(6)生命 宿す森の、奥深く
子供の泣き声が聞こえる。
そう言って深夜に兄妹たちを起こしたのは、ポポだった。
――アーガス城を出発して何日目か、見渡す限りの平原をやっと抜けて、
山脈を右手に眺めながら、『光の戦士』たちは海岸線を南下した。
山道を行く手もあったのだが、選ぶ気になれなかった。
食料や必要装備が、心もとなかったからだ。
体力の消耗と時間の消費を抑えるには、やはり楽な道を行きたい。
今の目的は、只ひとつ。出来るだけ早く、
トックル村に滞在中の仲間と合流することだ。
海賊船エンタープライズの仲間たち ―― 彼らに、
アーガス城で目の当たりにした異変を伝えた上で、
今後どうするか相談しなくてはいけない。
「海岸線に沿って行くのだから迷うことはない」 揃って断言した矢先、
出くわしたのが濃い霧だった。
何のことはない、単に朝早く出発した為だったが、事件は起きた。
霧に乗じて、奇襲を掛けてきた魔物共が居たのだ。
撹乱され、見通しの利かない中を必死に逃げる。
仲間内で誰も逃走ルートから脱落しなかったのが幸いだった。
気がついたら一人居なかった、なんてことになったら、もっと大事だ。
とはいえ追い詰められた彼らは、結果的に、内陸側に入っていく形になった。
霧は つかの間 晴れたが、ほどなくしてまた進路を隠した。
そして、気づけは、彼らは森の中に入り込んでいた。
「駄目だわ。コンパスが ぐるぐる言っちゃって…」
「「えーっ!?」」
迷うだけ迷って、時間ばかりが過ぎていく。
進めば進むほど霧が濃くなるばかりで、時間感覚も麻痺してくる。
これ以上進むのは危険だ、という判断をした時には、全員が疲労を感じていた。
水の調達についてだけは、森であることが幸いした。
小さな、清水の湧き出る箇所を見つけたからだ。しかしながら、
「道に迷っちゃった…」
「どうしよう。どうすればいいのよ〜っ!?」
不安を隠しきれない年少組 二人に対して、
「まあ、どーにかなるだろ」
あっけらかんと答える二番目。
そして、冷静になろうとする一番目だが、
中でも本当に冷静だったのは、最年長である同行者・デッシュだろう。
「よし、休憩!」
「また、それか!!」
大真面目に号令が掛かるので、ムーンが すかさずツッコミを入れた。
笑いながら。
そして――(長くなったが)時は深夜。
不安気なポポに起こされた皆は、同様に欠伸をしたり、まだ眠い瞼を擦った。
不寝番に あたっていたデッシュは、真っ先にポポからの報告を聞いたが、
肯定も否定もしなかった。
「気のせいだよ」
寝ぼけ眼で、ムーンが言う。どうせ、また風の音でも聞き違えたんだろうと。
「本当だよ〜〜」
こっちが泣きそうだ。
さっきから聞こえてくる泣き声の合唱に、参加してしまいそう。
みんな信じなかったが、ポポが あまりに言うので、聴き耳を立ててみた。
うううう… ひううぅぅ…ひううぅぅ…
ともすれば、それは泣き声にも聞こえたかもしれない。けれど。
「気のせいだ」 「本当だってば」
眠気に任せて、否定してしまいたい。
最初は取り合う気などなかったが、ポポは絶対に泣き声だと言い張った。
そのうちに、眠気を すっかり取り払われてしまった ムーンは、
そこまで言うなら、と立ち上がった。―― 「行ってみようぜ」
「えっ」
「泣き声の正体。突き止めてみたいんだろ?」
最もらしく言ってみせたが、彼もまた思い始めていた。
もし本当なら、その正体を突き止めてやる、と。
弟を からかうネタが増えるのも勿論 愉快だし…。
「んじゃ、ちょっと行ってくるな」
支度も そこそこに、ムーンは長兄に言った。
「危険だよ」―― 止めるのも殆ど聞かずに。
こういう時に限って、デッシュときたら面白そうに
傍見を決め込んでいるだけだ。
「危ないと思ったら、戻ってきな」
「うん」
「何も今行くことないのに…」
「今じゃなかったら、何時行くんだよ。声、消えちゃうかもしれないだろ。
それとも、お前 嘘ついたのかよ?」
「嘘じゃないよ!」
思わずムキになって声を上げた時、ポポはしまった、と思ったが遅かった。
にっ、と笑ったムーンが、実に嬉しそうだったからだ。
―― 乗せられた。
アリスは、起こされた後も、半分夢の中で兄たちの話す声を聞いた。
その声が、最初 別の声と重なっていて、夢と現実が ごっちゃになっている。
…起き上がったのは、ちょっとした胸騒ぎに邪魔されてのことだった。
「…どうしたの?」
「アリス」
「泣き声が聞こえるんで、子供を捜しに行くとさ」
「ふうん」
手短に説明をされて、納得する。
どうせ、ムーンがまた何か言い出したに違いない。
そっちは今、特に気にならなかったが、
木々の葉の戦ぎを聞いていると、次第に どうも落ち着かない気分になった。
「…あたしも行っていい?」
「え」
まだ夢を見ているよう。ふわふわしてる。―― 何、これは?
