(9)猜疑心 対 希望
「フェルじゃん!なにやってんの。みんなは?」
「ムーンこそ!あれ、ポポたちも居る」
そう、そこには、あのフェルをはじめとした、
海賊船エンタープライズの仲間たちが身を隠していたのだ。
「あ…、あの…」
…切羽詰まった表情を困惑に変えて、先程の女性が――疑問符を投げかける。
「姉ちゃん、大丈夫だよ」
「えっ?」
「よく言うよ。マジで飛びかかってきたくせに」
…フェルは ばつが悪そうに へらっ、と笑った。
「…メンゴ」
「僕ら、ウルの村から来た者です」
まだ昼だというのに、薄暗い床下の貯蔵庫で話が進む。
外よりも涼しいのは幸いだが。
「違うんですか。ごめんなさい。てっきり村を襲った兵士たちが
またやって来たのかと思って…」
女性が思わず涙ぐんだ。
「主人は捕まって……西の砂漠に連れて行かれました。
武装した兵士たちがやってきて……」
「兵士」―― まじまじとキャンディが繰り返した。
男の子がやってきて、心配そうに女性を覗き込む。先程逃げた子だ。
男の子を愛情込めて抱きしめると、彼女は気丈にも涙を堪えた。
どうも、親子らしい。
そして、フェルが「姉」と呼ぶところを見ると、二人は彼の親戚――この子が、
以前話していた「甥っ子」に違いない。
意気消沈して古びた椅子に座る姉の肩に腕を回すと、
フェルもまた へにゃっと悲しそうな顔をした。
「俺たちが来た時には、もうこうなっててさ…
村に身内の居る仲間は、ここに留まって備えてたワケなんだ」
緊急事態に直面しているからか、気落ちしているからか、
彼は声のトーンをいつもより数段 落としていた。
「それから襲撃はあったの?」とアリス。
彼女は、怪我をしたという船員を白魔法で治していた。
当の患者の手を取りながら、彼女は相手の目を見て訊ねる。
「まだ一度だけっす。どうもこっちの出方を窺ってるみたいに見えて、
しようがねーんですが」
「それがまた、どーにも不気味でねぇ」
「「確かに」」 ムーンとデッシュが声を揃って唸った。
「あれ…そういえば、船長は?黒髭のおじさんやセトさんは?」
「うん。俺たち今、三つの部隊に分かれてて。お頭は船。船番と、村番と――
ダナンや風守(かざもり)は、ちょっくら偵察にね」
「偵察?」
「兵隊はどこから来るのか?――砂漠から、って言われてるけど、詳しいことは
サッパリなんすよ。だから、後をつけようって」
「つける、って――危険じゃないですか?」
「………」 「言わんこっちゃねぇ…」
ポポが ごくんと唾を飲み、ムーンが頭を抱えた。
「大丈夫だよ、風守が一緒なんだし!ダナンだって、ああ見えて強いんだ!」
信用しろよぉ!とフェルが声を大きくする。――と、そこへ。
「大丈夫かい!?」 「侵入者はどこじゃ!!」
「ええい、侵略者め!年寄りと思うてくれるなよ!」
「パメラ、リュカ!!」
上から声が聞こえ、どやどやと人の気配がする。
「おっかかれーー!!」
壊れた床板の隙間から 長い棒やら魚獲り用の銛やら突っ込まれて、
訪問者たちは悲鳴を上げた。
「だから違うんだってばーーーっ!!!」
―― 半殺しの目に遭った。
光の戦士一行は、本日何度目か肝を冷やして、生きた心地がしなかった。
フェルたちの口添えがなければ、どうなっていたことか分からない。
四人もデッシュも、そんなに人相が悪い方ではないと思うが、こんな状況では
「来る者 皆、敵」と見なされる ―― いくら幼く見えたとしても。
もう少しで、縛られて引っ立てられるところだったが、
事情を説明する者が居てくれたことで、辛くも村人の疑心が和らいだ。
それで、村長の家までは、なんとか普通に赴くことができたのだった。
但し、余所者である五人。完全な信頼を得たわけではなかったことは、
