冒険日和
サイトトップ小説幻生林 第2巻 駆け抜けた異変

第2巻:駆け抜けた異変

Fan Fiction novel written by HIJIRI.
Fan art by Shoo

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  海竜ネプト

 ――風が変わった。
 男は入江(いりえ)の淵にたたずみ、静かに彼方を見つめていた。
上空で、かもめたちが鳴き交わしている。
日射しは強かったが、波は至って穏やかに上下を繰り返していた。いい日和だ。
 雨季の合間に気まぐれにやってきた晴天だった。空気は湿気を帯び、優しく潮の香を運んでくる。
 背後には鋭く切り立った崖、奇岩の群がそびえている。
長い間に隆起や沈降を繰り返し、波に洗われて出来上がった造形だ。
海は…大自然の力は、こんなにも偉大なのだと見せつけられる。しみじみ感じてしまう場所だった。
 ――もっとも、そこに居を構えようと最初に考えた、人間も人間か。
 改めて見れば、崖には大小さまざまな穴が空いていた。
多くは自然に出来たものか――いや、人工物もかなりある。
格子をはめて窓としたもの、切り出し削り取ってテラス状にした部分など、
確かに人の手が加えられている。
しかし、これらは驚くべきことに少し距離を置けばたちまち風景の中に()け、
ほとんど見分けがつかなくなってしまうのだった。
灰色をした、まさに天然の要塞だ。
 崖の上に小さな石造りの建物がある。見張り台を兼ねたものだ。
それも奇岩群に紛れるので、所在を知る人間か――もしくは、
あの最上部の旗が無ければ、見つけることは不可能だ。
 掲げられた旗が、風に吹かれて翻る。
旗に描かれたのは、海と同じ色をした竜だった。
そして、その竜が絡みつき抱くようにしている――銀糸で縫い取られたあれは、(いかり)
 だが、旗は長い間そうして放ってあるのか、傷みが酷い。
潮風にくたびれて、鮮やかな空の青を背景にすると、いかにもみすぼらしく見えた。
「ちっぽけなもんだ…」
 男は誰にともなくそう言うと、自嘲とも愛惜ともつかぬ微笑みを浮かべた。
海を映したその目を細める。
 ここから眺める限り、世界は平和を保っているように見える。――だが。
「海よ――何故(なぜ)、そのように荒ぶる?」
 我知らずついた溜め息を、潮風が残らず散らしてしまった。
(何かが変わるというのか?)
これ以上、悪くなりようがないというのに。
風守(かざもり)
 ふいに呼ばれ、男は声の方へ視線を転じた。テラスの上だ。
明らかに落ち着き無げな人影に向かい、彼は静かに問う。
「どうした」
「来てください。妙な連中が…」
 言われて、内心なぜか納得する。
――早速か。もう、厄介事など充分すぎるほど、抱えているというのに…。
「すぐに行こう」
 彼は、すぐさま踵を返した。真っ直ぐ船のドックへ向かう。
中にはほとんど船が無い。空と言っていい状態で、もはや無用の長物と化している。
その様子を目にすると、さすがに落胆せざるを得ない。
 …いや、今そんなことを考えている場合じゃなかった。
 彼は壁に沿った螺旋階段を上る。靴の踵が石段を打ち、空虚に響く。
雑具の置いてある場所を通り抜けると、すぐそこが廊下だ。
 ざわめきが聞こえた。潮騒か――風の音か?違う、あれは人の声だ。
 突き当たりの豪奢な扉を無視し、更に奥へ。段々と声がはっきりする。
と、彼は一瞬我が耳を疑った。騒ぎの只中(ただなか)に、信じられぬものを聞いたので。
 ここにはおおよそ似つかわしくない――子供の声。
 階段を駆け下りると、彼は急いで分厚い木の大扉に手を掛けた。


「だから言ってんだろ、船を借りにきたって!」
 日焼けしたブロンズの肌に、幾多(いくた)の傷。屈強な海の男たちに囲まれながら、
ムーンは負けじと声を張り上げた。
 面白半分で冷やかしの声をあげる者、にやにや締まりのない笑いを浮かべる者、
鋭くこちらを見つめる者。――そのいずれもが、自分たちを検分しているのが分かる。
ここで引いたら、それこそ負けを認めるような気がした。
だから彼は、しかと顔を上げ、目の前の賊を睨み返す。
「正気か坊主。寝言は寝てから言うもんだ」
「来るとこ間違えてんじゃないのぉ?うちじゃ貸し船はやってないよー」
「『奪う』ことはあってもな」
 ひゃひゃひゃ、と耳障りな笑い声。…ひどく腹が立った。
 近くで無遠慮にパイプを吹かしていた奴が、
デッシュの大きな背に隠れるようにして立っていた弟に煙を吹きかけた。
…けほけほと咽せるのが聞こえる。
(子供だからって、甘く見やがって)
 そりゃあ世間的に見れば子供かもしれない。
けれどムーンは、そこらの大人よりずっと自分の方がましだと思っていたし、
喧嘩だって大の男に負けない自信があった。
 拳を固めると、それを別の手のひらが制する。キャンディが静かに首を横に振っている。
彼は渋々気を取りなおし、何度目かの挑戦を試みた。
――今度は、先程よりもっともっと努めて、気持ちと言葉を落ち着けながら。
「……。船を、貸してほしいんだ」
「はぁん?良く聞こえねぇなあ」
「アンコールだ」
「もういっかーい」
 間髪入れず、この通りだ。冷やかしの声と笑いが波になって押し寄せ、引く。
 ムーンは怒りのあまり震えた。
ひょっとしたら、そうやって挑発に乗ることこそ奴らの思惑通りだとは知らずに。
 やがて、やたらと図体のでかい男が前に進み出てきた。
「度胸は褒めてやる。だがな、ここはお前らみたいなガキの来る所じゃねぇ」
「おとなしく、お母ちゃんとこ帰んな」
 用が無けりゃ、こんなとこに来るもんか!――ムーンが怒鳴るより先に、
「お願いです、話を聞いてください!」とうとうキャンディが声を上げた。
 だが、彼では海賊たちの神経をかえって逆撫でするかもしれない。からかわれて終わりだろう。
ムーン同様そう思ったのかは知らないが、青年デッシュが割って入る。
一応、仲間内では唯一の年長者だ。
頭領(とうりょう)さんに会わせてくれないかい。そんなに手間は取らせないし、悪いようにはしない」
頭領(ボス)がお前らに会って、どうするってんだ。生憎(あいにく)、そっちに用があっても、こっちには無えんだよ」
 ごもっとも。再び同調の声が多数あがる。
 こんなに大人数の前で、事情を話すのか?
無理だ。それこそ冗談みたいな話なのに。
第一、聞いてくれそうな雰囲気ではない。火に油を注ぐようなものだ!
――キャンディが歯噛みした、その時。
「残念ねぇ」
 男たちの野次(やじ)の中、ひときわ目立つ高い声がした。
無論、一人しかいない。アリスだ。
「!」
 ムーンの目の端にも、白い袖が見えた。
思わず振り返ると、弟が止めるのも聞かず、彼女は前へ出てきた。
慌てて腕を掴まえようとしたが、脇をすり抜け、こともあろうに輪の中心へ。
そして彼女は低い位置から、海賊たちを見渡した。
「とっても残念だわ」
「俺たちもさ。悪いが、お嬢ちゃんの期待には応えられそうもねえ」
 にやにやと相変わらず笑みを浮かべる者たち。
明らかに馬鹿にした様子の、あるいは興味本位の視線が無遠慮に飛び交う中に()って、
「…ほらね」――妹は平然と言うのだった。
「私たちがいくら必死に言ったところで、おじさんたち、ちゃんと聞くお耳を持ってないんですもの」
 その場に居た全員が、ぎょっとする。怖いもの知らずとはこのことだ。