「困ったな」 一人で行かせる気にもなれず、かと言ってもう一人を残す気にも
なれず、キャンディが独りごちた。すると、デッシュが あっさりと言う。
「気になるんなら、行って来いよ。俺、ここで火の番してるから。
テントだって張りっぱなしだろ」
「いいのか?」
身の安全も含めてキャンディが訊ねると、デッシュは にかっと笑った。
「俺を誰だと思ってんのよ。
…あ、流石にテントごと とんずらは、しないから安心して」
「そんなことを言ってるんじゃない」
相変わらずの軽口に ちょっと呆れて、キャンディが息をつく。
「夜更かしはお肌にも大敵だし、森で独り寝は寂しいから、なるべく早くな♪
夜明けまでに戻んなかったら、探しにいくよ。―― 生きて帰って来いよ〜」
…縁起でもないことを。
「そっちこそ。…戻ってきたら倒れてる、なんて、ごめんだからな」
妹に付き添って、キャンディは歩き出した。
―― ひううぅぅ…ひううぅぅ…
風の音に聞こえていたのが、段々と本当の声に聞こえてきた。
初めは早足で歩いていたポポだったが、途中からムーンを盾にするようにして
歩くようになっていた。知らず知らずのうちに、ぐっと兄の外套を掴んでいる。
「お前、ほんっと弱虫だな」
「だって、ホントにお化けだったらどうする?」
「面白れーじゃん。なかなかお目に掛かれないぜ」
「よ…よく言うよ。カズスで吃驚してたの、誰さ」
「お前だろ」
「ムーンだって、ちょっとビクビクしてたくせに」 「してない」
夜中過ぎにもかかわらず、元気に言い合う兄と弟。
そんな二人の前に、ふわり、と白いものが姿を現す。
「!!」
「行くぞ!」 「待ってよ」
少年たちは真っ暗な森の中を、こけつまろびつ微かな明かりを頼りに駆けた。
森の中、梟の声や葉擦れの音に混じって、二人分の足音が通り過ぎていく。
ふわりふわりと二人を誘う、白いもの。一体どこに連れて行ってくれるのか。
恐怖よりも好奇心が数段 勝って、ムーンは めいっぱい走った。
―― ついに白い影に追い縋って、してやったりと声を上げる。
「掴まえたぞ幽霊!!」 「きゃあっ!!」
――『きゃあ』?
「ムーン!良かった」 ほっとした表情で振り返る、見覚えのある白い顔。
「キャンディ!……。アリスぅ?」
「〜〜何すんのよっ!! あーもう、一気に目が覚めちゃったわ」
「そりゃ良かった。おはよう」
「おはよう、じゃないわよ」
「ポポは、どうしたんだ」
「あ」 ハタ、と思い出して、今更ながら背後を振り向くと、
ヘトヘトになった弟が息を きらしていた。必死に ついてきていたのだ。
…ちょっと目を見張る。こいつ、そういえば逃げ足 早くなったかな?
