうしていいのか分からないんです…!」
正面の予言者は、心得たという様子で頷く。一方で、
傍らに控えたもう一人が、いやいやをするように首を振った。
「人が未来を知ると、大抵 不幸を招く。
だからこそ、私たちはこの谷に ひっそりと住んでいる…」
更にもう一人が、ここではない遠い遠い場所を見通して、淡々と言う。
「未来は…光にも闇にも見える。定かではない……」
彼らは眠りの中に浮いては沈み、夢と共に在る。―― そう見えた。
五人はその『夢のお告げ』を、切れ切れに聞いている具合だった。
―― 具体的な助言を貰えるつもりで、ここまで来たというのに。
ムーンは始めこそ圧倒されていたが、また苛立ちを募らせた。
そして、咄嗟に…曖昧な訊き方では何一つ具体的なことを答えてくれない
予言者を逆手に取り、ならば、と単刀直入に、根本にある謎を問いかけた。
「クリスタルは!クリスタルは無事なのか!?」
「風の導きに従い、炎、水、土のクリスタルの元へ行け。
更なる力を手にするだろう…」
はっきりとお告げがくだった。
そこから連鎖が始まったようだ。次々と、予言者たちが口を開いては噤む。
一行は、一言も聞き逃すまいと一斉に耳をそばだてた。
「土の力が他の三つの光を封じた。そして自らの力も…?」
目が見えてはいないのに、その人は確かにキャンディを見定めた。
ほんの僅か首を傾け問いかける仕草をされて、言われた本人が困惑してしまう。
「水面(みなも)が揺らぐ。世界がざわめく。
暗黒にその光を濁し乱すことなかれ」
「お、俺!?」ひたと顔を向けられ、ムーンは自分を指さして目を白黒させる。
咄嗟に思い出されたのは、彼にしか所持できない、水の牙。
「風の真に恐ろしき様は、荒れ狂うにあらず。留まることによる」
「…!――ええ」
そうね、と風の巫女アリスは頷いた。
風が止まる ―― それは即ち、死…世界の終わりを意味するのだろう。
「ドワーフの住む島。炎の歌が聞こえる」
ある予言者は、自らも歌うように朗々と告げた。
ポポは自分に呼びかけられたと知るやギクリとし、
…怯えの滲んだ声で そっと呟いた。
「歌…」
隣に控えていたもう一人の予言者が、諭し窘めるように、
小さな魔導師の少年に語りかけた。
「耳を塞ぎ、心を閉ざすのは何故か?そなたがそれでは、
返って炎に身を焼かれ自らを滅ぼすに違いない。火を知り、火を受け容れよ。
さすれば火はそなたの内で燃え、力となる」
言われた本人は、今まで抱えてひた隠しにしてきた恐怖を
何の前触れもなく明るみに出されて、恥ずかしさと恐ろしさに震えた。
そして、自らを守護してくれるのが他ならぬ『火』だということに、
疑念と…絶望すら抱いた。
「………」 「ポポ…??」
クリスタルは世界の支え、偉大なものに違いない。
害など及ぼす筈が無いと分かっていても ―― この、恐怖。
どうして、どこから来るのか。
焼き尽し燃えさかる火の残像が、浮かんで消えた。
「探し人は黒き炎の中。
闇に捕らえられし炎を救い出すには、光の炎を以てすべし」
「…!そんなっ」
探し人。今それを言われたら、たった一つしかない。
砂漠に消えた、海賊船エンタープライズの仲間たち。
「風守さんたちが…」
嘘であってほしい。予言の概要も恐怖をかき立てるが、この局面では
自分が鍵を握っているのだと言われているようなものではないか。
火は、全てを燃やし尽くす。
そんな危険な力を、どうして受け容れられるというんだ?
そのポポのイメージに同調したのか、はたまた只の偶然か。
次のお告げがくだされた。
「塔が赤い炎を出して崩れ去ろうとする時 ―― 運命を変える男は目覚める」
壁の立ちはだかる、予想もしなかった際の辺りから、声だけが響いた。
ゆら、と姿が浮かび上がってきたように見えて ぎょっと目を見張ったが、
何のことはない、予言者が一人、階段を上ってきただけだ。
地下階段があるなど、暗くて分からなかったのだ。
「予言は真実となった」
冷や汗をかきだした少年の肩に気遣わしげに載せたデッシュの手が、
一瞬だが緊張して強ばった。
「おいで」
穏やかに、だが相手を従わせる口調で、予言者は言った。
円陣を組み座っていた予言者のうち二人が、左右に身体をずらし道を開ける。
促されたと感じ、おずおずと、五人は予言者に従って階段を下った。
ゆっくりと、だが確かな足取りで、予言者が前を行く。
地下一階の部屋は上と同様に仄かな明かりがあった。
透明でチョコボの卵ほどの大きさの〈魔法珠〉を思わせる球体が、
東西南北に置いてある。
その球体からも発光していた。うんと近くに寄ると、さすがに明るい。
神秘の光が満ちる中、グルガン族の男は、静かに語った。
「大地震さえも単なる予兆に過ぎぬ。
あの大きな震えさえも、これから訪れるものに比べれば ちっぽけなものだ」
「あの地震が大したことないって…」
「どういうことだよ?もっと酷いことが起きるっていうのか!?」
「一体何が…?」
「さてな。答えは、そなたたち自ら見出すはず。
私は見たものをただ伝えるだけ…それ以上のことは、残念ながら出来ない」
謎めいた言葉には、しかし、どこか人間味を帯びた優しさがある。
口元が綻んだ。グルガン族の人間が そんな喋り方をするのを、
五人の来訪者は、ここへ来て殆ど初めて聞いた。
あるいは彼(?)が、一方的に伝えるのでなく、
自分たちの言葉を受け止め、答えてくれたことに安堵したのかもしれない。
一切成り立たなかった会話のキャッチボールが、今初めて成立したのは確かだ。
微笑みを宿したまま、その人は言う。
「久しいな、そのような姿」
今度 言葉を向けたのは、
光の魂を秘めた子供たちに対してではなく…そう、同行者である
青年デッシュにだった。
両者を おっかなびっくり見比べる四人。
デッシュ本人は、至極当然の疑問を口にした。
「………。何か見えるか?あんた、俺の何を知って」
「北に在るオーエンの塔へ入りなさい。
デッシュ…そなたの運命が待っている」
「!!!」
あまりのことに四人は驚愕した。デッシュ本人も流石に困惑する。
誰も、彼のことを教えていない。名乗ったわけでもない。
けれども、予言者はデッシュの名前を自然に…いとも容易く
呼んでみせたのだった。
デッシュは、少し警戒をしたものの すぐにその姿勢を解いた。
次の瞬間 彼に垣間見えたのは、何かを悟ったかのような ――
しかし、量りがたい表情。
何を感じたのか、はたまた思い出したのか。
四人はデッシュの心の内を何とか推し量ろうとしたけれど、
残念ながら分からない。
『塔が、赤い炎を出して崩れ去ろうとする時』
『運命を変える男は目覚める』
運命を ―― では、さきほどの予言は、やはり彼の?
『実は俺、記憶喪失でね。名前以外のことは思い出せないんだ』
古代人の末裔が語った史実が蘇り、目の前の青年に被って揺らいだ。
オーエンの塔。浮遊大陸を空に存在させる為の、巨大『永久機関』。
それと、彼と。 ―― どんな関係があるというのだろう。
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