「海賊ね…。確か、他にも素敵なお名前があったはずだけど」
「おうよ、俺達ゃ『海の貴族』さ!」
「――昔の話だ」
 一部で歓声があがり、しかし火が消えたように静まった。リーダー格らしい黒髭(くろひげ)が、言う。
「俺たちみたいな『貴族』は、お嬢ちゃんのお気に召さないかい」
「ええ、そうね。幻滅よ。少なくとも、おじさんたちみたいに子供相手にムキになる『貴族』にはね」
 しん、と静まりかえった。微かな話し声すら、消える。
部屋の奥にあるベッドから、誰かのいびきだけが盛大に響いてきた。
(――何だ、これ?)
 ムーンは呆気にとられて周囲を見、気づく。男たちの、どこか虚ろな表情に。
 思えば、絡んできた奴らはなぜか皆やけっぱちだったし、
傍観を決め込んでいた連中も、やる気がなさそうだ。
 原因を探るより前に、彼の胸に何とも言えない、やるせなさが()ぎった。
 自分は、『海賊』という呼び名に、もっと力強いものを想っていた。
あの海と同じで、懐が大きく、深く――活き活きと輝く様を思い描いていた。
 たとえ世間じゃ乱暴だ、粗野(そや)だと言われたとしても、
彼らのひととなりは、海と同じくらい偉大で。
独特の…だけど、そこらの男にはないカッコ良さを。
――それなのに。
「…そうだよ。あんたら、カッコ悪いぜ」
 海賊共が、ぴくりと動く気配がする。
「『貴族』が聞いて泣く――…じゃなくて、笑っちまう、の間違いか。
いっそ、『海の物乞い』に改名すれば?」
 みすみす挑発するような真似だ。…それでも、言うのを止められない。
「海みたいに大きい?図体ばっかりでかくたって、からっきしじゃねえか。
人の話もまともに聞けねえし、了見(りょうけん)も狭いし。耳腐ってんじゃねえの?
ああ、それでなんだ。そんじゃ、まともに話しようとしてもしようがねぇよなぁ!」
「――…坊主」
 楽しみだった。海賊に会えるのが。
所詮(しょせん)は大人だ。しかも、一番なりたくねぇ大人!」
「てめえ!人の気も知らねぇで!!」
「ああ知らねーよ、根まで腐った奴らのことなんか!!」
 自分の言葉に、自分自身が熱くなってしまっていることに、彼は気づかない。もちろん、
海賊たちの様子にも。
「最っっ高にカッコ悪い!!」
「……!ぁんだと、このガキッ!」
「やめろ!」
 巨漢が、気色(けしき)ばんだ仲間を止めた。
彼は少年の襟をぐいと持ち上げ、その顔を自分の目線の高さまで吊す。
「――坊主」
出てきた声は意外なほど静かだったが、目には怒りが溢れんばかりにたぎっていた。
「ちぃと口が過ぎたようだな。後悔するなよ。――連れていけ!」
 一度は静まったかに見えた騒ぎが、再燃した。
ずらりと取り囲んでいた海賊連中が、無礼この上ない侵入者を捕まえにかかる。
「やめて!やめてよ!何すんのよ!」
「痛いよ、放してよ~」
 悲鳴、懇願、殴り合いに呻き声。
それいけ、やれいけ。――(はや)し立てる声が被って、何かがすっ飛ぶ。
壺か、器か…硬質なものが、がちゃんと割れる音がした。
椅子が倒れ、卓が突き飛ばされる。
 『風守(かざもり)』のセトが扉を開けた時には、
目の前に乱闘の跡と、海賊たちに捕らえられた来訪者たちの姿があった。
「これは…」
「風守」 「セト!」 「セトさん…」
 セト自身が問う前に、彼の背後から女性がひょいと顔を出した。
「まったく、何をドンパチやってるんだい!暴れんなら、外にしとくれよ!…っと…」
「客に手をあげるのは、あまり感心せんな」
 セトの声は、落ち着いて良く通る。
「けどよ、セト…」
 言いかけた黒髭は、しかし、目で制され黙ってしまった。
 窓の外で潮風が鳴る。――セトは目を細めた。
 海賊たちが気まずそうに目配せしあう中、セトは、ゆっくりと歩んだ。
倒れたテーブルの(かたわ)らで尻餅をついていた少年を立たせると、
その背を促して仲間たちの元へ返す。
 人垣が割れていく。海賊たちは、不意の客を捕まえていた手を、一人、また一人緩め、離した。
 少年たちの側に居た、見慣れぬ風変わりな服の男が、肩を竦めた。
 やがて、風守(かざもり)のセトは、まだ幼さの残る少女に目を留めた。
注意深くこちらを(うかが)う瞳は強敵にでも挑みかかるよう、しかしそこには怯えも滲んでいる。
『風』が、格子を揺らした。
 セトは微笑し、少女を前に膝を折る。ざわめきが走った。
 先ほどの少年が何かを言いかけ、もう一人に止められる。
 少女が驚き、わずかに後ずさった。
 セトは皆の反応を造作もなく受け止めると、言った。
「失礼をした。貴女(あなた)は、風の巫女だな?」
「は……。え、ええ――。そうよ?」
「そうか」彼は頷いた。「ようこそ。風の巫女。いや…光の四戦士殿」


「へえ。あんた、三人もノシちゃったのかい。やるもんだ」
 ジルと名乗ったその女性は、話を聞くと面白そうに笑った。
化粧映えする顔に口紅も印象的な、あだっぽい美人だ。
長いまつげを(またた)く彼女を、ムーンはふてくされて(にら)んだ。
冷やした布を片頬にあてがう。腕の傷に薬を塗られると、()みたのかビクリとした。
「そっちが悪いんだぜ。何かにつけてガキ、ガキって」
「あっはっはっは!そうだね、こんないい男つかまえて」
 ――憮然とするムーンである。
「すまなかったな」
セトが言葉通りに取れる微笑を浮かべた。
「気のいい奴らではあるんだが。現状が現状なので、気が立っている者も多いんだ。
君たちには悪いことをしたと思っているが――どうか許してほしい」
「いいのよ、おじさま」とアリス。
「先に出てったのは、こっちなんですもの。…まったく、あんたたちときたら」
「あんな言い方されて黙ってられるか!…一番(あお)ったのは誰だよ」
「知らないっ」
 ぱしん、と薬液つきの布を傷口に当てられて、思わず悲鳴が上がる。 
「いって…キャーンディ、〈ケアル〉掛けてくれよ〈ケアル〉」
「耳貸さなくていいからね」
 妹にぴしゃりと矛先を制されて、ムーンは情けない声を出した。
 長兄は苦笑せざるを得ない。
「罰として、しばらく痛い思いをするように」と、妹は〈白魔法〉の使用を自粛したのだ。
ひとまずの手当を終えると、自前の薬草や包帯をさっさと鞄にしまった。
「みんな血の気が多いんだから」
「ホントホント。野郎はこれだからイヤだよね」
「デッシュ。あたしは、あんたのことも言ってるの」
 デッシュはさりげなくジルの肩を抱こうとしたが、アリスに睨まれて、手を引っ込める。
…ジルが笑顔のまま言った。
「しかし、船も無しにここまで来たとはびっくりだ。よくあの山を越えられたねぇ」
「南の迂回路を使ったんです。幸い、魔物に会うこともあまり無くて」
 ――アリスは思わずキャンディを見た。嘘八百だったからである。
 本当は、山越えなどしていない。
小人のシェルコ先生に教えられた抜け道を使って、
小人の村から、このミラルカ谷まで突っ切ってきたのだから。
小人にしか通れない、いわば秘密の道を。
『上を歩いていくよりはずっと楽だし、早く着けると思うよ』
 その言葉通り、時間と体力をかなり節約できたのだった。
 アリスなど、食あたりの治療費代わりに〈ケアルラ〉まで貰ってしまった。
中級〈白魔法〉の(たま)だ。
 兄が、わずかばかり困ったような表情で目(くば)せをしてきたので、
アリスも、ムーンもポポも調子を合わせた。