「もー…、……全力で走るんだから……」
そういう彼こそ、全速力で走ってきたに違いなかった。
「お前ら、なんでここに」
「うん、アリスが」
言葉を受けて、妹が答える。
「何だか、あたしも呼ばれてる気がしたの…この泣き声に」
…… ひぃううぅぅ…ひううぅぅ…ひううぅぅ…
夢中になって駆けていたのでポポもムーンも、声のことを忘れていた。
だが、声の主が近くまで来ている。…いや、近づいたのは自分たちか。
何にせよ、微かな風の音と思えたものは、今、確かに泣き声に聞こえていた。
誰か、泣いている。この森で。この近くで。
「凄く…哀しそう」
四人は、泣き声の源を辿って歩き出した。
「案外、木の虚に風が吹き込んでたりして」
「ほんと?」
「キャンディ、冒険心を削ぐようなこと言うなよなー」
ふいに、目の前が拓けた。
「! 着いたわ ――」
森の中、大きくて真っ暗な穴が、地面に口を開けていた。真夜中だから、
余計に不気味に映った。何処までも何処までも、地の底まで届きそうな穴だ。
「ひゃあ!」
ポポが悲鳴を上げる。が、それは、穴に対してじゃない。
目の前を横切った、白い鬼火に、だった。
見ると、真っ暗な穴の周りを、白い火が幾つも幾つも飛び交い、揺らいでいる。
「―――!」
流石に、全員 言葉を失った。
暗黒の世界から、このように魂の光が湧いて出るのだとしたら、なんて恐ろしい
妖しくも美しい場所だろう――ここは。
自分たちは、この世ならぬ場所に足を踏み入れてしまったのだ。
うううぅぅ… ひううぅぅ…
「うわっ」
漂ってきた鬼火に鼻先を掠められて、ムーンが思わず たじろぐ。
そして、啜り泣きの源を探っていた彼らは、
白い鬼火こそが それだ、と突き止めたのだった。
高い音は、不思議な響きを散らしながら空間を 揺(たゆと)うた。
舌の上で砂糖菓子が ほどけるかような印象を残し、耳に融けていく。
哀しくも、心を捉えて話さない、その音。――いや、今は本当に、シクシクと
いう啜り泣きに聞こえた。
そして、その啜り泣きに共鳴し、木々が…森が、泣いている。
キャンディが、ムーンが、唖然と立ちつくして白い火を見つめている。
恐ろしいのか、切ないのか哀しいのか、自分でもよく分からない気持ちで
いながら―― アリスも、ポポも、声を掛けずにいられなかった。
「…ね、ねぇ……?」
「…あの。大丈夫?」
漠然と、森の木々に対して言ったのだった。
――――…木が…。……。
(木?)
啜り泣きの中に意味の分かる言葉を聴き取って、はっとするアリス。
――『木が』 『長老の木が…』
「待って。待ってお願い!話を聞くわ。聞かせて欲しいの!もっとゆっくり」
慌てて、アリスは言った。その彼女に励まされる形で、
ポポもまた、思い切って語りかけた。
「何があったの?教えて…!!」
――ふいに光が実体化したその姿を見て、ポポの語尾に
咄嗟に加わった呼びかけがある。 「――妖精さん!!」
「「!?」」
すう…っと実体化したのは、白く淡い光を纏った蝶――に見えた。
小さいし、暗くて最初は蝶だと思った。だが、
よくよく見ると、それは小さな小さな…美しい少女。
白く発光する羽を持っているあたり、妖精族に違いない。
「フェアリー…さん…??」
目の前に降りてきた光に、今度はアリスが呼びかける。
小人の村で聞いた話。
――『美しい羽のある種族。あっちは僕らと共通点も多いけど、
「女の子」みたいな外見をした者が多いんですって』
――『噂じゃ、どこかに「生きている森」っていうのがあって』――
興味深そうに語ったシェルコ先生。『会ってみたいよ』
その声が、蘇っては、消えた。
そう、目の前に居るのは、あの小人たちと、対になるとも言われている種族。
こんなに早く会えるとは思っていなかったけれど…。
『森が、森が死んでしまうの…』
人の薬指くらいの大きさの少女が、静かな中にも切羽詰まった様子で
ふわり、と意識の波を投げかけてきた。
あの小人族に似ていながら、こちらは主に心と心で会話をするのだ。
それを悟り、アリスも一生懸命 心に思うことで応えようとしたが、
突然光が弱くなり、ふ…っと落ちる。
「あっ」
力なく空中に投げ出された妖精。
慌てて受け止めたものの、両手に包んだ姿が、微かな重みが、みるみる
消え失せていく。
「そんな……」
生命の終焉の、ひとつの形。目の当たりにして、絶句する白魔導師。
事の一部始終を見たキャンディとムーンもまた、森に向かって叫んだ。
「何があったんだ。頼む、教えてくれ!」
「お前の…お前たちの、力になる!俺たちは――『光の戦士』だ!!」
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