村人たちの行動が、充分に物語っていた。―― まあ当然だ。
「悪いが、預からせてもらうぞい」
「どうぞ」
キャンディは、長剣とナイフ一式を外して預けた。
弟、妹たちも武器を渡し、凶器となる恐れのある魔法珠や道具類は
全て取り上げられた。
更に、魔導師二人は、術が使えないよう温和しく後ろ手に縛られている。
ポポは泣きたい気分だったが、そうも言っていられない。
こうでもしなきゃ、気を許すどころか余計に疑われるのは間違いない。
ポポは後生大事に持ったままだった未習得の〈ファイア〉を、
鞄の片隅に入れたまま そっと手渡した。
ひょっとして何か起こりはしないか。
――ビクビクとお爺さんの顔色を覗ったが、お爺さんには何処吹く風だった。
「儂が村長じゃ」 ―― 男が、名乗った。
無精髭と短く刈った髪には白が混じっているが、肌は日に焼けて黒いのが
いかにも『漁師』らしい。まだまだ現役、といった風情だ。
「あの大地震以来 西の砂漠から兵士がやってきて、村の若いもんや
食糧を略奪していきよる。お陰で村はこの有様じゃ」
心痛を抱えて、言葉通り「困った困った」と伏し目がちな村長に代わり、
補佐役が言う。こちらは聡明そうな瞳をし、物腰も穏やかな農夫だ。
「ここを離れていた身内が帰ってきてくれたお陰で助かったのは確かじゃ。
しかし、敵が何時またやってくるか分からん。兵士たちは屈強で、数も多い。
儂らでは、太刀打ちできる相手ではない」
「お爺。大丈夫だよ!俺、強くなったんだからっ」
「ほ。もやしっ子が、言うようになったわい」――言葉と裏腹に、心底
心強く思っている様子だ。補佐役の皺だらけの顔が泣きそうに歪んだ。
「僕らも、お力になります」
キャンディが、きっぱりと言った。
弟と妹が、当然のように…あるいは躊躇いがちにではあるが――頷く。
「ありがとう」
そして、――早速だが、と補佐役は懐から何かを取り出した。
「これは、この村を襲った兵士が落としていったものじゃ」
―― アーガス ――。 ひっそりと呟く声があり、一行は仰天した。
「まさかアーガス王が!?」
目の前に出された紋章。
それは、どう見てもアーガス国の紋章に違いなかったからだ。
命を示す赤。そして、華麗に翼を広げる古の幻獣グリフォン。
上半身は鷹、下半身は獅子の――想像上ではあるが見るからに猛々しい生き物。
「嘘でしょう……!?」
でも、この紋章は本物だ。知っている。
確かに見た――あの、無人となったアーガス城で。
…では、王がトックル村 侵略を命じたと?
民政に力を注ぎ、民の声に真摯に耳を傾ける、名君と謳われている王が。
嫌な予感に冷や汗をかき、…あっ、と少年少女は声を上げる。
そう、大事なことを伝え忘れていた。
「そのアーガス城なんだけど!誰も、居なかったんだ」
「やっぱり。トックルを攻撃しに部隊を送ってきただ!」
「何て恐ろしい…」
「罰当たりなことを!!」
「違う違う違う!!」
たちまち湧き起こった怒号と非難の嵐に、ムーンは大慌てで両手を振った。
「何が違うだ!?さては、お前等やっぱりアーガスの――」
「もう!!ちょっと待てって――!」
「出て行け!!」 「そうだ、出て行け!!」
「やめて!なんでそうなるの!?」
…ポポが場の空気に我慢できずに泣き叫ぶが、誰も聞こうとはしない。
「きゃっ」 アリスが どつかれ、押しのけられる。
デッシュが咄嗟に前に立って、盾となり感情の波押し寄せる矢面に立った。
少女の代わりに幾つも幾つも、拳で、物で、叩かれる。
大きな食卓の上から、一人が花瓶を取り上げた。向日葵が一輪、
とっくに枯れて茶色くなっていたが、水はそのまま入っていた――それを、
渾身の力を込めて投げつける。余所者めがけて。
「…っおいっ!」 ―― 重なった声は双方から、村人側と訪問者側と。
ばしゃん!!