「――さて、何だったか」
 手当が一段落したのを見計らって、セトが言ってくれた。
光の戦士一行は、顔を見合わせる。キャンディが口火を切った。
「はい。僕らは、実は…」
 船を貸してほしい。――何度となくした説明を繰り返すと、
今度は、セトとジルがお互いに視線を交わす。
いつの間にやら興味津々、こっそり小部屋の外に集まっていた海賊たちも同様だ。
(大人数で来たうえ身体も大きいので、ちっともこっそりじゃなかったが)揃いも揃って困惑顔。
つられて、四人も同じ顔になってしまう。
デッシュだけが冷静に様子を見ていた。
「…これは…少々、(なん)()だな」
「もしかして…あのう…魔物が居るからですか?」と、ポポ。
「あ。強いモンスターが居て船が出せねえってやつか」
 こちらは港町で聞いた話。ネプトの岬付近で、遭難が相次いでいるという。
まさにここのことだ。魔物かもしれない、との噂。…あれは本当だったのか。
あんたたち、入っておいで。ジルに言われておずおずと入ってきた海賊が、
「うん。実はな、困ってるんだ」
 恐れを滲ませた声で答えた。
一番最初に対面した時はあんなに怖そうに見えた黒髭のリーダーが、
戸口で屈強な身体を小さく縮こまらせている。
「いっそ、ただの魔物なら、どんなに良かったか」
「滅多なこと言うな!魔物だって何だって、敵わなくちゃおしまいじゃねーか」
「アレじゃ魔物と変わらねえよ…」
 ざわざわと海賊たちの話が聞こえてくる。いずれも、不安そうな声…ムーンは眉をひそめる。
「静かにおし!」ジルが両手を打つと、しんと静まった。「あのひと、呼んでこようか」
「起きているかな」
「叩き起こすわよ。腐っても(かしら)なんだからね」
「そんな、恐ろしい」と、黒髭。
 セトは暫し考えた後、光の戦士一行に言った。
「重ねて大変な思いをさせるかもしれないが、頭領(とうりょう)に会ってほしい」
 光の戦士たちは、待ってましたとばかり頷いた。
「失礼でなければ、こちらから出向きます。お騒がせしてしまったし」
「でも…」 「()した方が」
「え?」
 弱気にざわつく仲間に、セトが言う。
「いや、来てもらおう。事実を見てもらった方が、話は早い」
 事情が分からず、きょとんとした少年少女に、
「幻滅したらゴメンよ」と、ジルが困り顔で肩を竦めた。




 無骨な造りの砦を案内され、海の駿馬(しゅんめ)タンギーの(たてがみ)で作ったという
豪奢な飾りを横目に扉の中へ入ると、途端に、酒と汗の臭気が混じって鼻をつく。
 身の回りを世話していた女性数人が、ジルの顔を見るなりホッと笑顔を見せ、
そそくさと席を外した。
 セトとジルが、四人とデッシュのことを説明し、取り次いでくれる。
 海賊ビッケは、長椅子にふんぞり返っていた。黒々と(たくま)しい体つきをした男だ。
(よわい)五十近いというのに、髪も髭も鮮やかに赤い。
 昔は海原にその人ありと(うた)われていたそうだが、それも「昔は」の但し書き付きだ。
その理由は、聞くまでもなかった。その姿に、やはりどこか投げやりなものを感じる。
二の腕に海竜の入れ墨が目立ったが、それすらムーンは格好いいと思わなかった。
 眠たそうな目。
卓の上のグラスと、床に転がったウィスキーの瓶を見るに、つい先程まで飲んでいたのだろうか。
――ビッケは言った。
「船、だって?」
「はい」
 キャンディが、真剣な面持ちで頷く。…するとビッケの口の端が、わずかに持ち上がった。
「海へ出てどうする。今はどこもかしこも危険ばかりだぞ。
あの大地震以来、魔物がわんさと出てきてひしめいてる。
常識じゃ考えられん事が平気で起こる」
「その通りです」
「船を出しゃ沈む。上手く(おか)へ渡れたとしても、その先どうなるか分からねえ」
「覚悟の上です」
故郷(くに)へ帰れる保証もねえ。兄妹と離ればなれになるかもしれねえし、死ぬとも限らねえ。
…それでもか」
「――」思わずポポとアリスが息を呑み、身体を強ばらせる。
「…ええ」キャンディは努めて冷静さを保った。「行きます。行かねばなりません。何があっても」
 その瞬間、ビッケの瞳がきらりと光ったような気がした。
「先の可能性が、ゼロだったとしても?」
 キャンディは相手の目を見据え、黙って頷く。
 すると…くつくつと喉の奥から、笑う声。
「若いな」海賊頭は言った。さも可笑しそうに。「よくもそんなことが言える」
 細められた目が、まるで剣の切っ先のようだ。その目は言っていた。『甘い考えは捨てろ』と。
 キャンディは内心、焦りを感じている。
…そう、分かっていたはずだ。現実は、いつも、思い通りに行くとは限らない。分かっている、はずだ。
言えない。不都合なものは、出来ることなら捨ててしまいたいなんて。
「甘っちょろい正義感だけで、なんとかできるもんでもないぜ」
 このひとは知っている。僕が、甘ったれた望みを捨てきれないのを。
 彼はとうとう、いたたまれなさに目を伏せた。そこへ、
「だから何だ」――声が響いた。怒りを含んで。
「だから何だよ。…ごちゃごちゃうるせえんだよ!」
 ムーンが、兄を押しのけた。
「何度言わせんだ!俺たちは海に出たいんだ!!
…帰れるとか、帰れねえとか。危険とか安全とか!そんなもん、関係ねぇんだよ!!
行かなきゃなんねえんだ!船は借りる!文句あるか!!」
 くっ、とビッケが再び喉を鳴らす。
「何がおかしい!?」
「出せるものなら出してる。そこまで言うなら、出してやるよ。
ただの魔物に成り下がって暴れてやがる、あの竜を退治できるもんならな!」
「!!」
「ああ、やってやらあ!見とけよ。退治できたら、船は俺が(もら)うからなっ!!」
「――いいだろう」
 海賊ビッケが、にやりとした。どこか苦しげに。
「よっし!二言はナシだからな!」
 ムーンは言い放つとズカズカと部屋を出、人が居るのも気にせずその鼻先で思いきり扉を閉めた。
 一瞬の間があり、仲間たちが後を追う。セトが一礼してそれに続いた。
 部屋の前で集まり、相変わらず聞き耳を立てていた海賊たちも、一人、二人と解散する。
 いつの間にか長椅子の側に立ち、()(づか)わしげな視線を向けたジル。
 頭領(とうりょう)ビッケは、呻くように、あるいは独り言のように、(つぶや)くのだった。
「……。駄目だ。海竜には勝てっこねえ……」


 通路を、行ける方に早足で大股に、ムーンは歩いた。
もちろんここはアジトの中、海賊が大勢居たけれど、そんなことは気にしない。
「ムーン!」後ろに、ポポが慌てて追いすがる。「ムーンてば。どこ行くの!?」
「魔物退治だよ、ちくしょう!弱虫はついてくんな!!」
 ぐん、と振り向き苛立ちの波をまともにぶつけると、弟はビクリとした。
「思い切ったことしたねぇ」とデッシュ。
「……」
 そんなんじゃない。ただ、夢中だっただけだ。
「『船は(もら)う』なんて。あんたの方が海賊みたいだったわよ?本気なの?」
「あんな腰抜けに使われるなんて、船が可哀想(かわいそう)だ。見てろ、今に俺が船長だ」
「そんな…」
「ムーン」
「あんなのがボスだなんて、俺は認めない!!」
「ムーン!」
「キャンディは悔しくないのか?あんな風に言われて。
何だかんだと、言い訳みたいなのばっか聞かされてさ。俺は、嫌だよ!」
 あんな風になるのは――自らゼロにしてしまうのは。
「ちっともカッコ良くないじゃん…!」
「…ま、何にせよ、ここの御仁(ごじん)たちの困り事ってのは分かったな」
「デッシュ」
「残ってる船は、あの一隻だけかい?セトさんや。ずいぶんと立派だけど」
「ああ。『エンタープライズ』だ。我々の命と言ってもいい」
「ちなみに、暴れ回ってる竜ってのは」
「我々が守り神として(まつ)っている、『海竜ネプト』だ…そのように見える、と言うべきか。
ただの魔物だ、幻だと言われたら、そこまでだがな。あのエンタープライズより上級の帆船が、
ひとたまりもなかった。命を落とした者も居る」
「勝算は」
「無い。――はっきり言おう。挑めば命は無い」
「…」
「ふむ」
デッシュが顎に手を当てて、考える仕草をする。
やがて、食い入るように見上げるムーンと視線を合わせた。
「…だ、そうだけど。それでも行くか?」
「もちろん。俺一人だって行ってやる」
「!」 「……」
「船は動かせないでしょ!?」
「カヌーでもボートでも使えばいいだろ?それも駄目なら、泳いでだっていい。行ってやる!」
「嫌よ、壊されたら(たま)らないわ!折角(せっかく)サスーンの王様からいただいたのに!」
「無茶だよ…」
「少し落ち着け、ムーン」
「大の大人が、何十人でも、何百人でも敵わなかった奴だぞ?」
「だって!それじゃ、どーすんだよ?このまま、ここで足止めか?それじゃ、
奴らだって、俺らだって、困るんじゃん!」
 デッシュは思った。――正論だ。最後だけは。
「…こりゃ、困りましたねえ」
「デッシュ…ふざけてんのか?」
 デッシュは、また何か思案する風だったが。
「…とりあえず、日も暮れてきたし。夕飯時も近いし。――明日にしよ」
「「え」」
「は!?」
「こうなったら、慌ててもしようがないでショ。明日にしよ」
 そうと決めるとデッシュは、さっさと今夜の食事やら、寝床やらの交渉に入ってしまった。
今日もまた、一日が過ぎようとしていた。


 ぱたぱたと階段を駆け上がってくる足音が聞こえた。
「ムーン!良かった。岬の方に行っちゃったんじゃないかって、心配したよ。
――お湯、使わせてくれるってさ」
「お前、今日走ってばっかだな」
「ムーンは、怒ってばっかだね」
 ポポはちょっぴり言葉でやり返すと、小さなテラスから柵の外を見やった。
「うわー。岬の向こうが良く見えるねー」
 本当にその通りだった。
沈みかけた夕日が、水平線を金色に染めている。
空は茜で、山のある東側に行くほど紫を帯びているようだ。
「遠くまで来ちゃったね」
「もうホームシックか?」
「『もう』じゃないよ。村を出てずいぶん()つのに」
 弟は反論したが、否定はしなかった。あ、と声を上げ、話題を変える。
「そういえば、また竜が見られるかもしれないよ。嬉しい?」
「なんで?」
「前はあんなに喜んでたじゃないか」
「まーな。でも、今回は最初っから、敵だ、ってハッキリしてるし」
 ムーンは、ポポが分かるような分からないような理屈を理由にした。
海賊たちが『守り神』なんて言うくらいだから、悪い竜ではなさそうなのに…。
「挑むなんて、本気だったの?」
「本気だったよ?」
「ジェノラ山で、あんなに大変な目にあったのに?死ぬ気だったの?」
「死ぬ気は無えけど。俺たちこれでも『光の戦士』なんだし、多少はどうにかなるんじゃね?」
 あっけらかん、と言ってのけられ、ポポは呆れてしまう。
 …簡単すぎる。そこまで都合の良い話があるものだろうか。
「そんな無茶苦茶な。クリスタルは、保障なんかしてくれないよ」
――勝手に、ひとを『光の戦士』だか何だかに、するだけしておいて。
「ダメかなあ――。でもさ、あんな風に言われて、悔しくねぇ?
結局、『子供だ』ってだけで、どこに行っても難癖(なんくせ)つけられてさ」
「それは、仕方ないよ。僕らは子供だもん」
「おいおい、納得すんのかよ」
「するよ」
 二人は同じようにムッとして、向き合った。
「……」
やがて、ムーンの方が先に問答を中止して、再びテラスの外へ視線を向ける。
柵の下の格子に片足を引っかけた。
「俺、あんな大人にはならない!」
「また、そんな。海賊さんたちが聞いてて、殴られちゃっても知らないよ?」
「じゃお前は、あんな酒飲みの(ひげ)モジャになりたいか?」
「う…」
 思わず想像してしまうポポである。
(あきら)めたら、そこでお(しま)いなんだぜ?そしたら、そこでゼロになる。ほんとに」
 思わずポポが顔を上げると、兄の怒ったような表情の奥には、決意らしきものも見えて。
「そんなのは、ごめんだ」
「…」
 自分には無い強さを思い、ポポは羨ましくなった。