――― ………。
「!!」 「――――!」
「………」
キャンディが、無表情で佇んでいた。首から上をびっしょりと濡らして。
花瓶は片手で持てるくらいの細さだった。
硬質な陶器は、大きく軌跡を描いて彼の額に当たり、
中の水を ぶちまけ――床に落ち、割れたのだった。
投げつけた当人と、村長やフェル、その姉・パメラと少年リュカ…そして
ムーンは、彼が、飛んできた花瓶を避けようともしなかったのを見て
愕然とした。
村人の怒声が消えた。
パメラ婦人が慌てて駆け寄る。額は、切れてはいなかったが、
強打した為 腫れていた。
「良かった」――キャンディの声は、至って静かで。
「何が良いもんか!」しかし兄の言葉に、弟は声をひっくり返す。
食って掛かろうとした少年を ひょいと抑えながら、
「……気が済んだかい?」
ぽかんと目や口を開けた村の住人に、
デッシュが僅かばかり、困ったような笑い顔を向けた。
――これで、落ち着いて話を聞いてもらえそうだ。
ほっと和んだキャンディの その瞳が、すぐに確信に満ちて村人たちを見た。
エンタープライズに最低限の人員を残し、船の仲間が
トックル村長の家に集合した。
村の代表者たちも交え、話し合いの場が持たれる。
そこには当然、海賊頭のビッケが居た。そして、女海賊ジルの姿も。
「人間が消えた!?」
事の次第を話すと、思った通りの反応が返ってきた。
アーガスの出身者は、さすがに衝撃を隠せない。
…光の戦士たちは、淡々と頷くしかない。
「人間だけじゃないんです。犬も、伝書鳩も、チョコボも。
全部居なくて、でも暮らしてた跡はそのままあって、
まるで全部 途中で放り出して逃げたみたいだって…」
勢い込んでポポが言い、大人たちの視線を集めてしまって吃驚して、
何となく口ごもる。
「夜逃げでもしたんじゃねーかと思ったんだけどさ。
さすがにあの規模は、普通じゃ考えられないだろ?」
――何せ、国ごと全部なのだから。
「そんなことになってたとはな…」
「お疲れさま。あんたたち、よく ここまで来てくれたね」
合流できて良かった、と船員たちは言ったが、五人も同じ気持ちだ。
「おい、お前たち。セトのチームは」
…ビッケが、砂漠に出掛けたまま戻らない仲間を気に掛けて、視線をずらす。
「まだ戻りません」
「流石に遅いよな」と、女医シャル。
故郷の事件と同郷の仲間たちの身を案じて、表情が少し硬くなる。
「砂漠で迷ったかな」
「風守(かざもり)が居てぇ?」
セトが『風守』と呼ばれる所以。
それは、彼が『風』の声を聞き、船に良い風を呼びこむからだという。
思慮深くいつも的確な彼が居て、迷う筈が無いと ―― 海賊たちは主張したし、
四人もデッシュも そう思った。
――すると、今まで話を聞いていた村人の一人が、言った。
「あそこには悪魔が棲んどる」
「じっちゃん、そう言いたい気持ちは分かる。だけど…」
「兵士たちのことじゃない。でっかい木が動き回っとるんじゃ!!」
悪魔の木。 よくよく話を聞くと、
「今まで『蜃気楼だ』と言って誰も相手にしてくれなかった」のだとか。
そりゃそうだよ、と思い…ムーンは止まった。――待てよ。
―― でっかい ―― 木。
四人は、揃ってガバッと顔を上げた。
青年デッシュが表情を引き締めて頷いている。
「どうした、お前たち?」
「もしかして、もしかして もしかするんじゃない!?」
アリスが興奮気味に言った。少々 繰り返しが多い。
大きな樹木。それが、動いているのだというなら。
例えば、元々別の所にあったのだとしたら ――。
――行ってみる価値はある。
こうして、光の戦士たちの、次の目的地が決まった。
村は略奪の限りを尽くされた為、最低限の物資しか残っていない。
老人と女子供、住人たちが生活していくので精一杯。
だから五人も、供給補助をお願いするわけにはいかなかった。
不幸中の幸いは、井戸の水がどこも生きていたことだろう。
このところ、兵士たちの気配も無いという。…返って気になりもしたが、
村周辺を歩けるので都合が良いのは確かだ。
「行ってくるよ」
「村の中の畑は、殆ど野菜を持っていかれちゃったんだ。
南側も時々、兵士に出くわすらしいから…けど、
東の山にちょっと入った所は、無事。俺、案内するから」
フェルが言う。
「なるべく こっそりね。もし兵士に出くわしても、喧嘩ふっかけちゃ駄目よ」
「掴まえたら、いろいろ聞き出せるのに」
「そんなことして、もっと大勢 押し寄せてきたら困るでしょ!」
今が寒い時期でなくて良かった。
…殆ど吹きさらしの家々を見て、ポポは思う。でも…これが もっと続いたら、