「お~い、こんな所に居たんかい」
 と、間延びした声が、二人を呼んだ。黒髭にくっついていた、ひょろひょろの奴だ。
栗色の髪で肌も生っ白くて、頬はそばかすだらけ。
お世辞にも強そうとは言えないし、海賊のイメージは皆無だ。
「へへ、良い眺めだろぉ?」
「うんっ」
 長い身体を折り畳むようにして狭い階段口を入ってきた彼に、ポポは頷いた。
 この、ほわほわと喋る独特で掴み所のない声が、ポポには返って心安い。
「こっからだと岬が一望できるもんな。――ホラ、あれがネプトの神殿さあ。
白くてキレーだろぉ。夜目にも目立つんだ」
「神殿」
「ん。俺たち、粗末に扱った覚えなんか無いのにさ。
ちゃんと掃除してたし、お供え物も欠かしたこと無いんよ?何で今更怒るかねぇ。――あっそうだ」
子分は、ついでのように言葉を続けた。
「風呂と夕飯済んだら、地下に集合な。じっちゃんの昔語りが聴けるぞー」
「話?」
「どうせガキ向けのだろ?面倒くせーなあ」
 ムーンが言うと、子分がそばかすだらけの顔で、くしゃっと笑う。
「まだホントにガキなんだから、そう言うないっ。じっちゃん、ネプト竜にも神殿にも一番詳しいから、
役に立つかもしんないし」
「ちぇっ。自分だってガキみたいなくせにー」
「俺もう二十六だよぉ。名前はフェルディナント!」
「長い上にカッコ良すぎだから、フェルでいい!」
「ハハ。おっけー。みんなにもそう呼ばれてるよ。…んじゃ、降りてこい?」
「はーいっ」 「ほいほい」
 つられて間延びした返事をしたムーンの、降りていこうとする背に、ポポは言った。
「ムーン。頼むから、(ひと)りで行くなんて言わないでよ。キャンディもアリスも、きっとそう思ってるよ。
僕たち、いつだって一緒だったんだから」
 兄は止まって、目線だけで振り向いた。
「…死ぬ時も?」
「う…うん」
そんなのゴメンだ、と言ってやろうとしたが、ムーンは代わりに拳を固める。
わざわざ戻ってきて、
「あたっ」
 ぽこん、と頭を叩く軽い音が、小気味よく響いた。


(わし)が、一味の中でも一番年寄りの、『じっちゃん』じゃ」
「はーい、質問!本名は何ていうんですかー?」
「元気な小僧め。知りたいか?まあ、長くなるから後でな」
 『じっちゃん』という呼び名は、ムーンに、祖父のトパパを思い出させる。
しかし、この人に厳格(げんかく)な祖父と同じ雰囲気は欠片(かけら)もなかった。
祖父はこんな猫背ではなくシャンとしているし、喋り方も、もっと怖そうだ。
 キョトキョトと動く目、ふさふさの白い眉は、どちらかというともう一人の長老、ホマクを思い出す。
「皆、珍しく勉強熱心な。感心、感心。」
 じっちゃんは、集まった一同を見渡した。四人とデッシュの他にも、思ったより人が集まっていた。
風守(かざもり)』のセト、痩せっぽちのフェルと、
リーダー格の黒髭(くろひげ)ダナン、それに太っちょのゼン、
それから通称『おやっさん』と呼ばれている、屈強な男(そういえば、こちらもまだ名前は知らない)。
他、多くの面々だ。
「一味の一大事とあっちゃ、集まりますわ」
「良く言いよる。今まで誰ひとり動こうとせんかったクセして。――…若造は、まだ荒れておるか」
「へ? あ、はあ……頭領(ボス)はそのう…」
「まあ、ええわい」
水代わりのワインで口を湿し、ウォッホン、と咳払いを ひとつ。
じっちゃんは、話してくれた。…こんな風だ。


 遙か昔、世界にまだ『悪』というものが無かった頃、竜と人はお互いに助け合って暮らしていた。
大地は人が、天空と海は竜が治め、世界は平和と安定を保っておったのじゃ。
 竜はその大いなる力でクリスタルと共に人を護り、人に知恵を授けた。
 一方、人は竜を敬い、大地の恵みを竜に分け与えた。
 また、竜は人の『心』に触れることで、自らの内にも『心』を見出していた。
 ところが、人というのは悲しいものでな。『心』と『知恵』を(あわ)せ持った途端、
その内に『欲』という感情が生まれてしまった。
『欲』から竜の持つ偉大な力を(ねた)み、いつしか竜を超えたいとまで思うようになった。
 竜より授かった『知恵』で、人は技術と文明を発展させ栄えていった。
 一方、人が『心』を置いて進展していくことに、竜は危機感を持った。
 「このままでは、いつか世界そのものを滅ぼしかねない」
 竜は警告したが、人は聞き入れなかった。
逆に、「竜の立場が危ぶまれているので、都合が悪いのだ。『焦っている』のだろう」などと言う。
 おかしな話じゃろう?
 竜は、人の『心』に触れて初めて、自らに『感情』を()(いだ)したというのに。
 いや、もしかすると竜の言うことは間違いで、元々『心』は竜自身の内にも在ったのかもしれん。
そもそも人の伝承など、人の勝手な解釈も含まれておる。可能性が無い、とは言い切れんからな。
しかし、それにしても竜と人の価値観が同じだなんて、誰に分かろう?
 やがて、竜は人を大地に残し、天空の彼方、海の底から異界へと去った。
 竜王バハムートと海竜リヴァイアサン、そして我らが海竜ネプトを除いて。
 バハムートやリヴァイアサンは、あくまで世界と人間の動向を見守る――
 と言えば聞こえは優しいが、実質監視するために残った。
 だが、長く人に近く接してきたネプトは、『信じて』いた。人間特有の『心』をな。
そうして、人間たちを憂いながらも力を貸していた。
 そうこうするうち、世界を揺るがす天変地異が起こった。
 リヴァイアサン一族は激減したが、ネプト竜と(いく)らかの人は、力を合わせて
(から)くも生き残った、と伝えられておる。
 原因は人が過剰に発展させた技術だとも、
バハムートの思索だとも、リヴァイアサンの思索が失敗したのだとも言われているな。
儂(わし)としては世界の意志…つまりクリスタルの力が働いたという説が、一番近いと思うが。
どちらにせよ、原因を造ったのは人じゃな…。
 その後もネプトは人のために尽くしたが、やがてネプト自身が眠りにつく時がきた。
 人はネプトに長きにわたる多くの感謝を捧げ、ネプトはその『心』を感じながら、言ったという。
「これからも人を護る。その代わり、その素晴らしい『心』を失うな」とな。
そうして、人の手元にはネプトから贈られた信頼の証…
『ネプトの目』と呼ばれる宝石が残ったのじゃ。

 

「その後、宝石は人から人へと渡り、今は(わし)ら『海に関わる者』が
岬の神殿へ(まつ)って大切にしているというわけじゃ」
「………」ムーンは考えた。「じゃあ、何で暴れてんだよ?」
「んーむ。それなんだよねぇ」とフェル。
「あのさ。こんなこと言いたかねーけど、ネプトが人を『信じた』って話も、
本当だかどうだか分かんないよ。それこそ、どうして分かるんだ?」
「そうさな…。分かるのは、そういう話を人が語り継いできた事実だけじゃ」
 じっちゃんの言うとおり、人の作り出した希望論なのかもしれない。
価値観だって『心』から生まれるものだ。その『心』が同じとは言いきれない。
人同士でさえ、心を同じくすることが難しいというのに――まして、
まったく異質の生きものである竜と人が、心を同じくするなど。
「じいさんや。海竜が暴れ出したってのは、いつ頃だい?」とデッシュ。
「あの大地震以来じゃ。岬まで行くと、狂ったように襲ってきよる」
 大地震、という言葉を聞いて、光の戦士たちは、はっと顔を上げた。
「――セトよ。神殿の方はどうだった」
「驚いたことに、柱にも(はり)にも、ひび一つ入っていませんでした。
地震の折に浸水したので、人手を募って清掃は行いましたが。
建築の知識がある者が見ても、奇跡としか言いようがないそうです」
「そう、それなんだ」
 太っちょのゼンが、巨体を揺らした。
「どれ?」
「いろいろと不思議なのさ。こんな風に海に面してるのに、アジトはこの通り無事だ。
高波は来たけど、アジトの中の方まで押し寄せるなんてなかった。
どこも崩れたり壊れたり、再起不能ってほどにはならなかったんだ」
「ネプトのお陰だってのか?地震で何ともなくとも、岬まで出てやられた仲間が何人居ることか…!」
「まあ、それは否定できんが…」
「…分かった」
 話を聞いたデッシュが頷いた。…キャンディに言う。
「兄ちゃん。とにかく明日、みんなで現場を見せてもらおうぜ。神殿てのが、どうにも気になる」
「そうだな。僕も同じことを考えてた」
「で、でも…神殿に近づいた途端、襲ってきたりしない?」とアリス。
「それなら大丈夫。相手は海竜だ。海に入らない限りは、出てこないんだよ」
「そうなの?」
「よし決まった!俺が退治してやる!」
 ムーンは、拳を高々と突き上げた。


 翌日は雨だった。一行は暗い空の下、海賊たちと共に神殿へと向かった。
大雨ではなかったが、風に吹かれて横殴りになると、途端に天候が悪くなったように感じる。
「なんだか、海竜が怒ってるみたいだ…」
 鋭い音を立てた海風にポポが首を竦めると、海賊たちは顔を見合わせた。
 セトの言通り、確かに神殿は崩れていなかった。
 『神殿』と聞いてクリスタルの祭壇と同じものを思い描いていた四人だが、実際は違った。
どちらかといえば(ほこら)くらいの小さな建物で、思ったよりも簡素だったのだ。
しかも、驚いたことに神殿は全体の半分以上が海に水没している。
災害劣化や自然浸食ではなく、わざとそう建てられたようだ、と聞いた。
岬から突き出すようにして、ネプト神殿は建っていた。
「建物の中まで水が…床のあっち側は、本物の海!?」
「こんなの、地震が来たら即沈むじゃんか!」
「うむ…だから不思議なんだ」ゼンは言った。
 そして、
「ひっ」
 入った途端、大きな竜の頭が出迎えた。
思わず息を呑んで固まってしまった来訪者たちに、海賊フェルが笑いながら言う。
「これがネプト竜だよ。大丈夫、ホンモノじゃないから――」
 青い金属光沢を放つ、立派な像だ。
竜は長い半身を水に沈め、頭と前脚部分を出している。
神殿の黒い床石に、前脚を引っかける格好になっていた。
 像の材質は、実のところ良く分かっていないそうだ。
金属なのか石なのか、粘土なのか――これも不思議なことに、海水にずっと洗われていながら
()びもせず、(もろ)くなり欠ける様子もない、色褪せも無いのだという。
 その不変の光沢のせいか荒削りな床石の黒のせいか、ここは綺麗で――けれども、
冷たい印象があった。何だか怖い。特に竜と正面から向き合うと、睨まれているようで。
本物じゃない、と言われてもなお畏縮していたポポだったが、
「あれ?」ふと気づく。竜の瞳の片方が、真っ暗な虚ろになっていることに。
「ねえフェル。おじさん。竜の目ってこれ?」ポポは背伸びして、青い片方を指した。
「いや、そっちは元々あったイミテーション。材質が像本体と同じっぽいだろ」
「本物はもう片っぽの赤い方――」言いかけ、黒髭(くろひげ)ダナンの目が点になる。「!」
「え!ダナン!」
「無え!!」
 二人の血相が変わった。
「セト!えれえこった!!」
「あああ、本当だ。無くなってるよぉーー!!」
 ではやはり、ぽっかり空いたここに、本来なら竜の目が在ったのだ。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう」
「バカ、探せ探せ!」
 言われて、思わず四人も一斉に床に這いつくばる。もしや、近くに落ちてはいないかと。
「じっちゃんがここに居たら、雷落ちるとこだよぉ。
いやいやいや、見つかんなかったら絶対めちゃくちゃ怒られる!!」
「――それだ」突然、ぽつりとデッシュが言った。
「どれ!?」
 一斉に全員がそちらへ集中する。
「原因はそれだよ。ネプトの目を、像に返してやったらいいんじゃないのか…?
きっと、目が無くなって怒ってんのさ。返してやろうぜ!」
「どっちみち、無きゃ困るんだろ?」
「見つかったのかと思った…」
 何となく落胆の空気が流れる、その場である。
「……」
『心を失わないで欲しい』と言ったというネプト竜。
人を信頼し続けたというネプト竜。
その証として残された宝石…。
「おじさま」アリスが、風守(かざもり)のセトを見上げた。
「地震の時、宝石が外れて落っこちちゃったのかしら?」
「いや、地震の後、様子を見に来た時には確かにあったんだ」
「一緒に見に来たってのは?」
「ばっちり俺らの仲間内。ネプト竜と目の大切さは、よーく知ってる」
「そうか…部外者だったら、宝石に目が(くら)んで…なんてのも、容易に想像できんだけどな」
「あり得ないよ」と、フェルは即答した。
「外の奴だったとしても、俺らから宝を奪おうなんて輩は、そうは居ねえ」
 それだけ、彼ら海賊は(おそ)れられている。
たとえ彼らが、あくどい奴らからしか略奪しない『義賊』であっても。
「もし居たとしても、そんなのは地の果てまでだって追い詰めるぜ」
「ねえ」…と、アリスが何を思ったか、引きつった笑顔を向けた。
「縁起でもない、って怒られそうなんだけど」
「どした、嬢ちゃん」
「なにー?」
「おう、言ってみな」
「例えば、宝石の継ぎ目が弱っててね?地震の後、少しは大丈夫だったけど、
おじさまたちが見に来た後には外れて海の中に『ぽちゃーん』なんて…」
「縁起でもねえ!!」
 カッコ良くキマっていたはずの髭面が、あり得ないくらいに崩れた。
「ああ、やっぱり!」
 アリスは泣き笑いである。
「…可能性はあるか」困惑した様子ながら、あくまで冷静なセト。そして、
「あるよなあ」うんうん、と訳知り顔で頷くデッシュだ。
「「おいおいおい!!」」
「おし!ポポ、海の水ごと吸い上げろ!」
 ムーンが勇んで言った。
「無茶言わないでよ!出来るわけないだろ?」
「黒魔法でそれくらい…」
「できない!!」
「何だよ、役に立たねぇなー」
「魔法を何だと思ってるのさ!?」
 かくて再び、地味な…いや、地道な大捜索が始まった。
床をはじめとして、捜せるところはくまなく捜す。
そうして、どれくらいの時間が過ぎただろうか。
「これじゃ、正面きって退治しに行った方が楽だぜ…」
「やってみてから言え、くそ坊主!死ぬとこだったんだぞ」
 ぶつくさ言いながら床に這いつくばっていると、ムーンの指先にザラつくものが触れた。
点々と、落ちている。
 思わず目で追っていくと、とある方向から流れてきているではないか。
 ムーンはそれを追いかけた。
注意深く見ていくと、辿り着いたのは竜の像の前、()(もつ)台。
…そうか、これは干物のカスだ。
 手に取り上げた魚の干物には、何と囓られた跡が残っていた。
 彼は皆に向かって、へらっと笑って見せた。どこか情けない笑みだ。
「ネズミが犯人――なんちゃって」
「えーっ」
「やめてよ、もう!」
 それを聞き留めたキャンディが、同じように床の痕跡を辿り、やがてネプト像の方へ行く。
考えに沈んで難しい顔をした彼は、ムーンを呼んだ。
それに応じて側に行ったムーンは、凹んだ竜の片眼に、わずかな亀裂と傷跡を見つける。
(これは…歯?いや、爪跡か?)
 顔を上げると、キャンディも同じことに気づいたらしい。黙って頷く。
「アリス、〈ミニマム〉」