この村は どうなっちゃうんだろう。
こんなに寂しい村を、ポポは初めて見た。
ウルは、大丈夫だよね?―― ぽつりと思い、途端に旅愁に駆られて、
ポポは頭を横に振った。
山側の畑に残った、限りある収穫と海賊船が運搬してきた分の食糧、
そして、海で釣ってきた魚 ―― それらをかき集めて、配る。
火はひっそりと熾された。
やがて夜の中に落ちた村では、誰もが不安を抱えて寄り添っていた。
―― 隣に誰かが居ると、安心出来るものなんだ。
光の戦士一行も、例外ではなかった。海賊たちは早々に船に引き上げたが、
身内の居る者は家族を案じて残る。彼らも、フェルや彼の親族たちと共に、
もう少し その場に留まった。
キャンディがパメラ婦人を手伝っていると、遠慮がちに声を掛ける者がある。
キャンディから見れば小さな小さな老人で、その背を丸めるので更に小さい。
「どうなさいました?」
何となく、彼は…子供にするように、背を低くして目線を合わせ、
その背に手を回していた。老人は、あまりに心細そうに見えた。
「…その…悪かったな。痛かった、か?」
キャンディの額に骨と皮ばかりの冷たい手を当て、
言葉通り、侘びるように さする。
「ああ」…この人が、昼間の。
「気にしないでください。ホラ、もう治っちゃいました」
純朴な笑顔をニッコリと見せると、彼は前髪を掻き上げてみせた。
あれだけ大きなコブが出来たが、
白魔法で癒してもらったので、あっさり腫れが引いていた。
生まれも育ちも辺境の村、という背景も手伝って、彼の言葉には
特有の無邪気さが 自然に染み渡っている。
この点は、きっと三人の弟妹も一緒だろう。
「すまんかった…すまん……」
縮こまって謝罪するお爺さんの背を優しく叩きながら、
キャンディも また思いを馳せた。
年月と苦労を重ねてきた手。敬い、労るのが当然なのに、虐げるだなんて。
――アーガス王が本当に絡んでいるのだとしたら…真意かどうかは分からない。
俄には信じられない。名君と言われ、民からの信頼も厚いというひとが。
でも ―― 誰であれ、そんな指示を出しているとしたら、意見したい。
「デッシュ」―― アリスが、スープ入りの欠けた皿を手に、やって来た。
「お。ありがと」
スープと言っても、トマトの煮汁を更に水で薄めたもので、申し訳程度に
トウモロコシの粒と茄子の欠片が浮いたものだ。
匙と一緒に受け取り、口に運んで慎ましく啜った。―― 美味い。
こんな状況でも「食べられる」ことが、非常に有り難かった。
熱いスープは、空腹を優しく満たしてくれる。
「……」
そんな青年の隣に、少女は ちょこん、と腰を降ろした。
いつもよりも元気が無い ―― というより、妙に しおらしい。
「どした?」
「あの…今日、ね。庇ってくれて、ありがとう」
村人から批難の声を浴び雨霰と叩かれた時、デッシュは
アリスの代わりに、その衝撃を一身に受けてくれた。
アリスが怖くて、吃驚して、動けなくなっていたところに、身を挺して。
勿論、その後、彼にも白魔法で治療をした。けれど、何だか咄嗟には
お礼が言えなかったのだ。
「女の子に傷がついちゃ、いかんからな」
まるで当たり前のように、何でもないことのように、男は言う。
「大事にしとけよ?これから美人になるんだから。…前に、そう言ってたろ?」
「…ええ、その通りよ。見てなさい」
アリスは反っくり返った。
「結局、人は ―― 自分に余裕がないと、他人にまで優しくできないんだよな。
一杯一杯になって、潰れちまうんだ」
遠くを眺め、青年は誰にともなく言う。
「…そっか…」
人が人を疑わざるを得ない状況に、憂いを感じた日だった。
青年デッシュをこっそり覗い見て、アリスは思う。
軽くてどうしようもない男だと思っていたけれど、変な奴だけど。
(それだけじゃないのね)
こいつにベタ惚れのサリーナさんの気持ちが、
少しだけ分かったような気がした。
彼女はきっと…今日もデッシュのことを、待ってる。
「必ずまた、連れて帰るからね」
聞こえるわけはないんだけれど、アリスはサリーナさんに向けて呟いた。
「…え?」
「何でもなーい」
…と、パメラ婦人の様子を見かねて、デッシュが立ち上がる。
「…何処行くの?」
「奥さんとこ。独り寝は寂しかろう」 ――ひらひら、と手を振る。
「ちょっ、何言ってんのよっ?浮気禁止ーー!!」
人の世は、悲惨なことも多いが、捨てたものじゃない。
星空が、村を励ますように天に広がっていた。
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