「よーし、全員小人(こびと)だな」
 ムーンは一応、命綱兼道しるべ代わりの釣り糸を握り、兄妹を振り返った。
「信じられない!こんなに小さくなっちゃったら絶対に不利よ。
本当にネズミが居たら、どうしてくれるのよ!」
「それを確かめに行くんだろ」
 単純な根拠に違いない。
しかし、失われた「ネプトの目」があるとしたら、ここ以外のどこにあるだろう?
本当に海の底という可能性が高い。
調べられる所は全て調べてみよう、の精神で行くしかなかろう。
 ちなみに、海賊一味は万が一を考えて小さくならず、像の外で待機中だ。
 ネプト竜の像、目の部分。ぽかりと空いた(くぼ)みの中は、案の定、真っ暗だ。
「明かりくれ。一瞬でいいから」
 ポポとキャンディが、そして、渋々とアリスが、手の中や杖の先に魔法の光を生じさせる。
魔法が実体化する前の、エネルギーを集めた状態だ。
 中がどうなっているか定かではないが、閉鎖空間だろう。
それを考えると、ランプや松明など、火を焚くには向かない。
息が苦しくなって、下手をすると窒息してしまうからだ。
「やっぱ、埃っぽいなー」
 像の目の奥は、狭そうだった。但し、小人になっている今は充分『広間』だ。
「なかなか新鮮な体験。これがネズミの視界かー」
「やめてデッシュ。そんなこと言うの」
 差し入れた光源のおかげで、中の様子が明らかになる。と、
 きらり。…奥で何かが赤く光って応えた。――ネプト竜の目だ!
「ビンゴ!」 「みっけ!」 「あった!」 「嘘みたい!」
 四人ほとんど同時に声を上げ、
「おい!」デッシュが止める間もなく踏み出す。彼の目の前で、四人の姿が闇に呑まれた!
「傾斜があるから気をつけな――って」
「…。遅い…」
「あ、やっぱし」
 クラクラする頭を押さえ、兄妹たちと同じようにポポもまた、起き上がる。
何だか、事ある毎に落下しているような気がするのは、気のせい…ではない。
彼は(かたむ)いて頭から落ちそうになっている帽子を被り直し、ほっと息をついた。
――その時。何かの音がこだました。
 ドトッ ドトッ ドトッ…大きくて重くて、忙しない…足音だろうか?
 普段聞く音とは、またずいぶん違うけれど、とポポは青ざめる。――あれだ。あれしかない。
「ネズミぃぃぃ!!」
 甲高い悲鳴を上げたアリスの近くを、凄まじい勢いで駆け抜ける動物の気配があった。
光の四戦士とデッシュの五人全員が、ざっと構える。
「怖いよ~~!」
怖いけれど、このまま暗闇の中に居るのでは、なお怖い。
 ポポは足元に落とした杖を慌てて拾い上げ、しっかりと握りなおした。
そうしたところで、緊張のあまり手の感覚は無かったが、
とにもかくにも必死の思いで魔力を集め、杖先に光を(とも)す。
 一拍遅れて、もう一つ光が(とも)った。
キャンディが同じようにしたのだ。
ただ、彼の持つ剣は魔力的なものが込められた品ではないから、魔法の媒体にはならない。
そのため光も弱く、不安定だ。
「アリス、大丈夫?」
「あんまり…」
 ポポが差し出した手に、アリスが(つか)まり立ち上がる。
 五人は明るさを()り所にして、集まった。
 ムーンが言う。
「奥だな。丁度あっち。走ってった」
「ああ」
 こともあろうに、ネプトの目のある方だ。
「やだ、やっぱり行くのね~…」
「嬢ちゃん、怖けりゃ下がってな」
「こんなところに一人で居る方が嫌よ!」
 五人は奥の穴を目指す。
赤く輝く『ネプトの目』の側で、灰色い毛並みの(ねずみ)が髭をしごいていた。
普段なら「手のひらサイズの可愛い奴」で済むが、今日は大きさが逆転している。
それに、(ねずみ)の歯はとにかく丈夫(じょうぶ)で強い。今噛まれたらきっと…。
 と、…しっぽがそよぐ。こちらを認識したようだ。
「こっ、こんにちはネズミさん」
 ポポは何故か、にこやかに手を振ってしまう。
「何やってんだ」
「いんや、いいアイデアかもしれないぜ。害さえ与えなけりゃ大丈夫かも…」
「ね、その宝石、返してください。それがないとネプト竜が――」
 鼠が、チィ、ではなく、ギィッと鳴いた。
「ネッ、ネズミさん」 「こんにゃろネズミ!」
 …通じないようだ。みるみる鼠(ねずみ)が目の色を変える。
「…威嚇してるみたいだよ」
「ネズミが分かるわけ、ないじゃなーい!!」
「無理だった~~!」 「ちぇっ」
 灰色(ねずみ)が、鋭い奇声と共に、飛びかかってくる!!
「「――っ」」
 ムーンとデッシュは、鋭い歯と爪に掴まらないように回りこんで体術の連携攻撃を繰り出したが、
「いっ、痛てえ!?」
「丈夫だなぁぁー♪」
 小人の力では、毛皮に攻撃を弾かれてビクともしない。
「ダメよ、魔法じゃなきゃ!」
 アリスとキャンディが、示し合わせて魔法を放つ。今度は、〈ブリザド〉と〈エアロ〉の連携だ。
しかし、それを上級魔法の雷が貫いた。
威力が高まったはずの冷気の嵐が、かき消される。その衝撃は、五人を確実に捕らえた。
「うわあぁ!!」デッシュがまともに食らって悲鳴を上げ、
「サンダラ!?」キャンディが呪文を的確に言い当てる。
「ポポ!!」ムーンが弟に抗議した。
「ぼ、僕じゃない…今の」
…今のは、一体。
 まだ目の前に火花が散っている気がする。
全身に響いた重い衝撃。よろよろと杖に縋って、体勢をどうにか立て直しながら、彼は言う。
心臓がちゃんと動いているのが、不思議なくらいだ。
 ギギィッと(ねずみ)が鳴く。勝ち誇ったように。
「………」
 冷や汗がポポの額を伝って流れていく。…まさか。いや、違いない。
 キャンディとアリスが、お互いに頷き合った。――もう一度だ。
「ポポお願い!」
「手伝ってくれ!」
 我に返ると、兄と妹が自分の両脇に居る。二人は呪文の詠唱に入った。
気配を察してか、(ねずみ)も同じようにする。
 慌てて、ポポも呪文を唱えた。上級魔法に対抗するには、魔法を重ねて束にするしかない。
「「〈ブリザド〉!」」 「〈エアロ〉!」
 二段構えの冷気魔法を、風が巻き込んで更に後押しした。
「行ける!」 「よし!」
 が、若干遅れて敵が完成させたのは炎の魔法。
両者がぶつかると、蒸気が猛烈な勢いで吹き上がる。
「うわあー!」
 視野を塞がれると、途端に恐怖心が湧く。
「ビビってんじゃねぇ、水だ水!水蒸気!」
 ムーンが叫ぶ。
「ネズミは!?」
 バタバタと、またも走り回る気配がする。魔道師部隊は明かりを絶やさぬよう、気を集中する。
「うわっ」
 突進してきた大(ねずみ)。ムーンとデッシュは、咄嗟に左右に避ける。
(ねずみ)は、気も荒く襲いかかってきた…かと思いきや。
「……何だあ?」
 やみくもに走り回るばかり。同じところをぐるぐる、ぐるぐる。
 その一定の進路を塞いでさえいなければ、害は無い。…怯えている?でも、何を?
「なんだか訳わかんねーけど、チャンス!」
 ムーンは、拳法の構えを取った。但し、間合いはかなり遠くで。
「え」
「よせ!」
「バカ、出来もしないのに!」
「やってみなくちゃ、分かんねーだろっ」
 兄妹が止めるのを聞きもしない。
構えた彼の手のひらに、魔法のエネルギー体が生じた。みるみる輝きを増し、白熱する!
 ようやく明かりを見つけ出口に走った(ねずみ)の背をしっかり(とら)え、ムーンはその手のひらを向けた。
「行けえ!!」
 魔力が増幅し、膨張した――!
 ボン!!
 空気をぱんぱんに詰めた、大きな袋が破裂したのかと思った。耳にも心臓にも悪い音だ。
 (ねずみ)はぴゃっと一鳴きすると、一目散に逃げていく。
「………」
 術者当人も、唖然としていた。魔法の反動で、尻餅をついたまま。
「ちょっ…暴発したでしょ?大丈夫!?」
「…っそれより、あいつ逃げちまうぜ!」
「構うな」
 目的は(ねずみ)ではない。『ネプトの目』なのだから。
「怪我してない?」
「んー…どこも。痛かないし、平気みたいだ」
「ほんと?」
 兄妹全員が、こぞって確かめる。…やがて、
「よかったぁ、ホントに何ともなさそうだね」
 ポポが心底ほっとしたように言った。
「…だから止めたのよ。適当に打ちゃいいってもんじゃないのよ?」
「魔法の失敗は怖いからなー」と、デッシュが頷く。
「下手すりゃ、手なり腕なり吹っ飛びかねないし。
『〈トード〉が失敗して三ヶ月、自分の口から(かえる)の鳴き声が止まらなかった』なんて話も聞くし。
ホラ、しゃっくりみたいにさ」
「やだ…」
 アリスが青ざめて身震いした。
怖いことをサラリと言って、何でもない事のようにケラケラ笑っていられる、この男の神経がイヤだ。
変身魔法の後遺症は、とにかく恐ろしい例が多いから。
「ってことで、わかったかな?ムーン君」
「ワカッタ。ワカッタカラハナセ」
 デッシュに顔の両側をびよーんと引っ張られながら、ムーンは言った。
 五人は、自分たちが入ってきた場所まで、力を合わせて『目』を運ぶことにした。
流石(さすが)に、小人にこの大きさは…文字通り、荷が重い。
 あの逃げていった(ねずみ)のように、宝石に触ったら何か
影響がありはしないかと心配したが、大丈夫だった。
とりあえずは別段、何があるわけでもないようだ。
 気のせいだろうけど、この宝石に触れた時、ポポにはほんのり温かく感じられた。
もしかして耳をつけたら、鼓動が感じられはしないだろうか。
 竜には、大きくて強くて、怖いイメージしかなかった。
ネプトの目の深紅は激しい火のように燃えていた。
――しかし、それでも。
 ずっと人と一緒に居て護ってくれていたという、竜の魂。
そんな存在も居るんだ、と判ったら、ちょっとだけ胸が温かくなった。
 そう。きっと、暴れているのは抜け殻なんだ。
これで本当に、荒ぶる海竜が収まってくれたらいいんだけど。
「お。戻ってきたぁ」
「でっかいネズミが先に飛び出してきやがってよ、俺ぁ…
俺ぁ、てっきり喰われちまったんじゃねーかと…!」
「無事で何よりだ」
 元の大きさに戻って、事の顛末を説明する。
海賊たちは驚きはしたが、同時に拍子抜けした様子だった。
「ネズミってのは本当に、ロクなことしねえんだ」
 黒髭は、本気で地団駄を踏んだ。
「これから、もっと神殿を大切にせんとな」
「俺たちの心懸けが足りなかった、ってことかもしれませんもんねぇ…ふう」
「ホントホント。もうネズミなんか入れんなよー?」
 とムーン。釣り糸を結んで運んできた宝石を、最後の仕上げにちょい、と引っ張る。
するとネプト竜の目は転がり、在るべき場所に収まった。
今度は糸の結び目を、しかるべき方向に引けば、糸だけがぱら、と外れる。
「よっしゃ!任務完了ー!」
「ばんざーいっ」
「やっぱり瞳が入ると、生き生きと見えるね」
(から)の瞳じゃ、しまらないもんな」
「一段落ね…」
 全員揃ってにっこり笑ったところで、…どこからともなく声が聞こえた。
「うひゃあ」 「ぉわ!?」
 海賊二人は目を白黒させたが、
実際にこんな現象を経験したことのある四人や、風守セトは、違和感なくその事実を受け容れた。
声の主は、他でもない。
「ネプト竜――?」
 まるで「そうだ」と肯定するように、神殿内の水音が引いた。
『私は海竜ネプト。私の心を取り戻してくれたこと、礼を言う。
心が無くなれば、眠りについていた私の肉体そのものだけが暴れ出す。
私は大切な同胞を、自ら無くしてしまうところだった』
「良かったです。そんなことにならなくて」
「本当だぜ。もうこんなのはゴメンだぞ?」
 ムーンは竜と海賊、双方に言った。
「すまない」
 風守セトをはじめとする海賊たちは、像に向かって(こうべ)()れた。
それらを認識しているのかどうか、ネプト竜は淡々と言葉を続ける。
『人の子よ。水はその光を失ってしまった。何者かが大地震を引き起こし、光を地中深く封じたのだ』
 『水』というのは、『水のクリスタル』のことだろうか。『光を失った』というから、おそらくは違いない。
 言葉をじっくり聞いて意味を辿っていたキャンディが、はっと目を見張る。
「何者か?…それは人なのですか?竜なのですか?それとも別の――」
 ネプト竜はこれに答えず、一方的に話を続けた。
『さあ、これを授けよう。水の力で行く手を遮るものを打ち砕く…水の牙だ』


 穏やかに()いでいた水面が、波打った。勢いよく左右から水柱が立つ。
狭い中央通路に居る一行と竜の像を目がけて吹き出し、呑み込まんばかりだ。
 ザバン!
 大きな音を立てて、頭上でかなりの量の海水が弾ける。
土砂降りの雨を頭から浴びた時と同じく、全員がずぶ濡れになった。
そして――空中からゆっくりと、光るものが舞い降りてくる。
 重さなど感じさせず降りてきたそれは、狙いすましたようにムーンの手の中に収まった。
『頼む。光を取り戻してくれ………』
 それを最後に、ネプト竜の声が消えた。眠りにおちたのだろうか。
消えていた周囲の音が耳に戻ってきたので、一行は現実に引き戻されたのだと知った。
 風は穏やかさを取り戻したらしい。波音も、静かになっていた。
 同時刻、投げやりに()(みん)(むさぼ)っていた海賊の頭領(とうりょう)ビッケ。
彼もまた、海竜の声なき声を聞いた。
アジトの全員に、それは届いていた。
『光を取り戻す』その言葉が、皆の耳に響き、いつまでも残った。

--- 試し読みは、ここまでです。続きは同人誌で!---



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第1巻:風の呼び声へ

第3巻:火は歌うへ

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